【 難民 】

 開戦以前から、武力行使が行なわれた場合の周辺諸国への難民流出が大きな懸念材料となっており、開戦により、それは現実のものとなりつつある。開戦直前には、クルド人自治区の主要都市から山間部に避難民の移動が始まり、ヨルダンには、小規模ながら避難民(イラクに在住していた外国人やヨルダンに親戚を有するイラク人など)が入り始めた。ヨルダンやトルコでは、難民キャンプの建設が進められている。

 各種の報道やレポートなどによれば、国連は最大145万人の難民が周辺諸国に流出し、その他に国内避難民が90万人発生すると予測している。また、国連は総額1億2300万ドルの人道・難民支援のアピールも行なっている。しかし、難民の予測や支援アピールの内容に関わる詳細は、未だ正式には公表されていない。米外交評議会は、イランとトルコ両国に対する難民の流入だけで150万人と推定するなど、その予測に関しては幅が大きい。

 難民流出の予測は困難であるが、試みに91年湾岸戦争の場合を見てみると、それ以下のようになっている。

*1991年4月時点のイラク難民の周辺諸国への流出
総数 およそ590万人
内訳 ヨルダン 400万人
イラン 140万人
トルコ 40万人
サウジアラビア 9万3000人
シリア 8000人


 ただし、この人数の大半は、湾岸戦争直後の91年2月から3月にかけて、南部シーア派地域と北部クルド人地域で反乱が発生し、3月にイラク軍が鎮圧に成功して以降、イラクから流入したものであり、湾岸戦争を直接の原因として発生したものではない。湾岸戦争の経験が、現在の状況にどれだけ参考となるかはわからない。しかし、91年の難民流出が戦争による混乱ではなく、イラク軍の反政府勢力に対する武力鎮圧や弾圧を原因としたものであるならば、米英軍の攻撃によりイラク軍が短期間で無力化された場合、難民の発生は現在の予測よりも少なくなる可能性は大きい(戦闘が長期化した場合は、その危険や食糧不足から難民が発生する可能性もある)。一般のイラク人にとっての脅威や恐怖は、米英軍ではなくイラク軍であろうから、難民の大量発生を抑える最良の手段は、イラク軍による自国民への攻撃を阻止することにある。もちろん、イラク軍が自国民を攻撃する理由や状況が、現に存在するわけではない。しかし、戦争の混乱状態のなかでは、反政府暴動の発生やそれへのイラク軍の対処など、不測の事態が十分起こりうるので、米英軍の攻撃や作戦は、そのような事態を回避することを含めて行なわれていよう。

(3月22日、松本 弘)


―開戦後―
3月20日以降、ヨルダンに難民が到着(少数)。
3月22日、シリアに難民14名到着。
3月23日、UNHCRおよびトルコ赤新月社が国境で難民受入(8万人規模)の準備開始。