コラム

プーチン大統領年次教書演説~「大国復活」への取り組みと米国への反発

2007-05-10
猪股浩司(主任研究員)
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4月26日、ロシアのプーチン大統領は、クレムリン宮殿「大理石の間」において、約1時間15分にわたり、連邦議会に対する教書演説を実施した。この演説は、ロシア憲法の規定に従って国家元首が国の優先課題について述べるもので、プーチン大統領にとっては今回が8回目のものとなる。
さて、昨年の教書演説は、人口問題や汚職対策、教育問題、健康問題といったある程度の長い期間をもって取り組むべき国内問題に相当の時間を割きながら、「新たな脅威が強まる中、我々の軍が強くなればなるほど、我々に圧力をかけようという誘惑は小さくなる」旨述べて軍改革の必要性を説くことに力を入れた内容であった。これに対し、今年の教書演説は、国内問題に大半の部分を割いたのは昨年と同様ながら、その対象を選挙制度改革、住宅問題、電力産業改革、インフラ整備、資源利用、科学技術振興など、長期的というよりは短期的かつ国民生活に密着した問題にシフトさせつつ、軍関連では軍改革の必要性を強調したことに加えて米国のミサイル防衛システムの東欧配備を強く批判するものであった。また、国家建設にあたり「欧米流」ならぬ「ロシア流」を土台とすべき考えを示したこと、また、国民に対して「ロシア的精神」の下での結束を求めたことも、一応指摘してよいだろう。
総じて、今年の教書演説は、経済の好調を土台に「大国ロシアの復活」への道筋を説きつつ国民に結束を呼びかけたもの、かつ、その中に「米国一極支配体制」への反発を滲ませたものだった、といえよう。

こうした今年の教書演説の特徴は、当然ながら、ロシアをとりまく最近の内外情勢を反映したものである。即ち、ロシアでは、来年2008年5月のプーチン大統領の任期満了を前に、今年12月には下院議員選挙が、来年3月には大統領選挙が控えており、「安定的な体制の交替」に向けた取り組みが奏功するかどうかは、これからがまさに正念場を迎える。換言すれば、今こそ「安定的な体制の交替」に向けて国の一体性を強めるべき時であり、政権としては、それを実現させるための具体的方策を示すと同時に、その妨げとなるものは断固排除しなければならない。これは、今のロシアにとって、何よりも重要な問題であって、教書演説が昨年のそれにも増して「国内向け」のものになったのは、当然のことである。
また、ロシアでは、経済の復興を背景に「大国としてのロシア」の復活への手応えが感得されつつある中で、米国による民主主義の「押し付け」や米国による「一極支配世界体制」に対する不満が徐々に鬱積しつつある。冷戦敗北後のロシアの復興とそれに伴うロシアの自身回復が、かえってロシアと米国との溝を深める結果にもつながっている部分があると言えよう。こうした「ロ米関係の微妙さ」は、3月27日に発表された「ロシア外交政策概観」にも、「重要な共通利益と深刻な不一致を併せ持つ複雑なもの」として表現されていた。
ただし、ロ米間の軋轢については、個々の問題をロ米関係全体、ひいては国際情勢全体の流れの中で捉えるべきことに注意しなければならない。西側先進国の仲間入りを果たし世界経済との統合を望むロシアにとって、米国との関係を悪化させることにメリットはない。他方、とかく多国間での取り組みが重要になっている最近の国際情勢にあって、米国にとっても、ロシアとの関係を悪化させることにメリットはない。一つの軋轢をもって「不安定要因を炙り出す」ことにばかり腐心すると、「木を見て森を見ない」ことにつながるだろう。

