国問研戦略コメント

国問研戦略コメント(2020-15)
核兵器禁止条約の発効
—核軍縮の再活性化に向けた課題

2020-10-26
戸﨑洋史(日本国際問題研究所 軍縮・科学技術センター主任研究員)
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「国問研戦略コメント」は、日本国際問題研究所の研究員等が執筆し、国際情勢上重要な案件について、コメントや政策と関連付けた分析をわかりやすくタイムリーに発信することを目的としています。


2020年10月24日、ホンジュラスが核兵器禁止条約(TPNW)の批准書を寄託したことで、批准国は50カ国を超えた。これによりTPNWは条約第15条に基づき、90日後の2021年1月22日に発効する。2017年7月に国連総会で122カ国の賛成により採択され、同年9月に署名開放されたTPNWは、締約国による核兵器の(a)開発、実験、生産、製造、取得、保有、貯蔵、(b)移転、(c)受領、(d)使用または使用の威嚇、(e)禁止された活動の援助、奨励、勧誘、(f)禁止された活動に係る援助の要求・受諾、(g)領域内などへの配置、設置または配備の禁止(第1条)を義務づける、初の条約である。

その策定を主導した賛同国や核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)などNGOの条約成立時の熱気を考えれば、発効までには少々時間を要したようにも思われる。また、本稿執筆時点での署名国も84カ国にとどまり、さらに採択に賛成したスウェーデンやスイスは現時点では署名しないとの方針を明言している。それでも、中距離核戦力(INF)条約の終焉や新戦略兵器削減条約(新START)延長問題の難航をはじめとする核軍縮を巡る厳しい状況とも相俟って、TPNW賛成派は条約の発効を機に、締約国の拡大に向けた取組と国際的・国内的な世論の再活性化を図っている。

その条約賛成派が当面の重要な目標の一つと位置づけるのが、核兵器国と同盟関係にあり、拡大核抑止(核の傘)を供与される日本など非核兵器国(「核傘下国」)によるTPNWへの署名である。核傘下国は核保有国とともに条約交渉に参加せず(オランダを除く)、一貫してTPNWには加わらないことを明確にしてきたそうした核傘下国による署名が行われれば、それまで核抑止力に依存してきた国による核兵器の禁止規範の受容を意味することとなる。条約賛成派はこれにより、核保有国に対する核兵器廃絶の国際的な圧力が一層強まることを期待している。2020年9月にはICANのとりまとめにより、米国と同盟関係にある非核兵器国の元首脳・外相や北大西洋条約機構(NATO)元事務総長など56名が、TPNWへの参加を求める公開書簡を公表した1


日本は、国際的・国内的な世論の高まりを受けて、対人地雷禁止条約(オタワ条約)およびクラスター弾禁止条約(オスロ条約)という、人道主義に立脚して特定の兵器の禁止規範を法典化した2つの条約への参加を政治決断した経験がある。長い海岸線を持つ日本は、対人地雷およびクラスター弾を、外敵からの侵攻を効率的に阻止するうえで国家安全保障上重要な兵器と位置づけ、当初は両条約交渉で反対の立場をとった。しかしながら、冷戦後のアフリカやアジアなどでの内戦や地域紛争で、さらにはその終結後にこれらの兵器で多くの市民が犠牲となるなかで、そうした「非人道的」な兵器を全面的に禁止すべきだとの世界的・国内的な議論や世論が高まり、これが禁止規範として急速に醸成・受容されていき、日本も最終的にこれを受け入れるに至った。

しかしながら、少なくとも予見しうる将来において、日本がオタワ・オスロ両条約と同様にTPNWへの参加を政治決断するとは考え難い。日本がTPNWに参加しない最も重要な理由は、「核兵器の脅威に対しては、核抑止力を中心とする米国の拡大抑止が不可欠であり、その信頼性の維持・強化のために、米国と緊密に連携していく」(2015年「国家安全保障戦略(NSS)」)という安全保障政策の根幹の一つと齟齬をきたすためである。上述のようにTPNW第1条では、「禁止された活動に係る援助の要求・受諾」を禁止しており、締約国が核保有国による拡大核抑止の供与を要求・受諾することは条約違反となる。

