最近、グルジア・ロシア関係が緊張している。チェチェン関連である。従来よりロシアは、ロシア内チェチェン共和国から逃れた武装勢力がグルジア内パンキシ渓谷を根城としているとして警戒していた。パンキシ渓谷はチェチェン・グルジア国境より南に位置し、グルジア内の地域であるが、7月に同渓谷からチェチェンに移動中の武装勢力がロシア軍と交戦した際に、ロシア軍がグルジア領にも攻撃を加えた模様で、グルジア側がそれを非難した。それに呼応して、ロシア側はグルジアがチェチェン武装勢力を野放しにしていると非難し、これに対してグルジア側はチェチェン武装勢力は本来はロシアの問題でグルジアは被害者であると、非難を返した。その後更に非難の応酬合戦が起こり、事態はエスカレートしていった。
もとより、グルジア人もチェチェン人もカスピ海と黒海に挟まれたコーカサス山脈の麓に住む民族である。この地域は言語のガラパゴスと言われる程に多くの民族が住んでおり、比較的に大きな言語人口のグルジア(約300万)から、小さいのは1000人程度という言語まである(注1)。これら諸民族は、18−19世紀に南下を企てるロシア帝国に征服された。しかしながら元来独立の気概が強い山岳民族である。チェチェンは特に独立心が強く、19世紀のロシア帝国による征服の際も頑強な抵抗を展開し、そのような独立心により1944年にはスターリンにより中央アジアに強制移住させられた。また、ソ連邦崩壊プロセスで隣国グルジアが独立するに至り、チェチェンでも大きな分離独立の嵐が第一次チェチェン紛争として吹き荒れた。当然ながら、1992年のロシア連邦条約締結にもチェチェンは拒否した。
チェチェンを考える際にもう一つの大きな要素がある。宗教である。ソ連崩壊の過程で、共産主義亡き後の思想の真空状態を埋めるべく宗教が大きく勢力を伸ばした。旧ソ連の伝統的イスラム教地域においては現実主義的イスラム教と原理主義的イスラム教の両者が覇を競いあった。チェチェンでは原理主義的イスラム教が勝ったのであるが、これがチェチェンが他の原理主義者との関係を深めたきっかけなのであろう。例えば、チェチェン武装勢力の資金源はサウジの原理主義信奉の大富豪だとか、チェチェン人がアフガンのタリバンに参加したとか、アフガン空爆後はタリバン兵士等がチェチェンに逃れてきたとか、あるいは、ビン・ラディンまでもがチェチェンに逃亡したといった噂まで流れた。これらの報道がどの程度真実なのかは不明だが、まあ、火のないところに煙はないというから、何らかの動きはあったのだろう、と想像する。
1999年に再燃した第二次チェチェン紛争自体が、チェチェン武装勢力がイスラム・ワッハーブ派の浸透したダゲスタン南部でイスラム原理主義国家を樹立しようとした試みが発端となっている。この第二次紛争も、連邦軍側が2000年春に首都グローズヌィと平野部を制圧したことでようやく一息ついたのであるが、実際には、武装勢力によるゲリラ活動はなくならない。元より欧米諸国から強い非難を浴びる対チェチェン作戦であったが、幸か不幸か9.11米国テロ事件を契機としてロシアは欧米諸国の若干の理解を得るのに成功し、この機会に本問題を根本的に解決したいと考えたのであろうが、他方、また少しずつゲリラ活動が増えているといった感じである(9.11事件はチェチェン武装勢力を力づけたようで、報道によれば、それを知ったチェチェン武装勢力はお祭り騒ぎだった由)。更に、そのようなゲリラ活動の発生源がグルジア内パンキシ渓谷であり、ロシア軍部は「臭いものは元から断たなきゃダメ」的な発想でパンキシ渓谷をたたいたのだろう。
折り悪く発生したチェチェン武装勢力によるロシア軍用ヘリの撃墜事件(8月19日、チェチェン内ハンカラ、ロシア側114名死亡)が火に油を注ぐ形となり、ロシア軍は8月23日にパンキシ渓谷を空爆した模様である(注2)。その空爆によりグルジア一般人の死傷者が発生したことから、両国関係は一気に悪化した。グルジア内ではロシアとの断交を主張する声も出始め、国会はCIS脱退を決議するに至った(ただし、シェヴァルナッゼ大統領により否決)。これに対して、ロシア側は対テロ共同作戦を提案したが、グルジア側は否定的に対応した。
当初は、グルジアの国内問題には介入せずとしていた米国も、腰を上げ(ちなみに、米軍がグルジア軍の訓練のために駐留している)、ロシア側に懸念を表明し、自粛を勧告した。欧州評議会も同様の対応をとっている。
しかしながら、悲劇はまた起きた。9月26日には、ロシア・イングーシ共和国で、グルジア・パンキシ渓谷から侵入した武装勢力150−200名(ロシア側報道によれば、大部分がアラブ人)とロシア連邦軍との間で戦闘が発生し、双方で50名以上が死傷した。この事件の後、ロシア側イワノフ国防相は「今回の武装勢力の侵攻は、武装勢力の基地に予防的攻撃を加えることを決定するための一滴となり得る。」旨発言し、ロシアによるパンキシ渓谷攻撃が今後あり得ることを示唆した。
10月7日にキシニョフで開催されたCIS首脳会議では、ロシアとグルジアは対テロ協力につき合意した。このように政治的には一応収束が意図されているが、現地の状況次第では、今後どのようになるかは予断を許さない。
更に10月23日にモスクワで劇場占領事件が発生した。迷彩服を来て自動小銃で武装した約40名の者が侵入し、600名の観客及び俳優・スタッフを人質に取った。チェチェン側のウェブサイトによれば、建物を占領したのはモフサル・バラーエフ(報道によればバラーエフ野戦司令官の甥)が率いるチェチェン特攻部隊で、ロシア軍のチェチェンからの撤退等を要求している由である。
本事件はまだ進行中で、今後どのようになるかは本当にわからない。チェチェンを巡る情勢は今日も目が話せない。
(2002年10月25日記)
注1 | : | 千野栄一、「注文の多い言語学」、1986年、大修館書店)。ちなみに、チェチェン語はナフ・ダゲスタン諸語に含まれる(「ナフ」とはチェチェン人が自分自身を指す時に使われる。「チェチェン」はロシア人がナフ人を指す時に使用される。 |
注2 | : | ロシア側はロシア軍による空爆を否定している。なお、筆者のロシア人の友人などは、「ロシア軍が空爆をやるのであればヘリ2機程度の小規模な攻撃ではなく大規模爆撃をやるはず。グルジア内でシェヴァルナッゼ大統領に反旗を翻す各地域の軍がシェヴァルナッゼ大統領を陥れるためにロシア軍の振りをして空爆した可能性も排除し得ない。」と言っていた。真相は分からない。 |
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