コラム

中国と東アジアの多国間安全保障の制度化
 :上海協力機構への関与を中心として

2010-03-05
高木誠一郎(日本国際問題研究所客員研究員、青山学院大学)
  • twitter
  • Facebook


*** 日本国際問題研究所「中国外交の問題領域別分析研究会」 ***

1993年に東アジアにおいて安全保障分野における多国間協力の制度化の最初の試みであるASEAN地域フォーラム(ARF)の設立が決まった時、中国は参加の意向を表明していたが、その態度は決して積極的なものではなかった。しかし、1996年4月の日米安保共同宣言を契機とする日米同盟の緊密化に直面すると中国は、「新安全保障観」を概念的基盤として、地域、サブ地域、2国間という3つのレベルで、安全保障協力体制の制度化を進めた。地域レベルでは、1996年4月に翌年開催予定のARF信頼醸成作業部会の議長国に名乗りを上げ、地域の安全保障は日米同盟のような軍事同盟ではなく、多国間協力によって実現されるべきであるという潮流を作ろうとした。サブ地域レベルでは、1996年にロシア及び中央アジアの3国と上海ファイブと呼ばれる協力体制を発足させてその制度化を積極的に進め、2001年には上海協力機構の設立を実現した。2国間レベルでは、1996年にロシアと「戦略的パートナーシップ」関係を結び、2001年には中ロ善隣友好協力条約を結んだ。

以上のうち多国間メカニズムとして中国がもっとも積極的に制度化に関与したのは上海協力機構である。本稿は、中国が上海協力機構の制度化にどのように関与してきたかを検討することを通じて、多国間安全保障協力体制の構築に対する中国の考え方を明らかにしようとするものである。

先ず議論の前提として、本稿において制度及び制度化という用語がどのような意味で用いられているのか、簡単に説明しておこう。制度(institution)とは複数の行為者の間にパターン化された相互作用に関する何らかの合意が成立した際に最も低い水準で成立するものと定義する。制度は、この合意が明文化(ルール化)され、「善隣友好」のような抽象的原則のみの表明からそれに「国境地域における信頼醸成措置」のような具体的行為規範を加え、基本的人権の尊重等のような価値観に裏付けられ、相互作用の目的(機能)の分野が拡大することによって発展する。また、相互作用のルールのセットである組織(organization)の制度化(institutionalization)の水準は、下部組織の増加による複雑化、成員の立場の一貫性の向上により高まるものと定義する。

上海協力機構は以下の過程を経て制度的発展を遂げてきた。先ずその発端とされるのは、1996年4月に上海で中国、ロシア、タジキスタン、キルギス、カザフスタンの間で「国境地域における信頼醸成措置協定」(上海協定)が締結された際に開催された首脳会議である。5カ国の首脳は翌年モスクワで「国境地域における軍事力削減協定」締結の際にも会合し、会合の定例化で合意した。このころから5国の間に「上海5国」(上海ファイブ)としての集団アイデンティティーが成立するが、この2つの協定は基本的に1991年末までの中ソ交渉を完了させるものにすぎなかった。上海5国が多国間協力に向けての本格的な歩みを始めたのは、翌1998年カザフスタンの首都(当時)のアルマトゥーで開催された首脳会議においてであった。この会議で採択された共同声明は5カ国の安全保障協力の対象として、民族分離主義、宗教的急進主義、国際テロリズム、越境犯罪(武器や麻薬の密輸、組織犯罪等)を明記し、アフガニスタン情勢、南アジアにおける核実験など地域外の問題に対する共通の懸念を表明した。また、安全保障は協力を通じて実現すべきであるとする規範(「新安全保障観」)、及びグローバリゼーションと多極化という国際状況認識の共有を表明した。以後5カ国は持ち回りで毎年首脳会議を開催するとともに、治安・法執行機関指導者会合(1999年8月)、国防相会合(2000年3月)、外相会合(同年7月)を通じて協力の具体化を進めた。2000年7月にタジキスタンのドゥシャンベで開催された首脳会議は、ウズベキスタンをオブザーバー参加させ、上海5国による地域協力機構構築の方向性を明確にした。すなわち、共通の主要な脅威として、民族分離主義、国際テロリズム、宗教的急進主義という「3つの勢力」を認定し、それに対抗するための多国間協力綱要の制定、関係部門指導者の定期会合等の措置について合意したのである。

持ち回りの首脳会議が一巡した後の2001年6月、上海5国の首脳は再び上海で会合したが、ここにはウズベキスタン首脳も正式メンバーとして参加した。6カ国首脳は「上海協力機構(Shanghai Cooperation Organization, SCO)」の成立を宣言し、「『3つの勢力』の攻撃に関する上海協定」に署名した。上海協力機構の成立宣言は、「相互信頼、相互利益、平等、協議」を安全保障政策の基本理念とする「新安全保障観」に文明の多様性尊重と共同発展を加えた「上海精神」を共通の規範として提示し、外相会合、国防相会合等の継続とともに、地域反テロセンター設立の合意を明示した。翌2002年6月にサンクトペテルブルクで行われた首脳会議では、上海協力機構の憲章が採択され、「地域反テロ機構協定」が署名され、事務局の設立で合意が成立した。2003年5月にモスクワで開催された首脳会議では、関連規定の明文化が進み、機構の枠内で実施される各種会議に関する規定、反テロ機構執行委員会規定と事務局規定が承認され、事務局長として中国の張徳広駐ロシア大使を指名することで合意した。2004年1月には事務局(北京)と地域反テロセンター(タシケント)が活動を開始した。2006年6月の上海首脳会議はイラン、インド、パキスタンの首脳をオブザーバーとして参加させるとともに、加盟国拡大規定の作成を指示した。

