コラム

ロシアの基本的外交姿勢~「ロシア連邦外交政策概観」を読む

2007-04-26
猪股浩司(主任研究員)
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4月24日、エリツィン元ロシア大統領が死去した。このこととの関連で、ロシアはエリツィン時代にまがりなりにも民主主義体制に踏み出したものの、プーチン大統領の強権支配の下でソ連時代に逆戻りしている、との見方がいくつか示されている。その延長線上でか、ロシアの外交も、「エネルギーを武器に各国を恫喝」、「ソ連型大国主義の復活」などと見られがちなようである。なるほど、良くも悪くも膨大な情報が氾濫する今、分析のための材料の取り上げ方と組み上げ方によっては、そういう結論も導かれ得よう。しかし、実際のロシア外交は、はたしてそんなに危険なのだろうか。
さて、一ヶ月ほど遡るが、3月27日、ロシア外務省は「ロシア連邦外交政策概観」(以下「概観」と略)を発表した。「概観」は、ドクトリン的な性格を持つ「ロシア連邦外交政策概念」とは異なり、位置づけとしては参考的なものではある。しかし、「概観」も、国際情勢に対するロシアの認識やロシアの外交方針が包括的に記載されている公式文書に他ならず、軽視してよいというものではない。以下、「概観」を簡単にみてみたい。

まず、「概観」の大意は、次のようなものである。
「国際政治におけるエネルギーの重要性が増大し、ロシアの国際的地位が向上した。強く、自信に満ちたロシアは、今日の世界発展における重要な構成要素である。世界では、新たな挑戦と脅威との戦いという旗の下で、『一極支配』を創出し、他国に対し、その歴史的・文化的・地域的特性を無視し、自らの政治システムと発展モデル、国際法の原則の勝手な解釈と適用を強要する試みが続いている。『冷戦勝利症候群』とでも呼ぶべき、惰性的で一方的な反応が見受けられるが、これは、西側の影響圏を不断に拡大しようという政策に関係している。こうしたことが国際テロとの戦いを背景に生じていることは、情勢を一層複雑にしている。『一極世界の神話』は、イラクにおいて最終的に崩壊した。そうした中、世界情勢に格別の責任を負う先進国による集団指導に対する要求が高まっている。そうした情勢の中で、国際世界におけるロシアの役割と責任は増大した。ロシア外交の近年における主要な成果は、ロシアが外交上の独自性を取り戻したことである。

多国間外交について述べる。国連は、多角的外交のための主要な要素である。ロシアは国連改革の必要性を認識しているが、そこで重要なのは、国連の効率性の向上である。これは、幅広い加盟国の合意によってのみ可能である。G8についてであるが、ロシアにとってG8への参加は、国際世界の多角性の原則を強化する上で重要である。ロシアの参加によって、G8は、『西側先進国クラブ』から『多様な諸国を代表する機構』へと変質した。ところで、国際問題処理のために武力を行使する傾向が顕著になり、大量破壊兵器不拡散を口実にした内政干渉の危険性も増大した。こうした状況では、ロシアも安全保障のあり方について考えざるを得ない。

中東情勢などの危機的状況は、政治的・外交的な解決が不可欠である。武力行使は、国連憲章によって採られるべき例外的措置でしかない。イラク情勢は危機的であり、国家崩壊の危険すら存在する。米国の軍事冒険主義は誤りだった。国際社会は、広範な国民合意の達成を目指すべきである。こうした中、ロシアは、イラクに関する国際会議の招集を提案している。イランについては、核問題に対するイランの姿勢は非建設的だけれども、外交努力によって問題解決を目指すべきである。イランに対する米国の圧力からは、米国流の二重基準の適用が疑われる。

地域別外交について述べる。まず、CIS諸国との関係は、ロシア外交の主要な優先事項である。ここでのロシアの関心は、不法移民と組織犯罪の問題を含む安全保障、及び経済問題に集中している。CIS諸国との経済関係は、これを市場ベースに移行すべき時期にきている。政治によって押し付けられた資源輸出価格は非建設的だ。経済問題の政治問題化を避ける工夫が必要である。欧州との関係は、EUとの関係が極めて重要である。ロシア・EU関係は、幅広い分野において建設的に推移している。2007年12月1日にロシア・EUパートナーシップ協定の有効期限が満了するが、それに代わる基本文書の調印が重要である。ロシアの安全保障に特別な意義を持つNATOについては、ロシア・NATO理事会を通じて双方の関係が進展しているものの、NATOのグルジアとウクライナの早期受け入れ計画やルーマニアとブルガリアへの軍配備などは、ロシア・NATO関係を複雑にした。NATOは、他の諸国や機構と平等に付き合う姿勢を示すべきである。

ロ米関係は、重要な共通利益と深刻な不一致を併せ持つ複雑なものである。ロ米関係における困難は、米国がロシアとの関係を主従関係的なものにしようとしていることに起因する。国際秩序を一極とみる米国と、これを多極とみるロシアの間には、食い違いが存在する。しかし、この食い違いは、ロ米関係を対立に向かわせるものではない。近年、ロ米関係は、こうした問題こそあれ、肯定的な方向に発展しているのである。イデオロギーの競合は、世界史における普通の出来事でしかない。ロシアは、平等互恵を原則とした対米関係を望んでおり、ロシアが国際問題で自己の見解を述べるのは、ごく当たり前のことである。両国首脳の間の高度な信頼関係は、両国関係における最重要の政治的資源となっている。

