【 イラクと中東の民主化 】

 別稿「民主化の問題点」で述べたように、米国はフセイン体制の打倒と民主的なイラク新体制の確立が攻撃の目的であり、そのようなイラクの民主化は、中東地域全体の民主化に大きな影響を与えるとしている。これが、攻撃の正当性のための単なるレトリックであれば、フセイン体制の崩壊後に忘れ去られるだろう。しかし、米国による中東諸国への民主化圧力が、紛争後にまったく行われないという可能性は低い。おそらく、圧力自体はイラクにおいて行われる民主化とは関わりなく、攻撃が終了し情勢が一応の落ち着きを見せた直後から始まるだろう。現在、紛争後の新体制確立には2年が必要との予測が多いが、いずれも明確な根拠があるわけではなく、実際にどれだけの期間がかかるかはわからない。選挙や議会の設置が新体制確立の前に実施されるにしても、それまでに相当の時間が経過することは明らかであり、米国がその間、ただ待っているとは考えにくい。米国の目的が中東地域に対する民主化圧力である場合、「イラクの民主化が中東地域の民主化に影響を及ぼす」という発言の方が、その目的のためのレトリックということになる。

 米国の中東地域に対する民主化圧力が、どの程度のものになるか不明だが、それは国別に大きく異なる内容となることは間違いない。まず、非アラブ諸国のイスラエル、トルコ、イランには行なわれない。イスラエルとトルコの選挙制度には問題があるものの、民主化圧力を受けなければならないような状況にはない。イランの場合は、民主化圧力よりも前に米国との関係改善が必要であり、米国がイランの民主化に言及したとしても、それは実効性を伴った圧力とはならない。(注1)それゆえ、民主化圧力の対象はアラブ諸国ということになる。

 このように考えてみると、時系列的には以下のような展開が見られるのではないか。イラクの紛争後、アラブ諸国に対する米国の民主化圧力があり、アラブ諸国の現状に関する問題点が議論される。イラクの民主化は先進諸国の体制を範としながらも、同時にそのようなアラブ諸国の問題点を克服するかたちで進められる。その結果、民主的なイラク新体制の確立とアラブ諸国の政治改革が同時に進行する。実際にこのような展開となるかどうかは、まだまだ未知数であるが、イラクとアラブ諸国の民主化は、イラクからの一方通行ではなく、相互に影響し作用し合う関係や状況で捉えるべきであろう。このため、まずアラブ諸国の現状に関わる問題点を整理し、次にそこから想定されるイラク新体制につき、考察してみたい。

1、アラブ諸国の民主化に関わる問題点。

 アラブ連盟加盟国は22カ国(パレスチナを含む)であるが、本稿ではその対象をモロッコからイラクまでの17カ国(パレスチナを除く)とする。イラクを除外すると、王制と共和制がそれぞれ8カ国となる。これらの国々の多くは、80年代末から90年代初めにかけて、既に民主化を実施している。(注2)その基本的な内容は、憲法改正による複数政党制への移行と普通選挙の実施であるが、それらは「上からの民主化」と評価され、不十分で実体を伴っていないと批判される。確かに、民主化の時期が冷戦崩壊や湾岸戦争のみならず、国民経済の悪化に起因する暴動の発生やIMF・世銀の構造調整受入とも重なる例が多いことを考えると、民主化の目的が民主主義にあるとは、必ずしも言えない状況がある。

 冷戦構造の崩壊に前後して、安全保障上の脅威の対象は国外の勢力から国内の政治的経済的不安定に移行した。それと同じタイミングで経済の悪化が進み、政府は分配国家としての機能を果たすことができなくなった。途上国における支配の正当性は、実質的にはイデオロギーよりも、とにかく「国民を食わす」ことのほうが大きい。外敵という脅威の強調が体制の維持に効力を失ったなかで、分配国家が機能不全に陥った状況は、既存の政権にとって致命的な事態であった。構造調整を受け入れざるをえない状況に陥ったことを「政府の失敗」、政府が構造調整を受け入れて生活基礎物資への補助金の削減などを行ない、国民生活の保障から撤退することを「国家の辞任」というが、そのような状況や政策は「国民を食わす」という支配の正当性を自ら放棄するに等しかった。そのなかでの民主化の実施は、既存の体制が必要とした新たな支配の正当性にほかならない。それゆえ、民主化の目的は民主主義の確立よりも、国民生活の保障に代わる新たな正当性の確保という面の方が強いと思う。そのような視点からすれば、民主化以降に権力の移動が見られず、既存の政権が維持されることは当然の結果と言える。

