コラム

「ポスト・プーチン」体制の展望~モスクワでの取材を踏まえて

2007-04-23
猪股浩司(主任研究員)
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ロシアでは、2008年3月に、プーチン大統領の後継者を決める大統領選挙が行われる。それに先立つ2007年12月には、この大統領選挙の前哨戦となる下院議員選挙が行われる。いずれの選挙もまだ先の話であるとはいえ、選挙に向けた態勢構築に必要な準備期間のことを考慮すれば、実質的にはそう多くの時間が残っているわけではない。さて、3月末に遡るが、筆者は、モスクワを訪れ、いくつかの研究機関や報道機関の有力者にインタビューを実施する機会を得た。インタビュー全体を通じ、彼らの間にある種の共通認識のようなものが感じられたが、それを踏まえて、以下、「ポスト・プーチン」体制の展望について簡単に述べてみたい。

そもそも、「ポスト・プーチン」体制を構築する上での鍵は何なのだろうか。現在のプーチン政権が、プーチン大統領を頂点に、メドベージェフ第一副首相、イワノフ第一副首相、セーチン大統領府副長官、イワノフ大統領補佐官ら少数の側近によって事実上運営されていることには、まず異論がない。また、これらの各派閥が「ポスト・プーチン」体制下での政治的影響力と経済的権益の確保を模索していること、こうした動きに産業界や政府機関などが複雑に関与していることも、同様である。こうした中で、「ポスト・プーチン」体制を構築する上で最も注意が払われていることは、恐らく、「ポスト・プーチン」体制下においてプーチン大統領自身のそれを含め、これら側近集団の権益をいかに調整するか、という点である。何しろ、プーチン体制下で推進されたオリガルヒ(注1)の取り締まりや資源産業への国家管理の強化などは、ロシアの国家体制を安定させる一方で、プーチン大統領自身を含む少数の政治エリートを特権階級化させてしまった。彼らは、既に資源や軍事、運輸、通信などあらゆる業界と密接な関わりを持っており、こうした状況を彼らが進んで壊すことは想定できないというべきである。これについては、ロシアにはもともと「専制の伝統」ともいうべき風土があって、国民の政治意識が低いことも、踏まえておいてよいだろう。ロシアでは、基本的に国民は「国家運営の主体」ではなく、政治エリートによる「国家運営の客体」なのである。

(注1)エリツィン大統領時代の大規模民営化に乗じて莫大な蓄財をなし、政治的影響力さえ有するに至った新興財閥。政商ともいわれる。英国亡命中のベレゾフスキー、有罪判決を受けて服役中のホドルコフスキーなど。なお、オリガルヒの中には、プーチン大統領に恭順の意を示し、政権との関係を良好に保っている者もいる。

その延長線上で考えれば、次期大統領も基本的には少数の政治エリートの「談合」の結果誕生するに過ぎず、誰が大統領になろうが政治の大きな変化は望めないと判断するしかない。換言すれば、大統領選挙の行方自体はさほど決定的な問題ではないとさえ、いい得るのである。もちろん、例えば仮にメドベージェフ第一副首相が大統領になれば、彼の一派が大きな力を持つことにつながる。しかし、上に述べたようなことから、恐らく、特定の人物ないし一派に強力な権力が集中するような体制は、慎重に回避されるのではないかと推察される。このことは、「元大統領」となってしまうプーチン大統領にとっても、重要な意味がある。引退後のことを考えると、後任大統領があまりに強大化することには、彼にとっても不安があるに違いない。むしろ、プーチン大統領としては、権力が極度に集中しない体制の方が、大統領を退いた後も自身が政治エリートの調整役として振舞える余地が残る観点から、好ましいだろう。プーチン大統領が政界から完全に引退すると予想する向きは、少ないようである。

こうした状況の中で、「ポスト・プーチン」体制の具体的な形についてクレムリンの奥で模索が続けられているのが、今の段階であると推察される。「ポスト・プーチン」体制の構築に関し、事態は非常に複雑かつ流動的であって、それは例えば「シロビキ派とリベラル派の主導権争い」という単純なものではない。いずれにせよ、「ポスト・プーチン」体制が具体的にどのようなものになるかは、12月の下院議員選挙が迫る今秋を待たなくては、様子が見えてこないだろう。

