研究レポート

「金正恩同志の革命思想」について

2022-06-22
平井久志(慶南大学校極東問題研究所 招聘研究委員/共同通信 客員論説委員)
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「『大国間競争の時代』の朝鮮半島と秩序の行方」研究会 FY2022-1号

「研究レポート」は、日本国際問題研究所に設置された研究会参加者により執筆され、研究会での発表内容や時事問題等について、タイムリーに発信するものです。「研究レポート」は、執筆者の見解を表明したものです。

「金正恩同志の革命思想」について1

北朝鮮は「思想の国家」である。これほど特異な国家が70年以上続いている理由の一つは、明確にその「思想」による統制にある。

韓国で「卵で岩を割る」ということわざがある。出来もしないことをやるという意味で、愚かな行為という意味で使われることが多い。しかし、北朝鮮には「卵に思想を注入すれば、岩を割ることができる」という言葉が党機関紙などでよく引用される。北朝鮮では思想の力があれば「卵でも岩を割ることができる」のである。そういう発想は外部社会から見れば愚かなものと見える。しかし、北朝鮮内部では、そういう思想の力が重視されているという現実がある。私たちが、北朝鮮のあり方を考える上で、内在的なアプローチをしようとするなら、北朝鮮の「思想」のあり方を注視せざるを得ない理由の一つがここにある。本稿では北朝鮮で最近、強調されている「金正恩同志の革命思想」をめぐる動きについて考えてみたい。

「金日成・金正日主義」

金正恩氏は政権スタート時の2012年4月6日に行った「4・6談話」で「朝鮮労働党の指導思想は、偉大な金日成・金正日主義である」とし、自身の指導理念として「金日成・金正日主義」を提示し、朝鮮労働党は「金日成・金正日主義党」であると定式化した。

しかし、「金日成・金正日主義」とは何かという問いに答えるだけの中身はなかった。金日成主義の思想的核心は「主体思想」であり、「金正日主義」の思想的核心は「先軍思想」であった。この先代と、先々代の時代の共通項は社会主義を堅持することであり、指導理念として「金日成・金正日主義」を定式化したが、思想的な中身としては先代、先々代の思想とその共通項であった社会主義を入れた「自主・先軍・社会主義の道」でしかなかった。

金正恩政権は政権運営で党主導を目指すのであれば、「金日成・金正日主義」を標榜しながらも、その思想的な中核理念であった「先軍」から、いかに離脱するかを模索しなければならなかった。金正恩政権のスタート以来の10年は「先軍からの離脱」の10年と言ってもよいが、それにもかかわらず「金日成・金正日主義」を指導理念に掲げることは一種の矛盾を内包していたというべきである。

「人民大衆第一主義」と「わが国家第一主義」

しかし、金正日総書記の「訃告」が「主体革命、先軍革命の道で一寸の譲歩も、一寸の揺らぎもないであろう」としていた以上、スタート間もない金正恩政権にとっては「先軍」は「継承」するしかなかった。一方、「先軍」を乗り越えることが自身の課題となった。

また、「金日成・金正日主義」という言葉は金正恩時代になって生まれたものではない。それは金正恩氏自身が「4・6談話」で語っているように、「既に以前からわが党員と人民は主席の革命思想と総書記の革命思想を結びつけて金日成・金正日主義と呼んでいた」のであった。「金日成・金正日主義」は、金正恩氏が創出した指導理念というよりは、既に金正日時代に準備された指導理念であった。金正恩氏はそれを「4・6談話」で明らかにしたのである。

一方「4・6談話」では金日成主席や金正日総書記が座右の銘とした「以民為天」で活動して行かねばならないと強調し、後の「人民大衆第一主義」の萌芽も示していた。

「4・6談話」はいわば「先軍」と「人民生活の向上」の並進路線を示した談話とも言えた。

金正恩氏の、初めての肉声演説であった金日成主席の誕生100周年である2012年4月15日の閲兵式の演説では「偉大な金日成・金正日主義の旗印を高く掲げる」とし、「自主の道、先軍の道、社会主義の道」を示した。それが「金日成・金正日主義」の中身であった。

一方「世界で一番良い我が人民、万難の試練を克服して党に忠実に従ってきた我が人民が、二度とベルトを締め上げずに(腹を空かせないように)済むようにし、社会主義の富貴栄華を思う存分享受するようにしようというのが我が党の確固たる決心である」と述べ、人民に「人民生活の向上」を約束した。