 このような「上からの民主化」を経たアラブ諸国の現状を王制から見ていくと、モロッコ、ヨルダン、クウェート、バハレーンには、各国ごとに問題はあるが、選挙と立法権を有する議会が存在する。(注3)残りのサウジアラビア、オマーン、アラブ首長国連邦(UAE)、カタルには立法権を有する議会は存在しない。(注4)米国の民主化圧力は、これら4カ国、特にサウジアラビアに対して強く働きかけられるだろう。ただし、ビンラーディンに好意的な王族の存在や、主要な同盟国がイラクよりも非民主的であることに大きな不満が米国側にあるといっても、米サウジ関係を決定的に損ねるほどの圧力はあり得ない。

 一方、紛争後のイラク新体制が王制となる可能性はほとんどないこと(注5)や、米国の民主化圧力による政治改革の実効性がより大きいことから、イラクの民主化との相互関連が問題となるのは、やはり共和制アラブ諸国である。特殊な政体をとるリビアを除くと、制度的には大統領制、立法権を有する議会、普通選挙、複数政党制がアルジェリア、チュニジア、エジプト、スーダン、シリア、レバノン、イエメンの7カ国すべてに存在する。無論、その内容はそれぞれ異なり問題も多いが、それらの制度は、実はそれなりに機能はしている。そこでの最大の問題は、非公式な部分を含めたその運用と、いわゆるイスラム政党に対する制限にある。

 大統領は、国会で選出されるレバノンを除き、国民投票で直接選ばれる。その制度自体に決定的な欠陥はないが、実際には既存の体制側の候補者が圧勝し、結果の見えた信任投票のような選挙が繰り返される。選挙については、シリアではバース党を中核とした体制側諸政党の連合組織である国民進歩組織と無所属しか実質的に議席を獲得できず、国民進歩戦線が議席の大半を、そのなかでバース党が過半数を占める状態が維持されている。スーダンでも、国民会議党が議席の99%を占めている。他の5カ国では、選挙により与党も野党も存在するが、選挙による与野党交代の実績があるのはレバノンのみで、そのほかは常に与党の安定的な勝利が続いている(王制ではモロッコで選挙による政権交代がある)。言うまでもなく、民主化の目的は選挙による政権の交代が可能となることであって、政権交代そのものではないから、選挙民が既存の政権を選択しているのであれば、このような結果に特段の問題はない。

 しかし、「上からの民主化」との批判を受ける理由は、大統領や与党の勝利に作為が見られることにある。現在、イスラム政党が容認されているのはアルジェリア、スーダン、レバノン、イエメンであり、エジプト、シリア、チュニジアでは排除されている(王制ではヨルダンが容認、モロッコは排除)。スーダンの人民国民会議(旧イスラム民族戦線)は政権と対立関係にあるものの、バシール現大統領のクーデターに協力し、現在の体制を確立した勢力であるため、民主化の過程で容認されたわけではない。レバノンは、宗派制度(後述)を背景に各宗教宗派が政党を形成するため、イスラム政党のみならずキリスト教徒の勢力を代表する政党もあり、宗教政党自体に制約がない。民主化におけるイスラム政党の位置付けという問題では、これら2カ国の事例は例外的なものである。

 アルジェリアでは、内戦状態が沈静化したあと、97年にようやく総選挙が実施されたが、イスラム救国戦線(FIS)は非合法のままだった。しかし、平和のための社会運動(MSP)と進歩のための運動(ナフダ)という2つのイスラム政党は、政党の設立と選挙への参加を認められた(獲得議席数でMSPは第二党、ナフダは第四党であり、前者は連立与党となった)。イエメンにおいては、90年南北イエメン統一時における民主化で、イエメン改革グループ(イスラーハ)をはじめとするイスラム政党3党が設立され、総選挙に参加した。イスラーハは93年総選挙で第二党となり連立与党となったが、97年総選挙では第二党ながら議席を減らし、現在は最大野党となっている。王制では、ヨルダンでイスラム行動戦線とアラブ・イスラム民主運動が政党として認められている(ともに野党)。