条約賛成派が論じるように、日本がTPNWに加盟したとしても、核抑止への依存を放棄すれば米国との同盟関係を継続でき、その通常戦力による拡大抑止を享受し得る。しかしながら、日本を取り巻く安全保障環境を考えれば、現時点ではそうした安全保障政策の大きな変更を決断することはできない。第一に、日本は北朝鮮、中国およびロシアという核兵器を保有する国々に囲まれており、力の移行(power transition)にともなう大国間・地政学的競争が顕在化し、北東アジアの安全保障環境も不安定化・不透明化を強めなかで、それらの核保有国は核抑止力を従前以上に重視している。こうしたなかで、日本が仮にTPNWに加盟したとしても、これらの国々は、日本との間に安全保障上の争点が残る限り、核兵器の廃絶はもちろん、日本に対する核の脅威を低減・除去するとは考えにくい。第二に、拡大核抑止と、代替手段を検討し得る対人地雷やクラスター弾との間には、安全保障上の重要性に格段に差がある。日本が直面する核の脅威に対して拡大核抑止に替わる効果的な非核の抑止力、あるいは地域の安全保障システムを確立することは難しい。第三に、仮に日本が拡大核抑止を放棄すれば、敵対国は米国の核抑止力に留意することなく日本に対する挑発行為を強めていくかもしれない。第四に、「核」化された北東アジアにおいて、米国に通常戦力だけで日本を防衛するよう求めれば、米国は核の脅威への対応を含め自軍への大きな不利を被りかねないと考え、日本との同盟関係そのものを見直す可能性も排除できない。


言うまでもなく、広島・長崎の原爆投下を経験した日本は、核兵器の非人道性を世界で最も認識する国の一つである。また20世紀後半、とりわけ冷戦終結以降は、国際社会における受容の度合いが深化した人道主義を正面から捉える形で、特定の兵器の法的禁止を求める主張が展開されてきた。上述のオタワ・オスロ両条約がその代表的な事例だが、フィン(Beatrice Fihn)は、「核兵器の非人道性」についても、核兵器国に核軍縮の実施を迫る手段としてのフレーズではなく、安全保障政策における人道主義の重要性の高まりという新時代の到来を反映するものだと論じている2

しかしながら、人道主義だけでオタワ・オスロ両条約が成立したわけではない。対人地雷やクラスター弾に係る禁止規範の収斂・受容には、対象となる兵器の安全保障上の重要性や軍事的有効性が相対的に低いこと、他の兵器による代替が可能であること、法的禁止への不参加国・違反国の存在―たとえばオタワ・オスロ両条約には、米中露など軍事大国が加盟していない―が締約国の国家安全保障に必ずしも重大な影響を与えるわけではないこと、といった要因も働いていたと考えられる。

歴史的に見ても、国際規範の確立は多くの場合、国家安全保障の基盤を浸食せず、国際秩序を損なわない程度において、初めて実現してきた。人道的アプローチからの核軍縮の推進にも、同時に国家安全保障の側面からの裏打ちが必要であり、核兵器については、少なくとも現時点ではそうした状況にはない。また核兵器は、仮に使用された場合には甚大な影響が想定されるがゆえに、第二次大戦後の国際秩序、とりわけその最重要課題である大国間戦争の再発防止に少なからず寄与してきたとも論じられている。これに対して、「核兵器のない世界」でも国際秩序が維持できるとの確証は、依然として得られていない。核保有国・核傘下国の間で、核兵器禁止規範の受諾が可能になるような、国家安全保障における核兵器の重要性に係る根本的な認識の変化が生じる可能性は、少なくとも現状を見る限りでは高くはない。このことは、核兵器に係る禁止規範の世界的な確立と受容が一足飛びには実現しないことを意味している。


無論このことは、日本を含む核保有国・同盟国が核兵器の非人道性や禁止規範の発展を考慮せずに、それぞれの核問題に関する政策を追求し続けるべきだということを意味するものではない。核兵器が実際に使用されれば非人道的な惨劇をもたらす公算が高いことは事実である。また、核兵器の廃絶も視野に入れた核軍備管理・軍縮の大幅な進展には、核兵器の必要性を大きく低減するような安全保障環境の改善に加えて、核兵器禁止規範の世界的な受容が不可欠である。さらに言えば、TPNWは、核軍備管理・軍縮が2010年4月の米露新START成立以降は停滞・逆行し、核保有国が核抑止力への依存を高めてきた状況への深い失望と強い不満の高まりを背景に成立したことにも留意すべきである3

