コラム

北朝鮮の二つの軍事攻勢と平和攻勢

2011-06-27
倉田秀也(防衛大学校)
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*本コラムは、韓国外交安保研究院と当研究所の主催で2011年6月15日にソウルで行われた日韓協議に際し作成したディスカッション・ペーパーである。

1.はじめに――「対米正面突破」からの修正
振り返ってみれば、2009年春の北朝鮮の対外路線は、その前後の文脈を考えるとき、ある種の逸脱行動であったのかもしれない。この年の4月初頭、北朝鮮はミサイル発射に対し国連安保理が議長声明を発表したのを受け、北朝鮮は外務省声明を通じて「6者会談には二度と参加しない」(09年4月14日)とし、「朝鮮半島非核化の念願は永遠に消えた」(09年4月29日)とまで断言した。もとより、それはそれ以前から北朝鮮が求めていた対米直接協議を否定するものではなかった。北朝鮮はこの時期、6者会談を経ない「対米正面突破」を試みていたといってよい。

さらに5月末の核実験の後、北朝鮮はやはり外務省声明(09年6月13日)を通じて「自前の軽水炉事業」を推進していることを明らかにし、それまで公式には否認してきたウラン濃縮計画の存在を認めた。6者会談が朝鮮半島の非核化を目標に反して北朝鮮に二度に及ぶ核実験を許した背景の一つは、北朝鮮が今回の核危機の発端であるウラン濃縮疑惑を否定していたことにある。ブッシュ政権がウラン濃縮計画を含む全ての核計画の放棄を求めるなか、北朝鮮はウラン濃縮計画の存在を否認しつつ、プルトニウムを抽出することができたからである。したがって、北朝鮮が低濃縮の平和利用とはいえ、ウラン濃縮計画を自ら認めたということは、それまで北朝鮮が6者会談で享受してきた「切り札」を自ら捨ててまで6者会談に拘束されない対米協議を求めていたことになる。ブッシュ政権末期にみられた6者会談のプロセスは、「強盛大国の大門」を開く2012年までに対米関係に大きな転換をもたらすには複雑で煩瑣に過ぎたのかもしれない。

しかし、北朝鮮の「対米正面突破」の試みは長く続かなかった。オバマ政権はブッシュ政権末期のように北朝鮮の挑発行為に応じて北朝鮮との協議を行うことはなく、それは後に「戦略的忍耐(strategic patience)」とも呼ばれた。その一方でオバマ政権は、北朝鮮を6者会談に復帰させるべく、中国との協議を頻繁に行った。その結果、2009年秋から北朝鮮の「対米正面突破」の姿勢に変化がみられ、金正日は同年10月、温家宝を平壌に迎えた席で、6者会談へ復帰を示唆するに至った。ここで金正日は6者会談と離れた対米直接協議の限界を改めて自覚したに違いない。ただし、金正日は全ての対米協議が6者会談の枠内で行われることに合意したわけではなかった。金正日は温家宝に対して「朝米会談の結果をみて多国間対話を進行させる」としつつ、「朝米間の敵対関係は平和関係に転換されなければならない」と述べた。金正日は6者会談への復帰は不可避にしても、それに先行して対米直接協議がもたれなければならず、そこでは軍事停戦協定の平和協定への転換が議論されなければならないと考えていた。

2010年に北朝鮮が行った哨戒艦「天安」撃沈、延坪島砲撃という二つの軍事攻勢も、上のような文脈から考えられなければならない。確かに、これらの軍事攻勢は過去の北朝鮮の挑発行為とは一線を画するものであった。米韓同盟は北朝鮮の非正規戦、あるいは軍事境界線付近の小規模の銃撃戦などを抑止することは困難とはいえ、正規軍による組織的な武力行使は抑止可能と考えられてきた。北朝鮮が行った二つの軍事攻勢はいずれも正規軍によるものであり、延坪島砲撃は、島嶼とはいえ韓国の統治下にある陸上への攻撃であった。これら二つの軍事攻勢はいずれも黄海上で起きており、北方限界線(NLL)に関連しているこというまでもない。しかし、NLLをめぐる北朝鮮の軍事攻勢は今回が初めてはなく、北朝鮮は「第1次延坪海戦」(99年6月)、「第2次延坪海戦」(02年6月)の際も、黄海上の緊張を高めて米国を新たな海上境界線の設定に導こうとしていた。NLLが軍事停戦後、国連軍司令部が宣布した境界線であることを想起するとき、黄海上の境界線の問題が朝鮮戦争の戦後処理――平和体制の樹立――に深く関わっていることは明らかである。以下、このような視点に立って、二つの軍事攻勢から北朝鮮に意図を考察してみたい。その際、二つの軍事攻勢の間にみられた平和攻勢との関連についても併せて考えてみる。その上で今後の6者会談について若干の展望を試みてみたい。