 これらに対し、エジプトとシリアではムスリム同胞団が非合法のままで、政党の設立や選挙への参加を認められていない。エジプトでは、過去に新ワフド党と社会主義労働党がムスリム同胞団と選挙協力を行い、社会主義自由党もイスラム色を強めているが、総選挙では常に与党・国民民主党が議席の大半を占める。チュニジアでは、ナフダ党(旧イスラム潮流運動)が政党申請をしているが、認可されておらず、王制のモロッコでも同様に、改革と再生運動(MRR)による国民再生党設立の申請が認可されていない。これらイスラム政党に対する制限の法的根拠は、憲法上の政教分離の規定および政党法における「特定の地域、言語、民族、宗教、集団などに基づく政党は認められない」という規定にある。しかし、同様の規定はイスラム政党が認められている国々にも、実は存在する。加えて、イスラム政党と呼ばれるものも、その綱領で自らの政党が宗教に基づくとは明言しておらず、その宗教色はあくまで政策上の主張に拠る。その体裁は、ヨーロッパにおけるキリスト教民主党などといった政党と変わりがない。それゆえ、アルジェリアにおけるFISの非合法と他のイスラム政党の合法という区別、イエメンやヨルダンにおけるイスラム政党の認可、エジプト、シリア、チュニジア、モロッコにおけるイスラム政党の排除は、すべて上記した規定の運用上の問題なのである。

 そして、運用上の問題はイスラム政党だけではなく、むしろ選挙や大統領に関してより深刻に存在する。公式な部分では、既存の政権に有利な選挙区の度重なる改定、非公式な部分では投票所における投票妨害、有力野党候補者の選挙区への軍隊その他の住所変更、有権者への有形無形の圧力など、与党勝利のための様々な方策が講じられ、司法の独立や権限が低く、メディアも弱いことから、それへの歯止めが利かない状態にある。また、大統領には議会休会時の法令の発布や議会の解散権、議会に対する法案の拒否権など、強大な権限が付加されており、「強すぎる大統領」が民主化批判のひとつとなっている。しかし、米国の大統領も極めて強力な権限を有しており、それはアラブ諸国に限られるものではない。問題は、大統領に対する批判や抑止が封じられ、その強力な権限が政権維持のために恣意的に用いられていることにある。

 最後に、90年代以降、多くの中東諸国で憲法の改正や新憲法の公布が続いた。憲法改正は民主化のために必要なものではあるが、いくつかの国々では、それが頻繁に行われた。なかには、現職大統領の任期延長など、非常に近視眼的で作為的なものもある。短期間に繰り返される憲法の改正は、その権威を貶め、民主化の実効性に多大な悪影響と疑念を与える。これは、すべての事例に当てはまるわけではないが、憲法の尊重という問題において、中東地域ではそれが貫徹されていないという評価は可能であろう。

2、イラク新体制における民主化

 既述した選挙や指導者に関わる運用上の問題については、強力な司法の確立や自由なメディアの活動を保障することにより、ある程度解決できる。そのような対策の実現は、既存の体制や政権を排除した後のイラクの方が、他のアラブ諸国よりも容易であろう。民主的な制度の確立はもちろんのこと、その運用に対しても監督や抑止を行いうる体制を整えれば、現在のアラブ諸国が抱える問題点の多くを克服できる。一方、イラクの政治制度自体に関わる基本的な問題は、そのマルチ・エスニックな政治環境とリンクさせるか否か、イスラム政党が認可されるか否か、という2つの分岐点にある。

 イラクの民族・宗教宗派の各人口は明らかではないが、とりあえずの目安として、アラブ人シーア派60%、アラブ人スンナ派20%、クルド人(スンナ派)15%、キリスト教諸派5%としておく。このような国民の構成がイラクの大きな不安定要因であることは、周知の事実であり、このことから現在、紛争後の新体制はすべての国民が公平かつ平等に政治に参加するものでなければならないという指摘が多くなされている。その公正平等なる政治参加をどのようなかたちとするかという問題を考えると、議会における民族・宗教宗派別の議席配分を行うやり方と、世俗主義や「平等なる国民」の原則に立って、そのような議席配分を忌避するやり方の2つに分かれる。

