コラム

北朝鮮経済の現状―民生部門の様態を中心に―

2010-06-25
飯村友紀(日本国際問題研究所研究員)
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――「バスですって?バスの空きなんかありませんよ。それにしても支配人同務、バスをいったい何に使うんです?計画をどんどん超過遂行して、従業員たちと七寶山(注:咸鏡北道の景勝地)観光にでも行こうというんですか?」これは咸鏡北道会寧市のある鉱山の支配人が、上部機関で投げかけられた言葉である。この日、鉱山の責任者たちは遠距離を徒歩で学校に通う従業員の子女たち100余名のために通学バスを購入すべく清津市(同道庁所在地)に赴いたものの、各所をたらい回しにされた末、嘲弄まじりの拒絶を浴びせられたのであった。新規に開拓されたこの鉱山には付帯施設が整備されていないため、子供たちは学校まで山道を6km以上も歩かねばならない。学校の新設を陳情して国家の手を煩わせるよりは自力でバスを調達し、この問題を解決しようと決意した支配人は、難色を示す幹部たちを説き伏せ、上部機関からの拒絶、中古バスの調達、整備補修、燃料の確保といった幾多の困難に直面しながら、ついに通学バスの正常運行を実現するに至る――。

2009年1月の朝鮮労働党機関紙に掲載されたこの記事は、近年の同紙に見られる報道傾向の変化の、いうなれば典型例であろう(1)。つまり、各単位の自助努力による問題解決(「自力更生」)の範囲が、単純な生産計画の達成を超え、いまや計画とは直接関係しない物資の自己調達にまで及んで常態化し、なおかつそれが公的文献上で奨励されるという状況が、現在の北朝鮮において出来しているのである。また、それらの物資が流通するルート―正規のもの以外の―が存在していることも、記事からは明確に看取されよう。

では、そのような物資は何処より生じ来るのか。この点に関しては、羅先市のある直売店の活動を報じた2007年8月の記事から示唆を得ることが可能である。それによれば、当初は市内の各工場・企業所で生産された日用品を購入し、消費者に供給していたこの直売店では、それらの製品が少量で粗悪であることを問題視した直売店支配人の提議を受け、自ら日用品の生産・販売に踏み切る。直売店内に設置された利用生産班によって実行されたこの試みは、2台のミシンと端切れを使った布製品(手袋、靴の中敷、荷造り紐など)から始まり、設備の拡充と技術改良によって、肌着や子供服、そして本格的なチマ・チョゴリを生産・販売するまでに至る。またその過程で、手狭になった店舗の拡張工事、労働者の新規雇用(100名規模)を独自に行うなど、支配人のリーダーシップは遺憾なく発揮され、ついには国家から古い工場跡地の建物を移譲され、生産量をさらに拡大させることとなるのである。それらの活動で得られた利益金をもとに建設現場や農場、学校そして軍隊に多くの支援物資を送った点が評価され、金正日名義の感謝状が贈られたとの記述が、ここではなされている(2)

若干の用語説明を加えれば、ここでいう直売店とは、「国家商品供給体系を補充する」目的で、企業所や工場が生産品の一部(計画超過分や試作品など)を消費者に直接販売する商店の謂である(3)。また、利用生産班は「自らが準備した原料と簡単な設備を用いて商品を加工・生産する」生産組織を指す(4)。それらの点を踏まえるならば、この記事からも、先の言説同様、単なる「自助努力による生産拡大」を超えた含意を見出すことができる。すなわち、記事の内容に依拠するならば、この直売店は企業所・工場の余剰生産品の販売という元来の業務を逸脱し、本来ならば副次的な業務である生産活動を事業の中心としているのみならず、その範疇からも著しく脱して、いまや直売店自体が大規模な生産・販売単位となっているのである。特に独自の生産活動については、それが「8月3日人民消費品」生産運動の一環として説明されている点も注目される。1984年8月3日、平壌市内の軽工業製品展示場を視察した金正日の指示によって開始されたこの運動は、確かに計画外の軽工業産品の生産を督励するものであったが、それはあくまで廃材や遊休資材の加工・再利用によって賄われるものとされており、また、扶養家族や虚弱者といった、経済活動に従事していない人々を動員することで実行される、との規定がなされていた。それに照らすならば、この直売店の行動は明らかに同運動の範疇を超えるものだったのである。とりわけ、この時期に商業部門において「自分と自分の家庭のことだけを考えて」職場を離脱しようとした労働者を上司が説得し、それを阻止したといった事例がたびたび見られることを考慮すれば(5)、上の記事で「家庭の婦人たち」と説明された新規労働力が、実際には他の職場を放棄した一種の失業者であり、彼らの多くが非公認の経済活動に従事していたとの推測は十分に成立しよう(6)