アジア太平洋地域は、世界経済の牽引車であり、非常に重要である。この地域の世界への影響力は、必ずや増大する。また、統合の急速な進展もこの地域の特徴である。中でも、かつてないほどの高みに達したロ中関係は、国際政治の重要な要素である。中国との関係では、これを拡大させる路線の中で、ロシアが得るべき現実的利益を増大させることを最重要視しなければならない。イランとの関係は、輸送、通信、エネルギーなどの貿易経済分野において、ロシアの国益に合致する。様々な分野でのロシアとイランの協力の発展は、イランの核計画をめぐる情勢にかかっている。イランとの関係では、イランにおけるロシアの国益を保証するとともに核不拡散体制の崩壊を許さないような、バランス政策を採る必要がある」

(「概観」は、さらに、中東・アフリカ外交、ラテンアメリカ外交、経済外交と人権問題、外交を保証するリソースなどについて述べるが、紙面の都合上、「概観」が経済外交において指摘する点から二つを記すにとどめる。即ち、「概観」は、世界経済において中国やインドといった国々が新たな主要プレイヤーとして登場しつつあり、ロシアにとってもこれら国々との間で競争が生じていること、世界経済においてエネルギーの占める地位が高まっており、ロシアはエネルギーを開発し続けるとともにエネルギー市場における安定したパートナーとしての評価の確立に努める考えであること、などを説明している)

以上のように、「概観」は、最近の世界情勢を「米国一極支配体制」の誤りと失敗、及びその裏返しとしての世界の多極化と多角的外交の重要性の高まりであるとみつつ、そうした情勢を背景に国際社会での責任ある大国」としてのロシアの地位向上があるとの認識を示している。「概観」が、多国間外交について、国連、G8、テロ対策、軍縮などを取り上げ、国際問題の解決は多国間対話によるべきこと、米国による「力の外交」が誤りであること、ロシアが多国間対話の重要性を踏まえて国際上の諸問題に取り組んでいることなどを説くのも、そうした認識に沿うものである。こうしたロシアの姿勢は、北朝鮮問題やイラン問題などからも看守される。

また、「概観」は、地域別外交について多くの地域や国々を挙げて個別に論じているが、そこから窺えるのは、いずれの地域ないし国に対しても、様々な問題こそあれ、安全保障と経済を軸に良好な関係を構築していこうという現実的かつ実利的な姿勢である。とりわけ、CIS諸国との関係を市場経済の原理に沿ったものにしようとしていること、「冷戦の勝者」として「唯一の超大国」となった米国を牽制しながらもこれに対峙しようとしていないことには、注意を払ってよいだろう。ロシアは、必要以上に自腹を切ってまでCIS諸国の面倒をみることはしないし、敢えて米国の覇権に挑戦することもしないのである。「一極支配体制への批判」が「冷戦を再来させる意図」に直結するものでないことは、言うまでもない。

とはいえ、こうした状況に関し、特に米国をはじめとする西側先進国の中に、今のロシアとの関係のあり方について当惑があることは、想像できる。何しろ、ロシアは、幾多の試練を経ながら一応の国家の安定と経済の成長を実現し、最近になって国際舞台での発言力を増しているとはいえ、15年前は「冷戦の敗者」だったのである。加えて、ロシアには西側先進国の感覚では理解できない伝統的な状況、換言すれば「西側先進国との感覚のずれ」がある。したがって、今後も、人権や貿易などに関連しロシアと西側先進国との間に軋轢が生じることが予想されよう。しかし、そうした軋轢をことさら針小棒大に解釈し「ロシアの危険性」のみに目を向ける考え方が狭隘かつ非建設的であることは、やはり指摘しなければならない。それこそ、「冷戦時代に逆戻りした」発想であろう。

なお、「概観」には、日本に関する記述もある。それは、地域別外交の中で「日本との関係では、相互利益の尊重に基づき多面的な協力関係を打ち立てる可能性が開かれている。安定した経済的基盤の確立と実務的関係の深化は、両国関係における政治的諸問題の将来の解決に向けた雰囲気の醸成に役立つ」と述べた部分で、分量にすれば、約2800行に及ぶ「概観」のうち、わずかに5行である。この極めて持って回った表現の文章は、要するに「経済的実務関係を深めれば北方領土問題の解決に何らかの道が開かれる」という意味に解釈されるが、これは、北方領土問題の未解決が間接的に表現されているという点では日本への配慮も窺い得るけれども、もちろん、この問題の解決に向けた具体的な何かを含むものでは全くない。ロシアが四島の主権問題で日本に譲歩する可能性がないことは、もはや現段階における客観的な事実として認めるしかないだろう。

日ロ関係について語るとき、北方領土問題は避けて通れない。しかし、戦後既に60年以上を経過した今、人と物の交流は世界規模で拡大し、国家関係はますます複雑に交錯するようになっている。こうした国際政治の現実を踏まえ、北方領土問題の解決策を含め、あり得べき日ロ関係とは、一体どのようなものなのだろうか。これについては、別の機会に譲りたい。