領土・歴史センター

<史料館探訪①>フランス外交史料館を訪問して

2024-12-10
柳原正治(放送大学特任教授・九州大学名誉教授)
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注記:本論考は、日本国際問題研究所の見解を代表するものではありません。

30 年以上前から、領土問題・紛争、領海の範囲、不戦条約、犯罪人引渡条約、下関講和条約、安達峰一郎などに関する一次史料の調査・収集のために、日本国内、そして海外の外交史料館や公文書館や大学図書館などを訪問してきた。海外では、英国(国立公文書館、大英図書館、ケンブリッジ大学図書館)、フランス(外交史料館、国防史編纂部、国立図書館)、ベルギー(外交史料館、王立公文書館、王立図書館、王宮史料館、スパ市図書館)、オランダ(王立公文書館、平和宮図書館)、ドイツ(外交史料館、国立公文書館、プロイセン文化財機密国家公文書館、アウグスト公図書館〔ヴォルフェンビュッテル〕)、スウェーデン(国立図書館)、イタリア(外交史料館)、米国(国立公文書館、議会図書館)、メキシコ(外交史料館)、それに韓国(奎章閣)などである。

これらの史料館を利用するにあたっては実にさまざまな経験や苦労をしたが、これらのうちで一番訪問回数が多いのは、フランス外交史料館であるので、ここでは、この史料館の概要を説明することにしたい。直近では、2023 年5 月29 日から6 月10 日まで、また、2024 年4 月15 日から19 日まで、日本国際問題研究所の委託調査で、新南群島に関する一次史料の調査・収集のために、同史料館を訪問した。

委託調査で収集した新南群島周辺の地図(出典:Le centre des Archives diplomatiques de la Courneuve, France, Note historique 842 sur Iles Spratleys et Paracelse)

1.所蔵史料の概要

わたくしが最初にフランス外交史料館を訪問したのは、1990 年代後半であったと記憶している。そのときは「外務省史料館(Archives du ministère des affaires étrangères. Archives du Quai d'Orsay とも呼ばれた)」という名称で、その閲覧室は、ケ・ドルセーにあるフランス外務省の建物の中の一室であった。外務省の入り口に閲覧者用の待機室があって、9 時半から1 時間ごとに係官が呼びに来て、閲覧室まで誘導された。退出も係官に誘導されることになり、最終退出時間は18 時であった。閲覧したい史料は事前に書簡で申請しなければならず、また1 日の閲覧可能な冊数は6 冊に限定されていた。利用は相当に不便であった。2009 年にパリ郊外のクルヌーヴに新たに外交史料館が開設され、2 で説明するように、利用方法は格段に改善された。なお、現在でも外務省の建物のなかに外交史料館閲覧室があるのは、ベルギー、ドイツ、イタリア、メキシコなどであり、利用の仕方・利便性はそれぞれに異なる。

現在フランス外交史料館(Les centres des archives diplomatiques)にはクルヌーヴ館(Le centre des Archives diplomatiques de la Courneuve)とナント館(Le centre des Archives diplomatiques de Nantes)の2 つがある。クルヌーヴ館が主な史料を保管しており、1987 年に開設されたナント館には在外公館やフランス文化センターなどから送付されてきた文書、モロッコ・チュニジア保護領やシリア・レバノンの委任統治領の文書などが保管されている。

フランス外交史料館のサイト(https://www.diplomatie.gouv.fr/fr/archives-diplomatiques/)は充実した情報を提供している(両館の閲覧室の写真も掲載されている)。E メールによる問い合わせにも応じてくれる。また、フランスの外交史料館や公文書館を網羅するサイトがhttps://francearchives.gouv.fr/fr/inventaires/FRMAE であり、キーワードを入力することで所在館が判明する。

2.利用方法・アクセス

(1)クルヌーヴ館

フランス外交史料館・クルヌーヴ館は、パリ北駅からRER のB 線で2 つめの駅ラ・クルヌーヴ- オーベルヴィリエ(La Courneuve-Aubervilliers)から徒歩で2、3 分のところにある。パリの中心部から遠くもなく、ロケーションは悪くない。相当に広大な敷地に外交史料館の建物がゆったりと建てられている。問題はしかし、近辺の治安である。在仏日本大使館の関係者にホテルについて相談したところ、この地域のホテルには宿泊しない方がよいとのことであった。かといって、パリ北駅周辺も治安は良くないため、ホテルは別の地域で探すのが良いことになる。わたくしは2023 年のときにはマレー地区、2024 年のときにはモンパルナス地区にした。モンパルナス地区はパリ中心部のなかでは、比較的ホテル代も安く、治安も良いようである。