金正恩氏は2013年1月の党細胞初期大会で「金日成・金正日主義は本質において人民大衆第一主義である」と述べた。

金正恩氏は、2015年の「新年の辞」で「母なる党の本性に合わせて党活動全般を人民大衆第一主義で一貫させて、全党に人民を尊重し、人民を愛し、人民に依拠する気風がみなぎり、党活動の主力が人民生活の向上に向けられるようにすべきである」と述べ、「人民大衆第一主義」を掲げた。

金正恩氏は2016年5月の第7回党大会で「党活動全般に人民大衆第一主義を徹底的に具現しなければならない」と述べ、「人民大衆第一主義」を党の活動方針として定式化した。

また、2021年1月の第8回党大会での党規約改正で、改正前に「朝鮮労働党は先軍政治を社会主義基本政治方式として確立し、先軍の旗印の下で革命と建設を領導する」とあった規定を「朝鮮労働党は人民大衆第一主義を社会主義基本政治方式とする」と改正し、基本政治方式を「先軍政治」から「人民大衆第一主義」に変更した。金正恩氏は2013年1月に党細胞初期大会で「金日成・金正日主義は本質において人民大衆第一主義である」という種子を提示したが、8年の歳月を掛けてようやく「人民大衆第一主義」を「党の基本政治方式」にした。

一方、北朝鮮では2017年11月に「わが国家第一主義」というスローガンがメディアに登場した。金正恩氏は2019年元日の「新年の辞」で「すべての党員と勤労者は情勢と環境がどう変わろうとも、わが国家第一主義を信念とし、朝鮮式に社会主義経済建設を力強く推し進め、代を継いで守り抜いてきた大切な社会主義わが家を、これ見よとばかりに、われわれの手で立派に打ち立てる愛国の熱意を抱き、誠実な血と汗で祖国の偉大な歴史をつづっていくべきです」と語り、「わが国家第一主義」を、金正恩氏の新たな統治理念として定式化した。これは金正恩氏が2018年に南北、米朝、中朝の各首脳会談を積極的に展開した結果を受けたものであり、大国首脳と対等に首脳会談をする金正恩氏の位相を反映させようというものでもあった。金正恩氏の積極外交は2019年2月のハノイの米朝首脳会談の決裂によって挫折したが、「わが国家第一主義」は北朝鮮の指導理念として定着した。

こうして、金正恩時代に「人民大衆第一主義」と「わが国家第一主義」という二つの新たな指導理念が登場することで、自らの時代の指導理念を確立する枠組みができたといえる。

「金正恩主義」か、「金正恩同志の革命思想」か

韓国の情報機関、国家情報院は2021年10月28日、国会情報委員会で、北朝鮮では党の会議室などから金日成主席や金正日総書記の写真を外し、北朝鮮内部で「金正恩主義」という言葉が使われはじめている、と報告した。

北朝鮮は公式には、党規約で「朝鮮労働党は偉大な金日成・金正日主義を唯一の指導思想としたチュチェ型の革命的党である」と規定している。

国家情報院が何の根拠もなく、国会にこういう報告をしたとは考え難く、何らかの内部文書の中で「金正恩主義」という言葉が使われているためになされた報告とみられる。しかし、筆者が見た限りでは、『労働新聞』など北朝鮮の主要メディアでは本稿執筆時点ではまだ「金正恩主義」という言葉は確認されていない。

一方、2021年に入り、北朝鮮メディアで「金正恩同志の革命思想」という言葉がしばしば見られるようになった。

朝鮮労働党は同年1月5日から第8回党大会を開催したが、『労働新聞』は1月10日付で金正恩氏が行った事業総括報告に対する平壌市党委員会の金ポンソク副委員長の寄稿を掲載した。金副委員長はこの中で「敬愛する最高領導者同志の攻撃的な革命思想と老熟し洗練された領導、全人民的決死戦のもたらした輝く勝利であった」と述べ「敬愛する最高領導者同志の攻撃的な革命思想」という表現を使った。

また、同年4月6日から8日まで平壌で朝鮮労働党第6回細胞書記大会が開催された。労働新聞(4月7日付)によると、趙甬元党政治局常務委員は「党細胞の戦闘力と闘争力をいっそう強めて第8回党大会が示した5カ年計画を無条件決死の覚悟で遂行しよう」と題した報告を行った。趙甬元氏はこの報告で「総書記同志への全ての党員と人民、人民軍将兵の絶対的な崇拝心が日増しにいっそう強烈になり、社会主義の高い頂上に向かって限りなく飛躍しているこんにちの現実はみんなが金正恩同志の革命思想と革命観でしっかり武装することを切実に求めている」、「党細胞書記が時代と革命に対して担っている歴史的任務の重要性を心に深く刻み付けて、全党と全社会が金正恩総書記の革命思想で呼吸し、動くようにするための聖なる偉業の実現に邁進し、総書記同志の唯一的指導の下、一糸乱れず動く強い革命的規律と秩序を立てること」、「総書記同志の革命思想と指導に忠実に従って第8回党大会が示した新たな5カ年計画を無条件に、決死の覚悟で実行する火線戦闘員、先鋒闘士になるべきだ」と述べ「金正恩同志の革命思想」という言葉を使った。