2.軍事攻勢の間の平和攻勢――内部要因との相関関係
 (1)「大青島海戦」と軍事攻勢の予兆――南北間合意の「無効化」
北朝鮮が黄海の海上境界線について対米協議を正当化するには、それまで黄海の海上境界線について韓国と交わした合意を否定しなければならない。その合意の代表的なものとして、「南北基本合意書」付属議定書第10条と2007年南北首脳会談で採択された「南北関係と平和繁栄のための共同宣言」(「10・4宣言」)があるが、いずれも黄海の海上境界線を平和体制樹立問題という広い文脈に位置づけていた。とりわけ「10・4宣言」は、南北双方が「軍事的敵対関係を終息させ、朝鮮半島で緊張緩和と平和を保障するために緊密に協力すること」への合意に加え、黄海上で「共同漁撈区域」の設定を推進するとの合意事項を含んでいた。もとより、盧武鉉政権はNLLの撤廃しようとしたわけではなく、NLLを維持したまま黄海上に「共同漁撈区域」を設置することは可能と考えていた。これに対し北朝鮮は「共同漁撈区域」の設定にはNLLの撤廃が前提となると考えていた。「10・4宣言」以降の南北対話は、平和体制樹立におけるNLLの比重の違いを浮き彫りにしたといってよい。

2009年11月10日に起きた「大青島海戦」は黄海での3度目の海戦となったが、その前兆がなかったわけではなかった。NLL堅持の姿勢を鮮明にした李明博政権に対して、祖国平和統一委員会は09年1月1日、声明を通じて「北南朝鮮間の政治・軍事的対決状態の解消と関連した合意事項の無効化」を宣言していた。「無効化」される「合意事項」には当然、「南北基本合意書」と「10・4宣言」が含まれていたであろう。

興味深いことに、「大青島海戦」を受け、『労働新聞』(09年11月23日)は論評の中で、北朝鮮が過去、平和協定締結に関する提案を行ったことに触れた上で、「もしわれわれの提案が実践されていたなら(中略)今回のような武力衝突事件もしなくてもよかった」と述べていた。これは翻れば、平和協定が締結されない限り、黄海での武力行使はありうるということになる。さらに同年12月21日、朝鮮人民軍海軍司令部は、北朝鮮が2000年3月に黄海上に一方的に引いた「西海海上軍事境界線」の北側水域の全てを「平時海上射撃区域」に設定するとの報道文を発表した。それまで北朝鮮は黄海に浮かぶ「西海5島」が韓国側の統治権に属することを認めており、それより南方に北朝鮮が引いた「西海海上軍事境界線」から「西海5島」に至る二つの「水路」の安全は認めていた。しかし、朝鮮人民軍が「西海海上軍事境界線」の北側水域を「平時海上射撃区域」に指定したことは、この水域を航行する韓国軍艦船、漁船は「平時」であっても「射撃」の対象となることを意味する。「天安」の撃沈は、この時点で暗示されていたのかもしれない。

 (2)二つの平和攻勢――「1・11平和提案」と外務省備忘録「朝鮮半島と核」
「大青島海戦」の後、北朝鮮は「天安」撃沈事件を挟んで二つの平和攻勢を行っていた。その一つが2010年1月11日の「1・11平和提案」である。これは「停戦協定当事国(複数)」に向けて平和協定の締結を求めた提案であり、一見すると6者会談で合意された平和体制樹立のための「適当な話合いの場」を尊重しているようにもみえる。ただし、この提案は「朝鮮半島の非核化プロセスを再び軌道に乗せるには、核問題の基本当事者である朝米間の信頼醸成に優先的な注目を払わなければならない」とし、「その行動順序をこれまでの6者会談が失敗した教訓に照らし、実践的要求に合わせて繰り上げればよい」と述べていた。北朝鮮の認識において、「朝米間の信頼醸成」が欠如していたことが「6者会談が失敗した教訓」であったとすれば、「核問題の基本当事者」である米朝間の信頼醸成こそ、「朝鮮半島の非核化プロセスを再び軌道に乗せる」ために必要な「実践的要求」となる。そのために平和協定が必要なら、その「当事者」は米朝両国にならざるをえない。そうだとすれば、「1・11平和提案」は「停戦協定当事国」に平和体制樹立を求めていながら、それを「実践的要求に合わせて繰り上げ」ることで、6者会談で合意された「適当な話合いの場」から離れて、韓国と中国を排除する米朝間の排他的な平和協定を主張していたことになる。