これらの点からは、北朝鮮において機能不全に陥った軽工業部門を代替する独自の経営単位が叢生していること、そして、当局がそれを従来型の日用品生産運動の中に(拡大解釈を通じて)位置づけ、あるいは金正日の「お墨付き」を与えることによって、それがあくまで正規の軽工業部門の中にあることを強調し、もって軽工業部門の実態を弥縫せんとしている姿が浮かび上がる。さらにはそのような「模範的」単位も、もはや単なる計画経済の忠実な遂行者というよりは、独自の経営活動を行い、その収益から納付金を上納する存在に半ば転換していることがうかがえる(7)。換言すれば、ここに挙げたような、公的刊行物上で大きく顕彰される単位が非公認経済に属しているというよりは、それらの運営が非公認経済部門の存在を前提としている点、そして斯様な行動がいまや正規の経済活動と見做されている点が、近年の北朝鮮経済の大きな特徴なのである。

このような状態を、部分的な市場活動の容認に伴う経済活性化の反映と見るか、あるいは計画経済が覆いがたいまでに崩壊した結果と見るかは論者によって異なるが、どちらの立場に依拠するにせよ、正規の経済単位の運用が非公認経済部門の存在を前提とし、なおかつ当局がそれを十全に制御できない状態にあることだけは確実であろう。そして、「すべての商品を商業企業所に渡し、国営商業網を通じて供給する社会主義商品供給体系を厳格に立てることは商業供給事業を改善するための重要な課業のひとつ」であるとの強調、あるいは「国家の中央執権的、統一的指導なくしては経済分野に無秩序と無規律が醸成され社会的に莫大な浪費と損失がもたらされる」との懸念が端的に示すごとく(8)、斯様な経済のあり方は、必然的に非公認経済の拡大を招来し、正規の計画経済を実行するための国家収入に悪影響を及ぼすこととなろう(9)。少なくとも2009年4月に開催された最高人民会議第12期第1次全員会議の予算報告において「機関、企業所で稼いだ金を国庫に集中させて統一的に分配・利用」することが課題として挙げられた点を考慮すれば(10)、そのような懸念が顕在化していること、つまり弥縫的な経済政策によってもたらされた計画経済の「漏出口」が未だ塞がれていないことは、けだし確かなようである。


(1)「通学路に響き渡る愛の警笛」『労働新聞』2009年1月3日付。「数年前」の出来事とされている。

(2)「人民生活向上のための献身的服務精神」『労働新聞』2007年8月6日付。この単位では1999年頃からこのような事業が開始されたという。

(3)『朝鮮大百科事典(簡略本)』科学百科事典出版社、平壌、2004年、748頁。

(4)『朝鮮語大辞典(1)』社会科学出版社、平壌、1992年、1009頁。

(5) 例えば「人民のために献身する誠実な服務者として」『労働新聞』2008年8月9日付。

(6) この直売店が行った新規雇用が、単なる労働力不足の解決としてではなく「党の要求と国家的利益を徹底的に保障する原則の下に」行われたとされる点も、その傍証となろう。

(7) いずれの事例においても、いかにして物資(バス、燃料、あるいは直売店の生産拡大に必要な原材料と機材)が調達されたかについての言及がまったく存在しない点からも、このことは強く示唆される。

(8)「人民生活向上と商品供給事業」『労働新聞』2007年8月9日付、また「新たな革命的大高潮と経済管理の改善」同2009年3月7日付。

(9) ただし、非公認経済部門を半ば容認したことによって、長期的にはこの部分に対する国家の統制が回復され、効率的な国家収入の増大に帰結するとの見解も一部には存在する。

(10)「朝鮮民主主義人民共和国主体97(2008)年国家予算執行の決算と主体98(2009)年国家予算について」『労働新聞』2009年4月10日付。『北朝鮮政策動向』(ラヂオプレス、第441号、2010年4月)によれば、今年4月の最高人民会議第12期第2次全員会議でも同様の発言がなされたという。