さて、以下、教書演説を、大意を拾う形で、ごく簡単にみてみたい。

「かつてロシアは非常な困難に直面していた。しかし、多年の努力により、ロシアは今、よい方向に向かいつつある。ロシアは、長期的な生産の落ち込みを克服したばかりか、世界経済の上位10位に入っている。2000年以降、国民所得は二倍以上増加し、他方で、所得格差こそ依然あるものの、貧困層はほぼ半減した。我々が結束を強めれば強めるほど、自信を持って復興の道を歩むことができる。国民の精神的統一と道徳的価値観は、政治経済の安定と国の発展の重要な要素である。言語、文化、価値観、歴史など、祖国への尊敬の念は、国の統一と主権を強化する土台である。」
「今年最大の行事は、12月の下院議員選挙である。この選挙は、初めて完全比例代表制で実施される。小選挙区制の選挙は、地域の有力組織が行政的手段を使って自分に都合のよい候補者を当選させることができたが、新しい制度はその可能性を大きく減少させる。新しい選挙制度は、民主的な政権を形成する上での政党の役割を強化する。選挙制度は、民主化された。」(注1)。
(注1)ロシアの下院議員選挙は、これまで半数が比例代表制、半数が小選挙区制で実施されてきたが、今回から完全比例代表制となる。これについては、「市民の民主的意見を反映した個人ないし小政党の議会進出機会を奪うものであり、民主主義に逆行する」などの批判があるが、プーチン大統領の演説は、これに反論する内容となっている。

「正直言って、我が国の発展を望まない勢力が存在する。ロシアの国家財産を掠奪しようとする者もいれば、ロシアの政治的経済的独立を奪おうとする者もいる。内政に干渉するための外国からロシアへの資金流入が増えている。民主的スローガンが掲げられているが、その意図は、ロシアに対する一方的優位の獲得と自己利益の実現に他ならない。汚い手段を使う者もいる。これに関連して、過激活動の取り締まりに向けた法令の改正を御願いする。」(注2)。
(注2)ロシアは、人権問題でしばしば欧米諸国から「民主主義の遅れ」を批判されているが、プーチン大統領はこの演説で「秩序を維持するために力を行使する」考えを改めて明白にしたことになる。しかし、表現の自由とその制限については、程度の問題こそあれ、やはりその国の固有の事情を考慮せざるを得ないと思われる。

「ロシアが見舞われた経済危機は、国の伝統的な文化や道徳の喪失にもつながりかねないものだった。独自の文化的指標の欠如、外国の紋切り型への盲目的な追従は、国民の個性喪失につながる。国家の主権は、文化によっても決定付けられる。」
「深刻になっている住宅問題は、国家の支援なしには解決できない。この問題のために特別の基金が必要である。我々は2002年に安定化基金の創設を決定し、これは一定の成果を上げたが、今やこの基金も機能と構造の変化を必要としている。石油・ガスによる収入を効率的に利用しなければならない。年金については、2012年以降に年金制度が赤字になる可能性も指摘されているが、ここでの問題は、むしろ徴税率や闇賃金にある。年金支給年齢を引き上げる必要はない。」
「ロシアは、電力産業の設備不足に直面しており、2020年までに既存施設の3分の2を更新しなければならない。原子力発電ブロックを26箇所建設するほか、水力発電の効率かを進めなければならない。道路、空港、港湾など輸送インフラの改善も重要課題である。また、我々が次世代に引き継ぐべき問題として、天然資源も上げられる。2006年にロシアは石油採掘量で世界1位となったが、精製については大きく遅れている。また、材木や水産資源も、その効率的利用を検討しなければならないほか、科学技術の刷新も重要である。とりわけ、ナノテクノロジー分野の研究について強調したい。」
「軍の強化を続けなければならない。我々は新たな軍備計画の実行に着手しており、今後、多くの支出をもって新兵器を大量購入する予定である。軍人の給与や住宅の問題は軍の状況を示す指標であり、これらの問題も解決しなければならない。群の強化は極めて重要であるが、それに際しては、我々が抱える課題、国の経済の可能性、潜在的脅威の性格や交際醸成の動きなどが勘案される。」
「欧州通常戦力(CFE)条約について、ロシアはこれを遵守しているが、我々のパートナーはそうではない。彼らは、米国のミサイル防衛システム(MD)の設備をチェコとポーランドに、またスロバキアやバルト諸国といったNATO新加盟国に配備しようとしている。こうした状況では、ロシアは欧州通常兵力条約の履行の凍結を宣言するのが合目的的だと考える。欧州の軍縮問題をロシア・NATO理事会で討議するよう呼びかける。米国のミサイル防衛システムが欧州に出現することに注意を払わなければならない。これは、多かれ少なかれ、全ての欧州の国の利益に関係する。この問題を欧州安保協力機構の枠内で討議することを求める。」(注3)。
(注3)MDの欧州配備については、セルジュコフ国防相が4月23日に米国のゲーツ国防長官と会談した席で、同長官が「MDの欧州配備はロシアではなく中近東から東南アジアの潜在的脅威に向けられたもの。ロシアにMDへの参加を提案する」と説明したのに対し、「MDは地域と世界の安全保障に実質的影響を与える不安定意要因。MDの欧州配備に対するロシアの姿勢は変わらない」と応じている。また、プーチン大統領も教書演説後の4月27日にチェコのクラウス大統領と会談した中で、「MDの欧州配備はウラル山脈までのロシア領土をコントロールする。これは防衛システムならぬ米国の核戦力の一部であり、これが欧州に出現することは欧州の安全保障状況を激変させる」として、これをあらためて非難した。こうした中、9月にロシアと米国の国防・外務担当大臣による「2プラス2」会議が開催されることとなった。これまで、ロシアと米国は、冷戦時代への逆行はないこと、両国の軍事協力は首尾よく進展していることを確認しているが、ことMDの東欧配備に関してはロシアの反発が非常に強い。ロ米の国内情勢や欧州諸国の動向も絡み、この問題が解決をみるには、なお相当の時間を要しよう。