いま一つの平和攻勢は、「天安」撃沈事件の後、4月21日に北朝鮮外務省が発表した備忘録「朝鮮半島と核」である。この文書はオバマ政権が発表した「核態勢の見直し」(NPR)を批判する形で発表されたものである。米国は核兵器国として非核兵器国に核兵器の使用や威嚇を行わないとする「消極的安全保証」(NSA)を与えていたが、非核兵器国による米本土、米軍、同盟国への攻撃、他の核兵器国と連合して行った攻撃はその例外とされていた。しかし、オバマはNPRでこれらの例外を外した上で、NSAの唯一の条件として核不拡散義務の遵守を挙げた。ここで、米国のNSAは「クリーンなNSA」(Morton H. Halperin)となったが、北朝鮮はイランとともに核不拡散義務を遵守していない以上、米国のNSAの例外となる。したがって、北朝鮮の武力行使――それが通常兵力によるものであっても――米国の核による報復の可能性は残されている。

これに対して外務省備忘録は、「非核国家に対して核兵器を使用したり、核兵器で威嚇しない」とするNSAと同様の文言を用いつつ、「核保有国と結託してわれわれに対する侵略や攻撃に加担しない限り」との条件を付け加えていた。従来、米国は6者会談でも、北朝鮮に核放棄を促すため、北朝鮮にいかなる条件でNSAを与えるかを議論してきた。ところがいまや、不法に核兵器を保有した北朝鮮が、NSAという核兵器国固有の規範を用い、米国が外した例外をその条件としていた。ここから、北朝鮮が核不拡散の規範を逆利用しながら、その「核保有」を既成事実化しようとする意図をみることができる。

もとより、この文書でも「朝鮮半島の非核化」には言及されている。ただし、ここで北朝鮮の「核武力の使命」は「朝鮮半島と世界の非核化が実現されるまでの期間に国と民族への侵略と攻撃を抑止、撃退するところにある」としていた。この文書は「朝鮮半島の非核化」を「世界の非核化」の一部とみなし、両者を「同期化」していたことになる。北朝鮮はこの文書で核不拡散の規範を「逆利用」しただけではなく、オバマがプラハで提唱した「核なき世界」も「逆利用」していたことになる。さらに、この文書は「1・11平和提案」と同様、「朝鮮半島の非核化」には信頼醸成が必要とし、「平和協定が早く締結されるほど非核化に必要な信頼が速やかに醸成されるであろう」としていた。ここでいう平和協定が「1・11平和提案」と同様、米朝平和協定を想定していたことはいうまでもない。

「1・11平和提案」と備忘録「朝鮮半島と核」から、北朝鮮が「核保有」を既成事実化させた上で米国を平和協定に誘導しようとする意図を読み取ることができる。それまで6者会談の「共同声明」にもみられるように、北朝鮮の非核化プロセスと平和体制樹立のプロセスは同時並行するものと捉えられていたが、北朝鮮はその構図を切り崩そうとしているといってもよい。

 (3)延坪島砲撃事件――「出口戦略」としての対米協議
その後北朝鮮は延坪島への砲撃を行うが、この軍事攻勢もまた、上にみた平和攻勢と表裏一体の関係にある。一例を挙げると、砲撃後に『労働新聞』(10年12月28日)が掲げた論評は、この砲撃事件について「最も主な責任は南朝鮮傀儡を挑発へと唆した米国にある」として責任を米国に転嫁していた。また、この論評は「朝鮮半島でもたらされるあらゆる極端な事態と結果について、徹底して米国と決着をつけるであろう」として対米協議を望む立場を明らかにした上で、米国は「国際法に反して一方的に引いた『北方限界線』を直ちに撤回すべきである」と述べ、NLLに代わる新たな黄海上の海上境界線の設定を議題とすることを示唆していた。