クルヌーヴ館は、月曜日から金曜日までの10 時から17 時まで開館している。利用するためには、閲覧者カードを作成する必要があるが、パスポートがあれば、受付で即時に発行してもらえる。閲覧室は2 階にあり、ゲートを通って入場する。持ち込めるものはかなり厳格に定められており(たとえば筆記用具は鉛筆のみとか)、ときには(常時ではないが)ゲートに守衛さんがいて、チェックされることもある。

2 階の閲覧室には何台ものコンピューターが設置されており、一次史料の検索と閲覧申し込みができる。1 日に閲覧できるのは6 冊という限定がついているのは、ケ・ドルセーのときと同じであるため、滞在日数と閲覧したい史料の冊数を十分に計算しておく必要がある。もっとも、デジタル化された史料はコンピューターで直接閲覧でき、この冊数制限は適用されない。ただし、そのデータをダウンロードすることはできず、保存するのであれば、コンピューターの画面をデジタルカメラで撮影するしかない。

閲覧申し込みをしてからしばらく経つと(届けられるのは30 分ごと)、カウンターで申し込んだ史料を受け取り(1 冊ずつ。同時に複数の史料は受け取れない)、指定された番号の席で閲覧することになる。なお、マイクロフィルムは別室に配置されており、自由に閲覧できる。

かなり広い閲覧室の全体を見渡せるように少し高くなったところに監督官がおり、閲覧者の行動を監視している。

ケ・ドルセーのときと決定的に異なるのは、自分のデジタルカメラで史料を直接撮影できることである。大部の史料の場合には腕が疲れてくるが、以前のようにコピーを依頼する場合よりははるかに便利になった。クリップなどで閉じられ、見えない部分がある史料の場合には、さきの監督官に依頼すると、気軽に応じてクリップを外して撮影しやすいようにしてくれる。

(2)ナント館

2023 年にクルヌーヴ館で史料調査・収集をしたおりに、閲覧したい史料の一部がナント館に所蔵されていることが判明した。館間で史料のやり取りをすることはなく、ナント館所蔵の史料はナント館でしか閲覧することができないとのことで、2024 年にはクルヌーヴ館とともに、ナント館での史料調査・収集も行った。

ナント館は、パリからTGV で2 時間あまりのナント市に所在する。ナント駅から、繁華街とは反対側の方向に徒歩で20 分ぐらいのところにある。月曜日から木曜日までは9 時から18 時、金曜日は9 時から17 時まで開館している。閲覧室はクルヌーヴ館に比較すると10 分の1 程の規模である。閲覧室に入るためには、パスポートとクルヌーヴ館で発行してもらった閲覧者カードが必要である。

史料を閲覧するためには、クルヌーヴ館とは異なり、事前に(遅くとも2 日前までに)メールで閲覧申し込みと座席の確保をしておく必要がある。メールでの対応は迅速であり、またとても親切である。さらに、閲覧室では、13 時までに閲覧申し込みをすると、翌日その史料を閲覧できる。1 日の閲覧可能冊数は7 冊であり、クルヌーヴ館とは微妙に異なっている。

閲覧当日はカウンターで申し込んだ史料を1 冊ずつ受け取り、指定された番号の席で閲覧することになる。デジタルカメラで撮影できるのもクルヌーヴ館と同じである。

3.利用にあたっての留意点

写真は2023 年にクルヌーヴ館を訪問した際、連日4 人の司書にあたってようやく見つかった新南群島及び西沙諸島の関連史料(出典:同上)