以上のような機構面の整備とともに、具体的な協力も進んだ。特に安全保障の観点から注目されるのは、国際テロリズム対処を目的とする合同軍事演習の進展である。最初の反テロ合同軍事演習は2002年10月に中国とキルギスのみで行われた。しかし、第2回反テロ合同軍事演習は2003年8月に中国、ロシア、カザフスタン、キルギス、タジキスタンが参加して実施された。2005年8月には中国とロシアが上海協力機構の枠内で反テロを目的とする大規模な合同軍事演習を実施した。2007年8月9~17日には上海協力機構の全加盟国が参加して「平和の使命-2007」と銘打った合同軍事演習が実施された。

これらの節目の全てに中国は積極的に関与してきたが、特に以下の点では顕著なイニシアティブを発揮した。先ず、あまりにも明白なことであるが、「上海5国」の第1回首脳会議が上海で開催されたことである。それと対極にあるともいうべき事例としては、タジキスタンの首都ドゥシャンベにおける首脳会議(2000年7月)について、タジキスタンが必ずしも積極的ではなかったのを中国が説得して開催に至ったことがある。上海協力機構の成立の背景にも、中国が上海5国の協調員(コーディネーター)会合を2001年1月と6月に主催したことによって、具体化が進んだ。また、ウズベキスタンの参加確定をもたらしたのもこの協調員会合であった。

上海協力機構は、設立後数ヶ月にして起きた米国における9.11同時多発テロによって、一面ではその国際テロリズムを主要な脅威としたことの先見性が証明された形となったが、他方国際テロリズムとの戦いが米国主導の有志連合によって傍流化する危険にも直面することになった。このような状況の下で中国は、2002年1月に上海協力機構の緊急外相会議を主催した。そこで唐家璇外相は地域反テロ機構設立と憲章及びその他の法的文献起草の加速を訴えたのである。2002年6月の首脳会議では事務局設置の決定がなされたが、中国はその場所として北京を提供した。上記のように反テロ合同軍事演習には全て中国が参加しているが、特に2005年の中ロ合同演習は、中国主導で、中国側が人員の大部分を提供して中核部分が山東省で実施されたものであった。2006年の首脳会議では胡錦涛国家主席が、さらなる発展を実現すべく、制度的基盤拡充提案をしている。

このような積極的(多くの場合主導的)関与の背景として、周辺安定化のメカニズムとしての有効性、国内における「民族分裂主義」に対する対応、ロシアとの協調の枠組み等の要因があることは明らかであるが、もう1つの重要な要因として米国の優勢に対する対応策としての面がある。1996~97年の首脳会議開催には日米安保体制強化(=「冷戦思考」)に対抗する「新安全保障観」の提起、2000年の首脳会議には1999年のNATOによるユーゴ空爆以降の米国の一極支配強化、2002年の緊急外相会議には前年の9.11テロ以降の中央アジアにおける米軍のプレゼンスといった背景があったのである。

なお、中国の上海協力機構に対する積極性は必ずしも地域安全保障メカニズム一般の制度的発展に対する積極性を意味するものではない。上海協力機構との対比において見ると、中国はASEAN地域フォーラム(ARF)の制度的発展にはそれほど積極的ではなかったのである。ARFは1995年に信頼醸成、予防外交、紛争解決という段階を踏んで制度化を進めるという「コンセプト・ペーパー」を採択していた。しかしながら、その後の中国は信頼醸成段階から予防外交段階への発展に対して、主権に関わる問題として、極めて消極的であった。上海協力機構とARFに対する関与の相違は、前者において中国が圧倒的影響力を有しているのに対し、後者においては中国が非ASEAN主要国の一つに過ぎないことから、限定的な影響力しか発揮できなかったことによるものであろう。


関連するエッセイ:
(1) 「中国と東アジアの多国間安全保障の制度化:上海協力機構への関与を中心として」
  /高木誠一郎(日本国際問題研究所研究員、青山学院大学)
(2) 「中国の対外イメージ戦略」 /中居良文(学習院大学)
(3) 「国際経済システムと中国」 /大橋英夫(専修大学)
(4) 「中国の核軍縮・軍備管理政策」 /浅野 亮(同志社大学法学部教授)
(5) 「法による権力政治の展開:海洋とその上空への中国の進出」
  /毛利亜樹(同志社大学法学部助教、海洋政策研究財団特別研究員)

(6) 「中国の対外援助外交」
  /渡辺紫乃(埼玉大学教養学部准教授、日本国際問題研究所元研究員)