『労働新聞』は4月8日付の「朝鮮労働党第6回細胞書記大会2日会議おこなわれる-朝鮮労働党中央委員会政治局常務委員会委員で党中央委員会組織書記である趙甬元同志と党中央委員会書記が会議を指導」の記事でも「討論者は、わが党の末端基層組織である党細胞を総書記同志の革命思想と指導に一意専心で従う忠誠の前衛隊伍に強化して、党大会決定貫徹するための闘いで画期的前進を遂げる固い意志を披れきした」と報じ、討論者が「総書記同士の革命思想」という言葉を使ったと報じた。

『労働新聞』は2021年4月9日付の「朝鮮労働党第6回党細胞書記大会が閉幕-朝鮮労働党総書記である金正恩同志が綱領的な結語を述べる」の記事でも「大会の参加者は、総書記同志の革命思想と指導を忠実に支え、党細胞を党政策決死貫徹の前衛隊伍に打ち固めて全党の団結力と戦闘力を絶え間なく強化していくことに寄与するという非常に高い熱意に満ちていた」と報じ「総書記同士の革命思想」という表現を使った。

それ以前にも「金正恩同志の革命思想」という表現が使われた可能性はあるが、2021年以降の、この言葉の使われ方が明らかに一つの方向性を持っているように見える。

「金日成・金正日主義」と「金正恩同志の革命思想」

また、朝鮮中央テレビは2021年11月11日午後8時ニュースで、11月10日に行われた平安北道雲山郡の温泉を利用した保養施設「恩徳院」の竣工式を報じたが、画面では左側に「偉大な金日成・金正日主義万歳!」、右側に「偉大な金正恩同志革命思想万歳!」という赤字のスローガンが掲げられていた。

「偉大な金日成・金正日主義」と「偉大な金正恩同志の革命思想」が並列的に、同格で扱われていることに注目せざるを得ない。

金正日総書記の10周忌である2021年12月17日、平壌の金日成広場で中央追悼大会が行われ、崔龍海最高人民会議常任委員長が追悼の辞を読み上げた。崔龍海氏は追悼の辞の中で「革命思想」という言葉を3回使ったが、「金日成同志の革命思想」、「金正日同志の革命思想」、「金正恩同志の革命思想」と3代の最高指導者の革命思想を同列に表現した。

その上で「金正恩同志の革命思想でしっかり武装し、全党と全社会に党中央の唯一的指導体系をより徹底的に確立し、金正恩同志の構想と意図を一心同体となって忠実に奉じなければならない」とした。

これは金正恩党総書記の「革命思想」を、金日成、金正日両首領の「革命思想」と同等に扱い「金正恩同志の構想と意図を一心同体となって忠実に奉じ」ることを求めるものだ。

「全党、全社会を金正恩同志の革命思想で一色化しよう」

朝鮮中央テレビは2021年12月4日の午後8時ニュースで、平安北道で水飴などをつくる「8月草加工工場」の竣工式の様子を報じた。その画面では先述の保養所の竣工式と同じように左側に「金日成・金正日主義万歳!」のスローガンが、右側には「偉大な金正恩同志の革命思想万歳!」のスローガンが掲げられた。

さらに後ろの建物には「全党、全社会を金正恩同志の革命思想で一色化しよう」というスローガンが掲げられていた。

また2022年1月7日の朝鮮中央テレビも平安北道で党中央委第8期第4回総会の決議の貫徹のための決起大会が開かれたことを報じたが、この中でも「全党と全社会を金正恩同志の革命思想で一色化しよう!」の横断幕が掲げられていた。