(1)クルヌーヴ館

クルヌーヴ館はこれまでにおそらく10 回近く訪問したが、2023 年の訪問のさいに印象的な出来事があった。オスロの研究所勤務の研究者が執筆した論文のなかに、'Note historique 842 sur Iles Spratleys et Paracelse' という新南群島と西沙諸島に関連する史料がクルヌーヴ館に所蔵されているとの記載があったため、この史料を閲覧しようとコンピューターで検索をかけてもまったく出てこない。書棚には所蔵史料一覧の冊子が何冊も配架されているが、それらを見ても該当する史料はみあたらない。閲覧室には相談カウンターがあり、司書の方が常駐されている。ほぼ毎日違う司書の方がおられるので、3 日間連続して3人の司書にこの史料のことを聞いてみたが、まったくわからないとのこと。4 日目に4 人目の方に相談したところ、思い当たることがおありなのか、明日まで待って欲しいと言われた。しかし、翌日の閲覧室にはその司書の方はおらず、結局見つからなかったのかとあきらめていたところ、その翌日にカウンターに行くと、その史料が置かれていた。ビックサプライズであった。何日か後にその司書の方と会うことができたので、詳細を聞いてみたところ、当該史料は本来史料館勤務の職員用のものであり、一般には閲覧に供していないとのことであった。オスロの研究者がどのようにしてこの史料を閲覧できたかはわからないが、わたくしも根張った末に閲覧でき、しかもデジタルカメラでの撮影もできた。新南群島・西沙諸島について重要とみなされる史料を精選して複製したもので、貴重な史料であることが判明した。

史料調査・収集とは、閲覧者が史料と直接向き合うことであるが、それを媒介する史料館司書の方々との縁も重要であることを再認識する出来事であった。その司書の方に、次回この史料を閲覧するためにはどのようにすれば良いかを伺ったところ、ご自身の名前を出して聞いて欲しいとのことであった。別の司書の方では難しいだろうとのことであるとわたくしは理解した。もっとも、この史料はすべて遺漏なく撮影したので、もう一度閲覧する必要性はほぼないのだが。

(2)ナント館

ナント館で印象的であったのは、アスベスト被害である。事前に閲覧申し込みをしたところ、そのうちの1 冊は閲覧できないとのこと。何故なのかを問い合わせたところ、その史料を収蔵している建物でアスベストに晒され、健康上の理由から隔離されているとの説明であった。そんなことがあるのかと疑心暗鬼になりながら、実際にナント館を訪問したときに、カウンターの司書の方に伺ったところ、同じ説明であった。ナント館はかなり広い敷地内にいくつかの建物が建っているが、一体どの建物でアスベスト被害にあったかはわからなかった。わざわざ日本からその史料を閲覧するために来たのだと食い下がってみたが(実際にはそれ以外にもかなりの数の史料を閲覧したのだが)、通用しなかった。クルヌーヴ館のような「僥倖」にはここでは遭遇できなかった。

ただ、ナント館の司書の方々はみなさん笑顔を絶やさず、とても親切で、実に快適に史料の調査・収集ができた。

4.おわりに

現在世界では史料のデジタル化が急速に進んでいる。しかし、注意したいのは白黒での提供となっている場合である。原史料が多色である場合、重要な情報が抜け落ちてしまう危険がある。さらに、ある史料館の史料がデジタル化されているときに、どこまでの史料がデジタル化されているかに常に注意を払う必要がある。典型的なのが、日本の外務省外交史料館の史料である。同史料館や国立公文書館の史料などをデジタル化して提供しているアジア歴史資料センター(JACAR)は、使い勝手もよく、はなはだ有益なサイトである(https://www.jacar.go.jp/)。しかし、ここにアップロードされている史料がすべてでない場合があることは重々注意しなければならない(たとえば、戦前期外務省記録3 門通商8 類帝国臣民移動、9 類外国人移動、4 門司法及警察)。また、国立公文書館はJACAR とは別にデジタルアーカイブを提供しているが、ここでもすべての史料がアップロードされているわけではない(https://www.digital.archives.go.jp/)。

多色の史料の場合、また、JACAR に掲載されていない史料の場合は、外交史料館や国立公文書館で史料と直接対峙するしかない。いままでの分については無理であろうが、これからデジタル化を進めるにあたっては、多色での提供はできないものだろうか。

史料館・図書館の目的が一次史料の保管にあることは間違いないが、それとともに閲覧希望者へのサービス提供も重要な任務である。海外の史料館・図書館の司書の方々はそうしたことを十分に理解されており、ルールの適用を厳格にではなく柔軟にされ、また常に笑顔で対応されることが圧倒的に多いが(「アスベスト被害」は健康にかかわることで致し方のない対応であったと思う)、日本の場合には必ずしもそうではないと感じることがままあるのは、残念なことである。

[追記] 随分以前に発表したエッセイであるが、柳原正治「外交史料館を訪ねて」『書斎の窓』445 号(1995年)42‒46 頁は、米英日の主要な史料館を紹介している。