さて、こうしてみると、ロシアの政治は、いかにも非民主的にみえる。複数政党の存在、自由選挙の実施など、形式的には民主主義的な体裁が採られているが、西側先進国の視点からすれば、それはかなりの部分で骨抜きになっている。これこそ、まさに野党勢力が批判する点である。しかし、こうしたことも、ロシア固有の事情を考えると、やむを得ない部分が相当あるように思われる。今のロシアは、帝政ロシア、社会主義ソビエトを経て、わずか15年前に「にわか民主主義国家」として誕生したものに過ぎない。その15年間においてさえ、ホワイトハウス砲撃やルーブル危機など(注2)、多くの困難を経験しつつ、新しい国家体制の構築が模索され続けてきた。そしてそれは、今も終わっていない。こうした中で国家を建設していくに当たっては、程度の問題こそあれ、権力による管理もある程度はやむを得ないのではないだろうか。民主主義は、理念としては普遍的だが、適用においてはかなりの部分で個別的である。西側先進国的な自由や民主主義が根付く土壌がロシアにはないという事情を踏まえず、殊更に「ロシアの非民主性」ばかりを強調するとすれば、それは確かにインパクトがあって俗耳に入り易いが、客観性を欠くと同時に非建設的なものであろう。

(注2)1991年の新生ロシア誕生後、1993年には議会とエリツィン大統領が対立し大統領は議会(通称「ホワイトハウス」)を砲撃、武力で議会側を鎮圧した。また、1998年にはルーブルが暴落し、ロシア経済は大混乱した。

ところで、「ポスト・プーチン」体制の構築に向けた動きが水面下で進む中、モスクワなど4月14日に野党勢力による「反プーチン集会」が行われ、デモ参加者の一部が治安部隊によって逮捕されたことが、我が国でも報じられた。これは、「反プーチン」の大きな流れを生む契機になるのだろうか。また、これは「プーチン政権が武力によって言論を封殺した」ものなのだろうか。結論からいえば、恐らくいずれも「否」である。プーチン大統領は、もちろんこれを批判する勢力は存在するが、今も概ね70%以上という高い支持率を得ている。千人規模の集会は確かに大規模ではあるが、それもロシアの有権者全体からみればごく小さなものでしかないことは明白である(注3)。他方、治安部隊によるデモ鎮圧については、詳細な事実関係はなお不明ながら、集会参加者の一部が無許可デモという挑発的な動きに出たこと、この行動の背後に「黒幕」の存在が見え隠れすることなどを念頭に置かなければならない。無論、治安部隊の武力が行使され、結果として被逮捕者が出ることは好ましくないが、事態の評価を下すには、事態の背景の客観的な観察が不可欠である。

(注3)ロシアでのデモも、とかく刺激的に報じられがちである。2005年1月、年金生活者らの特典を廃止し代わり現金を支給する法律(「特典現金化法」)が施行された際、これに反対する大規模デモがロシア各地で行われ、「プーチン体制の危機か」との見方も示された。しかし、プーチン大統領の支持率の一時的低下があったのみで、事態は平穏裡に収束した。

それにしても、ロシアでは、「ポスト・プーチン」体制の構築に向けた動きが進む一方で、国にとって最も大切な諸問題は、事実上先送りされてしまっている。「ポスト・プーチン」体制に関して最も懸念されるのは、恐らくこのことであろう。今のロシアの経済成長が基本的に「石油バブル」であることは、いうまでもない。ロシアでは、これまで、産業を育成し資源依存型の経済構造から脱却すべき必要性が繰り返し指摘されてきたが、結局、明確な対応策は採られてこなかった。また、外国からの投資を呼び込むにも法制度の整備は遅れており、官僚の汚職や貧富の格差といった社会生活上の問題も解決には遠い。「ポスト・プーチン」体制では、ロシアは否応なしに、こうした問題に取り組まなければならない。