平安北道で相次いで「全党、全社会を金正恩同志の革命思想で一色化しよう」というスローガンが登場したのに、どういう背景があるのか興味深い。

『労働新聞』は2021年12月5日付で「われわれ式社会主義の全面的発展は思想・技術・文化の三大領域における新しい革命である」と題した論説を掲載したが、論説は「全党と全社会を総書記同志の革命思想で一色化するのは、今日の思想革命の最も重要な課題である。総書記同志の革命思想を信念化、体質化するための思想教育を一瞬も中断することなくさらに攻勢的に展開し、大衆の精神力を引き続き高めていく時、社会主義建設のすべての戦線で新たな高揚が起き、絶えざる奇跡的成果が収められるようになるであろう」とし「全党と全社会を総書記同志の革命思想で一色化」が「今日の思想革命の最も重要な課題」とした。

さらに朝鮮労働党は2021年12月27日から31日まで党中央委員会第8期第4回全員会議を開催し、その結果を2022年元日に「報道」の形で発表した。

この報道の中に「人民軍は、全軍を党中央の革命思想で一色化し、党中央の指導に絶対忠誠、絶対服従する革命的党軍に強化するための活動を絶えず深化させ、訓練第一主義と武器、戦闘技術機材の経常的動員準備、鋼鉄のような軍紀確立に総力を集中しなければならない」という部分があった。

党中央委員会全体会議の結果を発表する「報道」で「全軍を党中央の革命思想で一色化」することが求められた。この「党中央」とは「金正恩総書記」のことであり「全軍を金正恩総書記の革命思想で一色化」することを求めたわけである。

朝鮮労働党は2021年1月に党大会を開催し、党規約改正でそれまでの「朝鮮労働党は偉大な金日成・金正日主義を唯一の指導思想とするチュチェ型の革命的党である」を「金日成・金正日主義はチュチュ思想に基礎を置き、全一的に体系化された革命と建設の百科全書であり、人民大衆の自主性を実現するための実践闘争の中で、その真理性生活力が検証された革命的で科学的な思想である。朝鮮労働党は金日成・金正日主義を唯一の指導思想とするチュチェ型の革命的党である。朝鮮労働党は全社会の金日成・金正日主義化を党の最高綱領とする」と改正した。つまり「金日成・金正日主義」がいかなる思想であるかを説明し、朝鮮労働党は「全社会の金日成・金正日主義化」が「党の最高綱領」であることをわざわざ書き加えたわけである。

しかし、2021年末に起きている現象は「金日成・金正日主義」が「唯一の指導思想」ではなく、「偉大な金正恩同志の革命思想」が登場し、「全社会の金日成・金正日主義で一色化」ではなく「全党と全社会を金正恩同志の革命思想で一色化」することを求めている。

「一色化」というのは一つの理念でなければならないことだが、北朝鮮で現在進行している現象は依然として「金日成・金正日主義」を中心的な理念としながらも「金正恩同志の革命思想」が急速に台頭している印象を与える。

「金日成・金正日主義」を純粋理念化し、「偉大な金正恩同志の革命思想」を実践理念と見る見方もあり得るが、これはやはり不自然だ。

北朝鮮の指導理念はまず「主体思想」が生まれ、金正日総書記がその「主体思想」を「金日成主義化」することで指導理念を統治理念に転化させた。あくまで「主体思想」が純粋理念であり、「金日成主義」は金正日総書記が自らの後継体制をつくるために統治理念化させた作業であった。

金正恩政権がスタートした際に「金日成・金正日主義」を指導理念としてスタートさせたが「金日成・金正日主義」とは何かという思想的な核は不在であった。それがために「自主」「先軍」「社会主義」というアイテムでその思想的な核を代弁させた。

一般的に考えれば、「金日成・金正日主義」の思想的な核は突き詰めれば「主体思想」と「先軍思想」だ。しかし、金正恩時代のこの10年の特色は「先軍」からの離脱であった。「先軍」は1990年代の苦難の行軍時期という「非常時」の思想であり、国家が正常化すれば思想も非常時の思想から離脱し、正常化しなければならない。「金日成・金正日主義」は金正恩政権が既に過去のものとして「歴史化」しようとしている「先軍思想」を内包したイデオロギーであり、国家を正常化させるためには「先軍」すなわち「金正日主義」は必要がなくなる。

さらに言うなら「金日成・金正日主義」は祖父と父の理念であり、金正恩氏の理念ではない。金正恩氏は自身の思想的な核を生み出さなければならない。おそらく、それは「人民大衆第一主義」であろう。

また、金正恩政権は「わが国家第一主義」を提唱し、それを定式化した際に、金正日総書記が提唱した「わが民族第一主義」を否定しなかったし、否定できもしなかった。金正恩政権が取った方法は「わが国家第一主義」は「わが民族第一主義」を昇華発展させたものだと定義することであった。