 前者については、既にレバノンで実施されている宗派制度があるし、隣国イランでは少数派のキリスト教徒・ユダヤ教徒に対する若干の議席配分がある。レバノンはキリスト教徒とイスラム教徒の人口が拮抗しているのみならず、それぞれの内部に多くの宗派が存在するため、議会での11に及ぶ宗派別の議席配分と、大統領はキリスト教マロン派、首相はスンナ派、議会議長はシーア派という要職の振り分けが行われている。イラクはレバノンほど複雑な状況ではないが、上記した人口比率に応じた議席配分が、より合理的・現実的であるという判断は可能である。ただし、この場合は選挙前に人口センサスを実施し、民族・宗教宗派別の正確な人口を把握しなければならない(レバノン宗派制度の最大の問題は、現在の議席や要職の宗派別配分が崩れることを恐れ、人口センサスを実施していないことにある)。

 反面、そのような民族・宗教宗派による区別を設ける政治制度は、世俗主義や政教分離に反するだけでなく、より実際的に各エスニック集団間の対立を助長するという側面もあり、思想と現実の双方から批判を受ける。また、レバノンの場合は、どの宗派の人口も過半数を超えていないがゆえに成立している制度で、シーア派が単独で過半数を超えているイラクでは、議席配分を行なう意味が薄いと考えられる。その場合は、選挙制度などに民族や宗教宗派の区別を一切設けないことになる。民族・宗教宗派別の議席配分が、これまで優遇されてきたアラブ人スンナ派勢力への実質的な報復や排除につながると、有能なテクノクラートが彼らにほぼ独占されているため、行政能力が低下する恐れもある。行政府における能力主義による雇用や人材育成の機会均等が確保されればよいが、それが不可能ならば、先進諸国を範として区別を設けないやり方の方が良いということになる。また、二者択一ではなく、たとえば二院制を採用し、下院に区別を設けず、上院を象徴的に民族・宗教宗派別で構成するという折衷案も考案されよう。

 もちろん、イラクの国民統合のためには、民族や宗教宗派を越えて、それらを横断する「国民の政党」が複数成立し、政権をとることが望ましい。しかし、短期間でそれが実現するほど現状は容易ではないし、そのような国民国家の考え方を突き詰めれば、英国が線引きしたイラクという領域よりも、それ以前からの民族・宗教宗派の分布を国家の基盤に据える方が、合理的・現実的とする判断も出てきてしまう。おそらく、米国を主体とする暫定統治当局は、「国民の政党」の設立を支援するであろうが、各エスニック集団を基盤とする政党・政治勢力の方が、選挙・議会では優位に立とう。

 次に、イスラム政党に関しては、最大の人口を有するエスニック集団がシーア派であることが問題となる。シーア派を代表する主な反体制派はイスラム・ダアワ党やイラク・イスラム革命最高評議会(SCIRI)であり、前者はイラクなりのイスラム国家、後者はイラン型のイスラム国家を希求している。現在のところ、シーア派を代表する世俗主義の反体制派や政治勢力は存在しない。仮にこれら2つのイスラム組織を政党として認めた場合、シーア派人口が既述のように過半数を占めるため、相当数の議席を獲得しよう。シーア派住民のすべてが、イスラム組織やイスラム国家を支持しているわけではないが、シーア派を代表する世俗主義の勢力が今後も育たず、代表勢力がイスラム組織だけである場合、彼らの投票が認可されたイスラム政党に集中することは避けられない。その一方で、イランに敵対する米国が、自らが解放したイラクでイスラム国家の建設を容認する可能性はない。