「ロシアの対外政策は、諸問題の解決において、協力的、実利的かつ非イデオロギー的な方向を向いている。より広範に言えば、発展モデルを強要したり歴史プロセスの発展を急がせたりすることのない、国際法に基づく国際関係の文化のことである。ここでは、国際社会の民主化、国家交流の礼儀、国家間の連携の拡大が格別な役割を果たしている。現在のロシアは、自国の可能性を理解してあらゆる国と等しく関係することを目指しているのであり、自分を過大評価してはいない。我々は、世界のあらゆる国と同じく、自国の経済的利益を考慮し、自国の資産を利用しているに過ぎない。」
「ロシアは、今後も、CISや欧州の経済統合に尽力する考えである。ユーラシア経済共同体、上海協力機構の統合を強化すべきだ。ロシアとEUの協力関係が一層建設的になっていることも強調したい。」(注4)。
(注4)教書演説は例年外交問題にも触れるが、今年の演説は、MDの東欧配備問題を除けば、外交関係への言及は実に僅少であった。これも、今年の教書演説の一つの特徴と言い得る。
「来年の春に私の大統領任期は終了する。来年の教書演説は、別の大統領が行うことになるだろう。今日の演説で、2000年以降の我々の活動が総括されると予想する向きもあっただろうが、ここで我々が自己評価をするのは適切でない。私は、政治的な遺言状を残すのはまだ早いと思う。」

「目前の課題を処理するに際して新たな手法を用いる時は、ロシアが千年以上にわたり培った道徳的・倫理的な価値観に立脚することが必要だ。そうした場合にのみ、成功が待っている。国家のあらゆる努力が市民生活保護に向けられていることを市民が感じ、市民が自分達の国を誇れるとき、ロシアは世界において然るべき地位を占め、主権を維持できる。ロシア市民は、国家の運命との関係を感じ、かつ、自身の生活を向上させるとともに労働によって国家に貢献しなければならない。これに関連して、行政などの分野に関わる人々は、特に責任がある。我々は、法的な権限の最後の瞬間まで全力を尽くし、ロシアに貢献するため、運命が我々に与えた時間を利用しなければならない。」