まだ作業は始まったばかりで、方向性は明確ではないが、「金日成・金正日主義」を「金正恩同志の革命思想」に昇華発展させようとしている可能性があるように見える。但し、「金日成・金正日主義」を「金正恩主義」に昇華発展するならば分かりやすいが、「金正恩同志の革命思想」への昇華発展は奇妙である。これは「金正恩主義」とする場合、「金日成・金正日主義」を否定して「金正恩主義」に塗り替える印象が生まれることを避けるためではないかとみられる。「金正日同志の革命思想」という言葉を使うことで、「金日成・金正日主義」との対立的印象を回避する狙いがあるのではとみられる。

また、「金正恩同志の革命思想」も「総書記同志の革命思想」とか「党中央の革命思想」とか言い方もされている。これも「金日成・金正日主義」との共存をしやすくするためであろう。

「人民大衆第一主義」のジレンマ

『労働新聞』など北朝鮮メディアの金正恩総書記に対する「首領」呼称の使用頻度はその時、その時でばらつきがある。北朝鮮住民にとって「オボイ(註:親の意味)首領さま」や「首領さま」は依然として金日成主席である。朝鮮中央テレビの住民インタビューなどを見ていても、金正恩総書記に対して「首領さま」の呼称を使う人はまだ、筆者は確認できない。北朝鮮住民にとっては、まだ金正恩氏は「元帥さま」「総書記同志」などが馴染み易いようである。

党機関紙『労働新聞』は2022年1月11日に「党中央の周りに千万が固く団結した一心団結の不敗の力でさらなる勝利を成し遂げよう」と題した社説を掲載した。社説は「全人民が首領の周りに一心同体となって固く団結し、首領の思想と指導に忠実に従うのはチュチェ朝鮮特有の誇らかな国風である。ただ首領だけを絶対的に信頼し従い、首領と思想と志、歩調を共にする偉大な団結の力があったのでわが革命は歴史の未踏の雪道を屈することなくかき分け、上昇一路をたどることができた。首領の指導に従って革命偉業の勝利のために不死身のようにたたかう人民には打ち負かせない強敵はなく、成せない大業はないということが長く久しい朝鮮革命史が教える高貴な真理である」とこの時期の社説では目立つほど「首領」を強調しながら、首領の周辺に団結することを訴えた。

さらに「金正恩同志の革命思想でしっかり武装しなければならない。金正恩同志の革命思想は、われわれの時代革命と建設の偉大な実践綱領である」とした。その上で「総書記同志の革命思想、偉大な闘争綱領があるのでわれわれの勝利は確定的であるという鉄石の信念を抱き、党の指した進軍方向に沿って前進また前進していかなければならない」とし「全党と全社会に党中央の唯一的指導体系をより徹底的に確立してわが革命隊伍を総書記同志と思想と志、行動を共にする一つの生命体に作らなければならない」とした。

さらに2022年1月25日、平壌で「金正恩同志の偉大さと不滅の業績を深く体得するための中央研究討論会」が開催された。金正恩氏の思想部門についての研究討論会が開催されたのはこれが初めてではないかとみられた。

研究討論会には李日煥党書記、姜潤石・最高人民会議常任委員会副委員長、ハン・チャンスン金日成軍事総合大学総長、キム・スンチャン金日成総合大学総長兼教育委員会高等教育相、シム・スンゴン社会科学院院長、リ・ソンハク副首相らが参加した。

研究討論会では、金正恩氏が「偉大な首領さま(金日成主席)と偉大な将軍さま(金正日総書記)の革命思想を金日成・金正日主義と定式化」し「全社会の金日成・金正日主義化をわが党と共和国政府の最高の綱領に、社会主義国家建設の総体的方向、総体的目標と打ち出すことによってチュチェ革命偉業の終局的達成を目指す進路を明示した」と称えた。

金正恩氏が打ち出した「人民大衆第一主義」と「わが国家第一主義」の意義を強調した。その上で「わが国家第一主義時代は、総書記同志が人民大衆第一主義を党と国家の政治理念と掲げ、わが共和国を尊厳ある人民の国に、思想的一色化が実現された一心一体の国としてより輝かしてくれることによって到来したチュチェ革命の新時代」であると「人民大衆第一主義」と「わが国家第一主義」の関係性を規定した。

さらに、金正恩氏が「誰も追いつくことができない大胆な度胸と卓越した指導で自衛的国防建設の急速な発展を導いてわが祖国の永久の安泰と未来をしっかり保証できる絶対的な力を与えてくれた」とし「いかなる高貴な代価を払ってでも、なんとしても強力な国家防衛力を築いてわが国の平和を守ろうとする鉄石の意志」を称えた。

