コラム

北朝鮮経済の現状③―「先軍時代の経済建設路線」可視化の試図とその諸相―

2011-12-01
飯村友紀(日本国際問題研究所研究員)
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前回の小論に見たごとく、北朝鮮における「先軍時代の経済建設路線」すなわち軍需産業優先路線は、重工業・軽工業・農業からなる産業部門の連関の中に軍需産業(「国防工業」)というファクターを位置付けんとするものであり、なおかつその眼目は、直接的な軍事力増強を所与の条件とした上での全般的な経済浮揚の方策を説くところに存していた。その結果、軍需産業は新たな構成要素としてよりは―重工業との事実上の一体化という概念操作を経て―「重工業にして国防工業、国防工業にして重工業」というカテゴリーとしてそこに挿入され、もって従来型の重工業優先のロジックへの「接木」が図られていたのである (1)

「原理的に見るとき、先次的な力を入れて優先的に発展させていく経済部門が全般的人民経済発展において先導的役割を果たす。先軍時代には国の経済土台もかつての時期とは異なり、国防工業を主導的・核心的地位に置いて見るのが科学的である。先軍時代の社会の物質生産的土台において基礎的なものは国防工業・重工業・・・・・・・・・である」(傍点筆者) (2)
斯様な言説の展開は、あるいは従前より北朝鮮における重工業が軍需産業と実質的に同義であった可能性をも強く示唆するものといえようが、ともあれ、このようなロジックを通じて、北朝鮮経済において重要な地位を占めることが明白でありながら、その存在が必ずしも詳らかにされてこなかった軍需産業は金正日体制下の経済部門において―経済成長の鍵として―浮上することとなった。もとより、従来型の論理が援用される以上「軽工業と農業で要求される各種機械設備は重工業において保障され、軽工業部門に必要な原料・燃料・資材など、また農業で要求される肥料と農薬も重工業において生産・保障される。国防工業の先導的役割が重工業部門の発展を推動する以上、軽工業と農業の基本生産土台は国防工業の先導的役割によってのみ発展しうる」との表現を俟つまでもなく (3)、軍需産業がそこにおいて優越的な地位を占めることは自明であり、また、システムの改編よりも投入(インプット)の増加を選好する傾向の強い北朝鮮経済においては (4)、結局は「四大先行部門」と称される金属・電力・石炭・運輸の各部門での増産があらためて強調され、軍需産業・重工業・軽工業・農業のいずれの成長にも貢献するいわば「最大公約数」として、当面の具体的目標に設定されることになる (5)。かくして、科学技術的波及効果と需要創出効果の強調(前回参照)・重工業との一体化・「四大先行部門」への還元を通じて、軍需産業への優先投資と、2012年を前にして一種の政権公約と化した生活水準の向上(「人民生活の向上」)の整合性はロジックの上に「確保」され、「軍需産業の伸張を通じた経済成長」という言説が公的文献上で主たる流れを形成するに至ったのであった。

そして、斯様な動きと歩を合わせ、文献では軍の経済的側面がクローズ・アップされていた。軍人が大規模建設工事・土木事業に労働力として動員され、軍事訓練を通じて涵養された高い規律と闘争心をもって工事に従事する存在としてその精勤が顕彰されるとともに、それがイデオロギーとしての「先軍政治」を支える論拠の一つともなってきたことは周知の通りであるが、近年においてはそれに加え、次のような傾向が顕現していたのである。直近の事例を参照しつつ列挙してみよう。