 さらに、アラブ人スンナ派にも、フセイン体制内の「ウラマー協会」や反体制派のイラク・イスラム党などといったイスラム組織や勢力は存在するし、クルド人自治区ではクルド・イスラム運動やクルド・イスラム連盟というイスラム組織が急速に支持を伸ばしている。スンナ派やクルド人の中でも、フセイン体制という世俗的な民族主義への反動から、紛争後にイスラムに関わる政治的な主張や勢力の伸張が強まる可能性は大きい。そのような状況下において、新体制の複数政党制にイスラム政党を含めるか否かという問題は、他のアラブ諸国よりも深刻な局面を形成すると思う。

3、評価

 以上の内容から、イラクとアラブ諸国の民主化に関わる相互関連をまとめれば、それは次のようになる。まず、指導者や選挙の制度の運用に関しては、イラクにおける民主化が強力な司法や自由なメディアの確立などにより、その問題を是正し克服する方法や実績を示す。それは、米国の民主化圧力によるアラブ諸国のさらなる政治改革と同時に進行し、相互に良好な影響を及ぼそう。しかし、現在のアラブ諸国に必要なイスラム政党の認可や選挙への参加については、複雑な状況となる。イラクでの新体制確立の前に、アラブ諸国でイスラム政党への制限が撤廃された場合、イラクでイスラム政党を認めないわけにはいかなくなる。一方、アラブ諸国の政治改革よりも前に、イラク新体制がイスラム政党を認可する場合、アラブ諸国においてイスラム政党が認められる可能性は大きくなり、逆にイラク新体制がそれを認可しない場合は、アラブ諸国におけるその可能性は遠のく。

 アラブ世界を不安定としている最大の要因は、政権が長期化するなかで、民衆の支持がイスラム勢力の政治力に直結しないという状況にある。イスラム政党の認可と、健全な選挙による支持率の政治への反映は、アラブ諸国の民主化と安定化のための中心課題である。紛争後のイラクは、それが実現される可能性も、現状の維持に働く可能性も、ともにはらんでいる。米国が、イラク新体制におけるイスラム政党を忌避し、そのことによってアラブ諸国におけるイスラム政党の認可も遠ざけるのか。それとも、アラブ諸国に対する民主化圧力にイスラム政党の認可を含め、イラクでも同様な体制とするのか。それは、21世紀の中東政治情勢に、決定的な影響を与えることになる。

(1)  イスラエル総選挙における、比例代表制の議席獲得最低得票率は1.5%と極めて低く、常に多様な政党による連立内閣とならざるを得ない。逆に、トルコのそれは10%と非常に高く、大政党に有利な制度となっている。トルコの場合は、民主化ではなく、クルド人問題や人権などについて、EUからの圧力が高まろう。イランの場合は、選挙による権力の移動が可能な状況にあり、その実績もあるが、最高指導者や憲法擁護評議会、司法府などの制度・権限に対する批判が強い。

(2)  エジプトの複数政党制への移行は77年だが、そのほかはチュニジアが88年、アルジェリア、ヨルダン、レバノンが89年、イエメンとシリアが90年、モロッコが92年から民主化措置を開始した。GCC諸国でも、湾岸戦争後に憲法に相当する基本法の制定や諮問評議会の設置・拡充が続いたが、クウェートの92年議会・選挙の復活、バハレーンの2003年新憲法制定・選挙実施以外は、民主化とは言えない。

(3)  クウェート、バハレーンでは政党が禁止され、クウェートには女性参政権がない。ヨルダン、クウェート、バハレーンでは、首相は国王により議会とは関わりなく任命される(モロッコの国王による首相任命は、慣習的に総選挙で第一党の党首になされる)。4カ国とも、法令の公布は国王の署名を必要とする勅令。

(4)  サウジアラビア、UAE(7つの首長国(=王国)からなる連邦制、アブダビの首長が大統領、ドバイの首長が首相を務める)、カタルには、国王により任命される諮問評議会がある。オマーンには、選挙により選ばれる下院と国王により任命される上院からなる諮問評議会がある。諮問評議会は、主として法案や計画の審議を行ない、その結果を国王・政府に上程するのみで、立法権は国王にある。カタルでは、地方行政に関する諮問機関のための地方選挙がある。いずれの国も政党は禁止。

(5)  イラク反体制諸派のうち、立憲王制運動が元王族を擁して王制の復活を求めているが、影響力は限られたものである。

(3月30日、松本 弘)