この討論研究会の内容を見ても、北朝鮮がすぐに「金正恩革命思想」や「金正恩主義」に向かうのではなく、現時点では依然として「金日成・金正日主義」を最高綱領に掲げていることが分かる。

そして、金正恩氏の10年間の執権の思想・理論的成果として「人民大衆第一主義」と「わが国家第一主義」を「金日成・金正日主義」の両輪のような実理念としている枠組みを理解することができる。そして、それを支えている10年間の最大の業績として「国防力の強化」を挙げている。

2021年1月の第8回党大会の持つ大きな意味の一つは、金正恩氏がこれまで「永遠の欠番」としていた父や祖父と同じ「党総書記」の職責に就くことで、父や祖父と同じような指導者の地位に立つことであった。そして、それと相前後して、金正恩氏はわずか30代後半で生きながらにして「首領」の地位に就いた。「首領」の座に就くということは「新たな思想」の枠組みを要求される。金正恩氏は当面は「金日成・金正日主義」という最高綱領を維持しながらも、「人民大衆第一主義」と「わが国家第一主義」を両輪にして「金正恩同志の革命思想」を体系化する作業を進めているように見える。当面は2026年に予定されている第9回党大会までにこの作業がどこまで進むかだ。金正恩氏は執権10年で「唯一的領導体系の確立」という絶対的な権力強化には成功した。

北朝鮮はまだ「金日成・金正日主義」を指導理念とする位置付けを公式的には維持している。「金正恩同志の革命思想」への置き換え作業はまだ現在進行形であり、始まったばかりだ。定式化にはまだ時間が掛かるだろう。

「金正恩同志の革命思想」をより深い内容を持った思想化する作業がまだ不十分である。その中身の人民大衆第一主義とわが国家第一主義、国防力の強化をどのように関連させ、どのように位置付け、親人民的な思想として深化させるのかという作業にはまだ時間が掛かるだろう。

そして、何より、まだ「人民生活の向上」は実現していない。おそらく「金日成・金正日主義」を「金正恩同志の革命思想」に置き換えるには、その主たる思想的基盤が「人民大衆第一主義」である以上、「人民生活の向上」がどの程度実現するのかという問題と密接に関係するだろう。「国防力の強化」という成果だけでは「首領」の新たな思想は実現しない。「人民大衆第一主義」の最大の命題は「人民生活の向上」だ。これが実現してこそ、金正恩氏は「金日成・金正日主義」という父、祖父の思想的枠組みを抜け出し、自らの「革命思想」を定式化することが可能になる。強権を持って、それをやることは可能だが、「人民生活の向上」なき、「人民大衆第一主義」は人民の本当の意味での支持を得ないだろう。

党機関紙『労働新聞』は3月27日付社説「党中央の革命思想でしっかり武装し、徹底的に具現しよう」で「党中央の思想を漏れなく体得し徹底的に具現することは、全党と全社会に総書記同志の唯一的領導体系をさらに徹底的に確立するための必須の要求である」とし、金正恩党総書記の革命思想を体得することが、金正恩総書記の「唯一的領導体系」確立の必須の要求とした。その上で「総書記同志の革命思想は、われわれ式社会主義の全面的発展のための不滅の大綱領であり、わが人民の生と闘争の教科書である」とした。

さらに、金正恩党総書記は3月28日、朝鮮労働党第1回宣伝部門活動家講習会の参加者に「書簡」を送った。党宣伝扇動部門の活動家を集めて初めて行われた講習会は、北朝鮮の思想教育の重視を示すものであったが、金正恩氏は「書簡」で、党の思想宣伝を担当する党宣伝扇動部の動きが鈍いと批判した。

金正恩党書記はこの書簡で「全党と全社会を党中央の革命思想で一色化するということは一言で言って、党中央の思想と意図が社会の全ての構成員の闘争と生活を唯一的に支配するようにさせるということを意味する」と述べ、自ら「党中央(金正恩党総書記)の革命思想で一色化」する重要性に言及した。その上で「党中央の革命思想で全党と全社会を一色化する偉業は、思想活動において一大革命を起こすことを緊迫に求めている」と強調し、「党中央の革命思想で全党と全社会を一色化する」ことを要求した。この書簡でも「人民大衆第一主義」と「わが国家第一主義」の重要性が強調された。