これら一連の軍事攻勢と平和攻勢は、その手段においては対極に位置するが、その目的は対米直接協議の実現という点で共通していた。興味深いことに、軍事攻勢を予告するような朝鮮人民軍の報道文にも、「1・11平和提案」のような平和攻勢にも、共通して「委任により」との一文がみられた。これは一連の軍事攻勢と平和攻勢の双方に金正日が関与していることを示唆していた。そこから後継問題を含む国内要因が、何らかの形で二つの軍事攻勢に反映していると考えることも可能であろう。実際、2010年9月末の朝鮮労働党代表者会では金正恩が党中央委員に選出され、同日の党中央委員会総会では党中央軍事委員会副委員長に選出された。また延坪島砲撃後、朝鮮人民軍内で金正恩を「砲術の天才」とするキャンペーンが展開されたという。しかし、黄海上の緊張を高めることで海上境界線をめぐる対米直接協議をもち、それを米朝平和協定に連動させようとする軍事攻勢は、99年の「第1次延坪海戦」以来ほぼ一貫している。やはり、2009年10月に金正日が温家宝に語ったように、北朝鮮は6者会談を再開するにせよ、それに先行して対米直接協議がもたれなければならず、そこで米朝平和協定について何らかの合意に達することを考えていたのであろう。確かに、北朝鮮が延坪島砲撃という軍事行動が、金正恩の軍内での威信に還元されたかもしれないが、それは後継者問題と軍事攻勢の相関関係を説明するものであっても、両者の因果関係それ自体を説明するものとはいい難い。

3. 6者会談の新たな争点――NPT第4条の意図的「曲解」
 冒頭述べた通り、2009年6月に北朝鮮が認めたウラン濃縮計画は、それまでのブッシュ政権下でもたれた6者会談の展開を大きく変えることになる。6者会談が再開されれば、オバマ政権初の6者会談となるが、そこで米国はそれまで否認していたウラン濃縮計画について北朝鮮を質すとともに、その放棄を求めることになる。

北朝鮮はウラン濃縮計画を平和利用計画と説明しているが、NPTの規範からいっても、北朝鮮にウラン濃縮の権利はない。これまでのNPT再検討会議でも確認された通り、締約国の「奪い得ない権利」と謳われたNPT第4条の原子力平和利用の権利を行使することは無条件ではない。その権利自体は自然権であるにしても、行使については非核兵器国の核不拡散義務を謳ったNPT第2条に加え、同第3条にある非核兵器国の国際原子力機関(IAEA)による保障措置協定受諾の義務が前提となっている。したがって、NPTから脱退したと主張し、IAEAからも脱退している北朝鮮にNPT第4条の原子力の平和利用の権利行使は認められない。北朝鮮は原子力の平和利用の権利は「NPT内外」で認められていると主張しているが、それはNPT再検討会議での議論を意図的に「曲解」した主張といわざるをえない。

しかし、北朝鮮がウラン濃縮の問題を6者会談で議論する用意を示していることには応分の注意が払われてよい。北朝鮮は米朝「枠組み合意」(1994年10月21日)に盛り込まれたプルトニウム関連施設についての合意と同様、軽水炉建設とウラン濃縮施設の「凍結」とIAEA要員による監視を許容しつつ、それに対する「見返り」を要求してくるかもしれない。ただし、米朝「枠組み合意」が生んだ朝鮮半島エネルギー開発機構(KEDO)はその議定書をみても、重油の提供と軽水炉支援を主たる目的としていたが、軽水炉の燃料となる低濃縮ウランの提供についての合意はなかった。北朝鮮が再開後の6者会談で、かつてのKEDO以上の「取引」を提示し、軽水炉建設とウラン濃縮施設の「凍結」の「見返り」に軽水炉のみならず、燃料供給を求めてくるかもしれない。

いうまでもなく、それは北朝鮮がウラン濃縮を放棄することを意味しない。北朝鮮のいう「自前の軽水炉」が生産スケールに達しているとは考えにくいが、北朝鮮が米国の核物理学者ヘッカーに公開した施設は、北朝鮮がもつウラン濃縮施設の全部ではないであろう。核燃料の再処理とは異なり、ウラン濃縮はその過程で放射性ガスを放出するわけではなく、隠密裏にその活動を行うことができる。しかも、平和利用の低濃縮ウランと兵器級の高濃縮ウランの間の差異は濃縮度にしかない。平和利用の名目でウランを濃縮するとしながら、濃縮を繰り返せば、兵器級の高濃縮ウランを生産することは不可能ではない。

これは北朝鮮とは異なりNPT締約国ではあるが、イランが試みている方法に酷似している。実際、イランは2010年2月、ナタンズのウラン濃縮施設でのウラン濃縮度を従来の3.5パーセントから20パーセントに引き上げることを国際原子力機関(IAEA)に通告して今日に至っている。兵器利用のためにはさらに濃縮を繰り返し、80パーセント以上の濃縮度に上げる必要があるが、IAEAの定義では20パーセントの濃縮ウランはもはや低濃縮ウランではない。イランのウラン濃縮を放置すれば、イランが兵器級の高濃縮ウランをもつことは確実となる。北朝鮮もイランの核交渉を注視しているに違いない。米国とのKEDO以上の「取引」を模索しつつ、高濃縮ウランの生産の余地を残すことにこそ、北朝鮮がウラン濃縮問題を6者会談で取り上げようとする意図があると考えるべきであろう。