まず、軍需産業自体に対して直接的な言及がなされる例が次第に増加しつつあり、実態としての重要性とは裏腹に『労働新聞』などの媒体上でその存在が隠匿されてきた兵器工場が称揚の対象として取り上げられるに及んでいる (6)。また、経済的活動の主体としての軍・軍部隊の活動も、軍部隊内の自給自足用生産施設の運用、あるいは軍隊への物資供給用施設の運営といった従来の事例からさらに歩を進め、軍部隊の工場における民需品生産、あるいは軍部隊による直接的な経営活動が明らかにされるとともに、それらが他部門の倣うべき模範単位に位置付けられるようになっている (7)。加えて、昨年からは軍需産業から民生部門へのフィードバックが具体的な事例として語られ始めており、例えば2011年7月に開催された軽工業産品の大規模展示会「第2次平壌第一百貨店商品展示会」に対しては、「今回の展示会では党の領導の下に経済強国建設のすべての戦線で主体化・現代化の砲声をとどろかせて生産した軽工業製品が出品された。先端科学技術に基づいて世界的な競争力を備えた数多くの製品の一つ一つには最先端突破戦の機関車となって人民経済の現代化、CNC化を先頭で引っ張るわれらが国防工業の威力が込められている」との記述がなされるなど、特にCNC(コンピュータ数値制御)に代表される科学技術が軍需産業に由来するものであることが闡明され、その民生部門への波及効果が主張されて、現在に至っているのである (8)

斯様な現象に対しては、一般部門とは別会計で運営されるといわれる軍部門を民生分野においても活用せんとする意図、あるいは「先軍政治」下で軍の位相が相対的に上昇したことを反映して一般部門に対しても軍の影響力(統制)が拡大している可能性など、各様の解釈が可能であろう (9)。ただし、総体としての言説の展開過程から浮上するのは、軍需産業優先路線の妥当性を現実の中で「実証」せんとする北朝鮮当局の志向性であり、それに導かれた言説がおりなす独特の綾に、近年の北朝鮮経済のいまひとつの特徴が求められるのである。

もとより、斯様な軍需産業優先路線のロジックがいかほど字義通りに機能しているかは定かではない。ただ、「機械技術手段を生産する機械工業、原料・資材燃料を生産する金属工業・石炭工業、動力を保障する電力工業のような生産手段部門は重要な重工業部門である。このような重工業部門は国防工業が要求する機械設備と原料・燃料を保障し、その残りを民需生産に回すようにしなければならない」との記述がなされる同路線に関して (10)、ほかならぬ北朝鮮の文献が以下のような言説を展開し、自らのロジックの整合性についてある種の予防線を張っている点は付記しておく必要があろう。

「経済的発展は社会発展の一部分、一面を包括しているのみであって、社会発展のすべてではない。先軍政治は軍事先行の原則によって革命と建設のあらゆる問題を解いていく政治方式である。したがって経済建設では国防建設を先立たせ、優先する原則を守ることを要求する。むろん、国防分野に多くの投資を行えば一般民生に影響を及ぼすこともありうる。しかし、その影響が国と民族の自主性を擁護・固守し、平和を担保する代価であるとするならば、そのような代価はいくらでも負担しうるものであり、また負担すべきである」 (11)
ともあれ、このような事例を通じても、巷間指摘される「北朝鮮当局にとっての軍需産業の重要性」とそれに対する執着の度合いはあらためて看取される。さらに付言すれば、「朝鮮の自衛的戦争抑制力の誇示の後、世界各国が朝鮮との貿易取引を主張したり、投資に対する積極的な姿勢を見せている現実は、それらの国々が先軍政治によって準備された朝鮮の強力な軍事的抑制力が平和的建設の環境を決定的に保障するようになったという判断を下していることを雄弁に物語っている」 (12)といった一種極端な言説の背景に、斯様な(北朝鮮当局にとっての)現実的な問題意識が投影されている可能性が見出されるのであり、仮に北朝鮮当局が大幅な政策転換を行おうとする場合、このような言説の傾向にも何らかの変化が現れることが推測される。あるいは、プロパガンダの言説と実際の問題意識との間の隠微な繋がりのありようこそが「先軍時代の経済建設路線」の示唆点の一つである、とも換言されよう。