李日煥党書記がこの講習会で報告を行ったが、報告は「全党と全社会を金日成・金正日主義化するのは現在、わが党の思想活動の基本任務であり、総体的目標である」と言明し、「党宣伝部門の活動家が金正恩総書記の革命思想で全党と全社会を一色化する聖なる偉業の遂行において前衛闘士になること」を強調した。

ここでは報告は党宣伝部門の活動家たちに「全党と全社会を金日成・金正日主義化する」ことを基本任務としながら、同時に「金正恩総書記の革命思想で全党と全社会を一色化する聖なる偉業の遂行」を求めている。「金日成・金正日主義」と「金正恩党総書記の革命思想」を対立的に捉えずに、金日成・金正日主義の上で、金正恩党総書記の革命思想による一色化があり得るように読み取れる。

朝鮮労働党第1回宣伝部門活動家講習会が3月30日に閉講したが、『労働新聞』は同31日付でこれを報じ、「講習では、全党と全社会を金正恩同志の革命思想で一色化することを党の思想活動の総体的方向、総体的目標としてとらえていくことについて強調された」とした。さらに「卓越した思想・理論活動で金日成・金正日主義の本質を人民大衆第一主義に定式化し、それに基づいて人民の理想社会を建設するうえで提起される理論的・実践的問題を全面的に明らかにした金正恩同志の革命思想で全党と全社会を一色化する活動の本質的内容と重要性について言及した」と整理した。

つまり、「金正恩同志の革命思想」とは「金日成・金正日主義の本質」である「人民大衆第一主義」を建設するための「理論的・実践的問題を全面的に明らかにした」ものであると位置付け、党の思想活動を「金正恩同志の革命思想で一色化」する方向で推進していくことを確認したわけだ。

その上で「わが党の思想活動は、全人民を首領の革命思想で武装させて社会主義政治・思想陣地をうち固め、大衆の精神力を高く発揚させるための活動だとし、現時期、党の思想活動で堅持すべき原則と課題を具体的に解説した」とした。

さらに「全国が党中央と思想と志、行動を共にする一つの生命体になるようにすることに党の思想活動の火力を総集中させ、このための段階別計画を具体的に立て、すべての工程と契機に徹底的に具現すべきだと指摘した」というのは、金正日総書記が提唱した社会政治的生命体論と重なり合う主張だ。

そして「全社会の金日成・金正日主義化綱領宣布10周年になる歴史的な年に開かれた朝鮮労働党第1回宣伝部門活動家講習会は社会主義建設の新しい発展段階の要求に即して党の思想活動を根本的に革新してチュチェ革命の勝利的前進を力強く促すうえで画期的意義を持つ重要な転換の里程標になった」とした。

こうした報道を見れば、朝鮮労働党の当面の目標は「金正恩同志の革命思想」で社会を「一色化」することだが、それは「金日成・金正日主義」の枠組の中での作業としているように見える。

「偉大な金正恩同志の革命思想で徹底的に武装しよう!」

党機関紙「労働新聞」は2022年4月4日付1面トップに「偉大な金正恩同志の革命思想で徹底的に武装しよう!」と書かれたスローガンの写真を掲載し、その下に「党中央の革命思想を満装弾する時、できないことはない」と題した論説を掲載した。『労働新聞』が「金正恩同志の革命思想」のスローガンを一面トップの写真で掲載するのは初めてではないかとみられた。

この論説は「偉大な金正恩同志の革命思想で徹底的に武装しよう!」、「偉大なわが国家の富興のための闘争、社会主義建設の全面的発展のための果敢な攻撃戦が力強く繰り広げられる全国どこでも見られるこの信念のスローガン」と述べ、この時点で、このスローガンが全国どこでも見られるスローガンになっているとした。

論説は「試練に打ち勝ち、奇跡的勝利だけを収めてきたこれまでの10年間、偉大な党中央の革命思想が千万の心臓の中に血のしずくのように流れ込んだ」とした。「今のような困難な状況と環境で」、試練に打ち勝ってきたのは「金正恩同志の革命思想」のおかげだと主張した。「偉大な金正恩同志の革命思想こそ、無から有を創造し逆境を順境へと手なずけ、勝利と栄光の一路にだけ力強く進むことができるようにする輝かしい灯台であり、万能の宝剣である」とした。

『労働新聞』4月8日付論説「敬愛する総書記同志の革命思想は勝利と繁栄の新時代を開く偉大な力である」は、金正恩氏が2012年の金日成主席誕生100周年の演説で「自主の道、先軍の道、社会主義の道」に言及したことを記しながらも、この10年で示した偉大な思想の提示は「自主の道」、「社会主義の道」を挙げ、「先軍の道」を落とした。そして「金日成・金正日主義は本質 において、人民大衆第一主義であると定式化した」こと、「人民大衆第一主義」について「わが祖国を年代と年代を飛び越えて世紀的変革を成し遂げる奇跡の国、不敗の強国へと転変させる独創的な思想が生れた」と称えた。