条約反対派からは、TPNWがNPTの実効性を将来的に脅かす可能性への懸念が提起されている。賛成派はそうした可能性を繰り返し否定しているが、NPTの下で核軍縮が進まないのであれば、NPTを完全に放棄してTPNWを支持すべきだと論じる専門家もみられる4。多分に核保有国に核軍縮を迫る「牽制球」なのであろうが、これが現実となれば、核不拡散、核軍縮および原子力平和利用を三本柱とし、ほぼ普遍化したNPTという、核不拡散体制の礎石が大きく損なわれる。また、5核兵器国が核軍縮へのコミットメントを行うのはNPTの他にはない。その意味でも、核軍縮におけるNPTの重要性は、TPNWの成立にかかわらず低下しないことは強調されるべきである。

同時に、核軍備管理・軍縮の再活性化と、そのための具体的な行動の責任は、核抑止に安全保障を依拠している国の側にある。だからこそ、抑止と核軍備管理、ならびに安全保障と規範のあるべきパランスを注意深く見極めつつ、核兵器に関して核保有国・同盟国及び他の非核兵器国が合意でき、安全保障に裏打ちされた受け入れ可能な規範とこれを具体化する措置を確認し、それらをわずかずつでも拡大していくための取り組みが必要である。

そのためには、TPNW賛成派と反対派の間の議論が不可欠である。TPNWの成立は、賛成派と反対派の間の核軍備管理・軍縮を巡る亀裂を拡大させたが、それは同時に核軍備管理・軍縮に関する議論を喚起するものともなった。そうした議論の場として、条約賛成派が提案しつつあるようなTPNW締約国会議(発効後1年以内に第一回締約国会議が開催されることが定められている)が適当であるかは分からない5。核保有国や日本を含む同盟国をオブザーバーとして招請するとしても、締約国はオブザーバー国に何を求めているのか、オブザーバー国にどのような発言・機論の機会があるのか、締約国とオブザーバーの間で建設的な議論が成立するような会議になるのか、現時点では明らかではない。

他方で、議論の機会はほかにも少なからずある。日本が主催した「核軍縮の実質的な進展のための賢人会議」や、米国のイニシアティブによる「核軍縮環境創出(CEND)作業部会」は、その端緒であった。また2021年には、延期されていたNPT運用検討会議が開催され、TPNWに賛成する非核兵器国と、これに反対する5核兵器国・同盟国が一堂に会する。現在の安全保障環境を考えれば直ちに結果に結びつくとは楽観視し得ないが、核軍備管理・軍縮の再活性化に不可欠な第一歩として、そこでの賛成派・反対派による真剣な議論が改めて求められる。



1 "Open Letter in Support of the 2017 Treaty on the Prohibition of Nuclear Weapons," September 21, 2020, https://d3n8a8pro7vhmx.cloudfront.net/ican/pages/1712/attachments/original/1600624626/TPNW_Open_Letter.pdf. 日本からは鳩山由紀夫元首相、田中真紀子元外相および田中直紀元防衛相が加わった。
2 Beatrice Fihn, "A New Humanitarian Era: Prohibiting the Unacceptable," Arms Control Today, Vol. 45, No. 6 (July/August 2015), http://www.armscontrol.org/ACT/2015_0708/Features/A-New-Humanitarian-Era-Prohibiting-the-Unacceptable.
3 Ray Acheson, "The Nuclear Weapons Ban and the NPT," Bulletin of the Atomic Scientists, June 15, 2017, http://thebulletin.org/nuclear-weapons-ban-and-npt.
4 Joelien Pretorius and Tom Sauer, "Is it time to ditch the NPT?" Bulletin of the Atomic Scientists, September 6, 2019, https://thebulletin.org/2019/09/is-it-time-to-ditch-the-npt.
5 締約国会議は、この条約の適用と履行に関する事項ならびにさらなる核軍縮のための措置について議論する場と定められており、とりわけ、(a)「条約の履行および締結状況」、(b)「検証の下で期限のついた不可逆的な核兵器計画の廃棄のための措置。条約への追加議定書を含む」、(c)「その他の事項」が、議題として明示されている(第8条1項)。