(1) 「先軍偉業の生命線」『労働新聞』2003年1月24日付。別の文献では、この点はより端的に「先軍時代の経済建設路線は社会主義経済建設の基本路線の継承・発展である」と表現される(『光明百科事典』第5巻、百科事典出版社、平壌、2010年、162頁)。なお、従来型のロジックは引用文にあるように「社会主義経済建設の基本路線」と称され、そこにおいては重工業・軽工業・農業の同時発展が唱えられつつ、その具体的方策として重工業への優先的投資が主張されていた。

(2) 韓ヨンオク「国防工業の先導的役割は先軍時代の経済発展の必須的要求」『経済研究』2009年第2号、2009年6月、5頁。

(3) 同上、6頁。

(4) 「主体91(2002)年4月15日、敬愛する金正日将軍さまにおかれては、ある責任イルクン(筆者註:幹部)に対し、電気の生産が拡大すれば石炭と圧延鋼材の生産が増大し、石炭と鋼材の問題が解決されれば肥料と農薬を生産して農業生産を伸ばすことができ、ビナロンをはじめとする化学繊維と合成樹脂も生産して人民生活を解くことができるとおっしゃり、われわれは経済構造を直す必要もなく、改革する必要もない、基本は電気の問題を解くことなのだと語られた」(『先軍太陽 金正日将軍(第4部)』平壌出版社、平壌、2007年、278頁)

(5) 「わが党が先軍を行うのも、結局は人民に尊厳ある幸福な生活をしつらえてやるためであり、大高潮の炎高く人民経済四大先行部門の発展を力強く推進しているのも、軽工業と農業の発展を積極的に促して人民生活の問題を一日も早く解決せんがためである」(「全党的・全国家的な力を集中して人民消費品生産を大々的に高めよう」『労働新聞』2010年3月15日付)

(6) 「朝鮮人民軍最高司令官金正日同志におかれては朝鮮人民軍海軍第597軍部隊管下の工場を視察された」『労働新聞』2011年3月17日付。同工場が「現代的な兵器廠」として「革命武力の強化に大きく寄与し」たとの記述がある。

(7) 「偉大な領導者金正日同志におかれてはシン・チョルヒ同務が事業する養魚研究所を現地指導された」『労働新聞』2011年6月3日付。軍人が管理する施設であり、「チョウザメ・ニジマス・カワゴイ・ゴールデントラウトなど」の「高級魚族を人民に供給している」との説明がなされている。

(8) 「社説 軽工業に連続的な拍車をかけ、人民消費品生産で一大転換を起こそう」『労働新聞』2011年8月1日付。同展示会には「1400余種、350万余点」の軽工業製品が出展されたという。

(9) なお、そのような言説においては、軍・軍部隊が独自の物資調達・供給ルートを有していることが従来以上に強く示唆されていた。例えば、過去の逸話の回顧の形をとり、なおかつ「自力更生」すなわち自助努力の事例として描写される次の言説からは軍部隊による計画外の経済活動が相当程度明確に看取され、興味深い。「この日、発電所をご覧になったかのお方(金正日:筆者註)は、党中央委員会責任イルクンたちに対し、この部隊で大規模水力発電所と見紛うような発電所を短期間によくぞ建設した、ある人々は軍隊といえば国家に負担を与えるもの、軍隊で何かを建設したといえば国家から資材と設備をみな受け取って建設したものと思っているがさにあらず、人民軍隊では建設ひとつとっても自力更生で自らやってのける、この発電所も軍人たちが純粋に荷を担い、自力更生をして建設したのだ、と熱く語られた」(『先軍太陽 金正日将軍(第4部)』平壌出版社、平壌、2007年、277頁。2001年5月7日に人民軍部隊を視察した際の発言とされるが、この現地指導を報じた『労働新聞』(2001年5月8日付)記事からは、これに類する発言は見出せない。)

(10) 李チュンイル「重工業は自立的民族経済の基本土台」『金日成総合大学学報(哲学・経済学)』第56巻第2号、2010年4月、91頁。「筆者は中国実習学生である」との注が付されている。

(11) 『先軍政治問答』平壌出版社、平壌、2008年、204~205頁。

(12) 同上、195頁。