4.おわりに――米中「大国間の協調」と北朝鮮
上にみた通り、北朝鮮の二つの軍事攻勢とウラン濃縮の公表が今後の6者会談に与えた影響は大きいが、その帰趨には中国が深く関わっている。確かに、北朝鮮の二つの軍事攻勢に対する中国の対応は、韓国を大きく落胆させた。中国は「天安」撃沈事件については、国連安保理の討議を鎮静化し、議長声明の発表で事態をいったん収拾させた。また、中国は延坪島砲撃事件については、南北双方に冷静な対応を求める一方で、6者会談首席代表による緊急会合を提案し、この問題の安保理付託を回避しようとした。北朝鮮の謝罪を先決とする韓国とその立場に同調した米国と日本は中国の提案に応じず、むしろ黄海で米韓合同軍事演習を展開した。そこには米原子力空母ジョージ・ワシントンが初めて黄海での軍事演習に参加することになり、海上自衛隊もオブザーバー参加した。これを受け、朝鮮半島には米韓(日)対中朝という冷戦期の対立構造が再浮上したとの見解も散見される。これまで米朝関係と南北関係で語られてきた「西海5島」の問題に、米中関係という第3の次元が加わったといえるかもしれない。

またウラン濃縮問題についても、米国が北朝鮮の高濃縮ウラン計画疑惑を挙げたとき、中国はそれに懐疑的であったが、北朝鮮の原子力平和利用の権利については北朝鮮がNPTに復帰すればその権利をもつという立場をとっていた。ところが、北朝鮮がウラン濃縮計画を公表したとき、中国はむしろ北朝鮮の立場を擁護する姿勢に傾いていた。その後、中国はウラン濃縮問題を国連安保理に付託する声を封殺し、北朝鮮の原子力平和利用の権利についても北朝鮮に好意的な発言を行っていた。

しかし、北朝鮮がいったんは6者会談からの離脱を公言し、対米「正面突破」を試みていた北朝鮮が、条件付きとはいえ6者会談への復帰の意思を示していることは、米中間の「大国間の協調」の力学が依然として朝鮮半島に作用していることを示している。なぜなら、6者会談が米朝中3者会談を母体としていたという成立の経緯にみられるように、6者会談それ自体が、朝鮮半島非核化のための米中「大国間の協調」の産物に他ならないからである。問題は、「1・11平和提案」にみられるように、北朝鮮が6者会談とは連動しない対米直接協議の限界を認識し、6者会談の枠組みを尊重しているような言辞を弄しても、やはり平和体制樹立の過程で韓国と中国の発言力を極小化し、「核保有」を既成事実化しようとしているところにある。

最近、中国が提案した南北対話と米朝協議を経て6者会談再開という3段階提案を行ったのに対して、北朝鮮が南北首脳会談のための秘密交渉の内容を「暴露」したのも、南北対話を経ず対米直接交渉を実現させる意図からであったろう。また、北朝鮮が「核保有」を既成事実化しようとする意志もむしろ強まっているとみなければならない。とりわけ、北朝鮮は北大西洋条約機構(NATO)軍のリビア空爆から、「核保有」の必要性を強く認識したに違いない。リビアは米英両国との交渉の末、2003年末に大量破壊兵器の開発計画の全面放棄を約束し、その結果、米国のテロ支援国リストから除外され、米国との国交正常化も実現した。しかし、NATO軍のリビア空爆は、テロ支援国リストからの除外も米国との国交正常化も結局は、空爆を防ぐことはできなかったという「教訓」を北朝鮮に残した。

北朝鮮にとって、米中「大国間の協調」は決して望ましい現象ではない。それによって、北朝鮮の対米マヌーバーは狭まらざるをえないからである。したがって、米中両国が「大国間の協調」を強くすれば、北朝鮮は再び米中間を離間させるべく、軍事攻勢を仕掛けてくるかもしれない。にもかかわらず、6者会談で問題解決を試みる以上、米中両国が「大国間の協調」の下で、米朝平和協定締結と――ウラン濃縮によるものを含め――北朝鮮の「核保有」の試みを封殺し、北朝鮮の対米マヌーバーを狭めていかなければならない。6者会談が本来的に孕むアポリアはここにあるのかもしれない。    (了)

※ここに示された見解は、筆者の個人的見解であり、筆者の所属する防衛大学校、防衛省、日本国際問題研究所を代表するものではありません。