そして「深奥な思索と探究、精力的な思想・理論活動で、金日成・金正日主義の宝物庫を絶えず豊富にしたその業績」を称え、金正恩氏の活動は「金日成・金正日主義の宝物庫」を埋めるものであり、「金日成・金正日主義」の枠組みの中での活動という位置付けをした。

「金正恩同志の革命思想で一色化」を信念のスローガンに

平壌では2022年4月10日「敬愛する金正恩同志がわが党と国家の最高首位に推戴された10周年慶祝中央報告大会」が開催され、会場の4・25文化会館には金正恩氏の大きな肖像画が掲げられた。金日成主席や金正日総書記の肖像画はなかった。金正恩氏は参加しなかった。

崔龍海党政治局常務委員が「偉大な金正恩同志の思想と指導を体してチュチェ革命偉業を最後まで完成させよう」と題した報告を行った。

崔龍海常務委員は報告で「敬愛する総書記同志は、偉大な金日成・金正日主義を党の永遠なる指導思想と、全社会の金日成・金正日主義化を党の最高綱領と宣布して朝鮮労働党の建設と活動の不変の指針を確立し、朝鮮労働党の血脈を千秋万代つないだ」と、「金日成・金正日主義」を「党の永遠なる指導思想」とし、「全社会の金日成・金正日主義化」を「党の最高綱領」としたことを業績として称えた。

「偉大な金日成・金正日主義の本質を人民大衆第一主義と規定」し「わが党は、人民大衆の心の中に深く根をおろし人民大衆と渾然一体を成した党へとより強化発展された」とした。

そして「新たな並進路線」で「国家核武力完成の歴史的大業をついに実現した」とした。

また「敬愛する総書記同志が、並進路線の偉大な勝利に基づいた大胆な路線転換と絶妙で攻撃的な外交戦略で大国との関係を新たに定立し、敵対国でさえわが国家と人民を尊重するようにしたことは、世の中が驚嘆する不滅の功績である」とし、2018年からの首脳外交を称えた。

その上で「われわれは全党と全社会を金正恩同志の革命思想で一色化しようという信念のスローガンを高く掲げて、わが党と革命隊伍を総書記同志と思想と志、息づかいと歩調を共にする思想的純潔体、組織的全一体にうち固めなければならない」とし、全党と全社会を「金正恩同志の革命思想で一色化」して「組織的全一体」に打ち固めようと訴えた。

そして「われわれ式社会主義の政治的・思想的優越性と人民的性格を高く宣揚させ、自立、自力の旗の下に、経済建設全般を持続的に上昇させ、人民に裕福で文明的な生活を抱かせるための活動を力強く推し進めてわが国家第一主義時代を万邦に輝かして行くべきである」とした。

党機関紙「労働新聞」は4月19日には「党中央の革命思想で全党と全社会を一色化するための思想攻勢を強く展開しよう」と題した社説を掲載し、金正恩同志の革命思想で全党、全社会の一色化を訴えた。

社説は、金正恩党総書記が朝鮮労働党第1回宣伝部門活動家講習会に送った書簡で「党中央(金正恩党総書記)の革命思想で全党と全社会を一色化することを「わが党の思想活動の基本的任務」として提示したとした。

こうした動きを見ると、現時点では北朝鮮は「金日成・金正日主義」というテーゼを維持しながら、そのテーゼの中で「金正恩同志の革命思想」で全党、全社会を一色化するという動きを強めている。これが将来、「金日成・金正日主義」を歴史化し、「金正恩同志の革命思想」もしくは「金正恩主義」に置き換わるのかどうかはまだ不透明だ。当面は2026年にも開催されるとみられる第9回党大会に向けて、次第に「金正恩色」を強めていくものとみられる。「金正恩同志の革命思想」や「金正恩主義」への置き換えは、前述のように、やはり北朝鮮住民が「人民生活の向上」を実感できるような状況を生み出せるかどうかに掛かっているといえそうだ。

(2022年6月22日校了)




1 本稿は韓国の統一部が支援し、慶南大学極東問題研究所が運営する「2021統一学学術交流支援事業―北韓統一学支援研究フェローシップ」により筆者が執筆した論文「金正恩時代の指導理念の変遷について」の「第10章」と「追記」の部分を加筆、補筆したものである。