陥落
バグダッドは、あっけなく陥落した。歓喜の声をあげる市民やサダム・フセインの像を引き倒す市民の姿がテレビに映し出されている。この原稿執筆の時点でサダム・フセインの出身地であるティクリットへの攻撃が続いており、キルクークは陥落したがモスルはまだ制圧されていないといった北部の問題は残っている。共和国防衛隊などの残党もいる。大量破壊兵器がどうなっているのか、戦闘で使用される可能性があるのか、ないのかの問題もある。しかし、イラク戦争は、開始後約3週間で、軍事的には、最終局面に入ったようだ。
それにしても、米の軍事力は質量両面で圧倒的である。米軍は、精密誘導兵器を多量に使用し、建物毎のピンポイント攻撃を行い、特に指揮命令系統などへの攻撃を行っている。更に、諜報(インテリジェンス)と直結した作戦は、今回の作戦の特徴である。3月20日に予定より早めて戦闘を開始したのも諜報に基づく決定といわれており、4月7日に行ったバグダッドのマンスール地区への攻撃も、サダム・フセインや息子を含む指導者が集合しているとの諜報によって行われたといわれる。サダム・フセインが生きているのかどうかは別として、少なくとも、これらの作戦によりイラク側指導部が相当除去された可能性はある。サハフ情報相などのイラク側関係者は公の場から姿を消してしまった。10日、イラクの国連大使も、本国との連絡が途絶えていると述べている。通常の国家の指揮命令系統はなくなってきているというのが実態のようだ。
民衆の歓喜の行動が、どれほど大幅なものなのか、人口の3割のスンニーに牛耳られてきたシーア(6割)中心のものなのか一般的なものなのかなどは判然としない。しかし、多くのものがサダム・フセインの恐怖政治から開放されたと喜んでいる。民衆は当初、行動に慎重であった。1991年にシーアとクルドの民衆が蜂起したが、米がこれを支援しなかったため、サダム・フセインにより多くの人が殺害されたこともよく記憶されているに違いない。
今後の課題
今後の焦点は、統治の問題に移る。当初の統治をどうするのか、その次に樹立する必要のあるイラク人による暫定政権をどうするのか、そして選挙を経て樹立する本格政権の準備をどうするのかなどが主たる問題となる。これらの過程の中で、民生の回復、安定、復興を達成していくことになる。そして、問題はいずれも簡単ではない。
当面、制圧した地域の民生の安定が最重要である。特に、民心を安定させる意味で初期の統治の問題は重要である。しかも、事態が急速に動いているので、時間的要素が重要である。治安を確立し、人々の日々のニーズを満たしていかねばならない。
少なくともこの局面で、米英が戦後処理を主導することはやむをえない。米英は、国連決議が得られなくて出動したのであり、更に、米英と仏独ロの間には未だ深い溝があるので仮に国連決議が出来たとしても運用が円滑に進むようには思えないからである。時間との競争が重要であれば、尚更である。これが国際政治の現実ではないだろうか。
他方、国際協力の枠組みを一刻も早く構築することが重要だ。どんなに一般的な内容でも、とにかく安保理決議の傘を作ることが望ましい。そうすることによって、一層多くの国が協力することが容易になるし、また、アラブ諸国との関係もうまくいく。この点、安保理決議を得て対応したアフガニスタンのケースとは異なるが、アフガニスタンのケースは参考になる。米は国連をうまく利用し、国連もうまく米国の指導力を利用した。実態は米が主導したといっても過言ではない。欧州、アラブも一緒に協力した。米欧の意見をまとめる努力が必要である。
国連の役割については、ブッシュ大統領が述べたようにこれを「バイタル(不可欠)」と呼ぶかどうかは別として、人道支援や本格的政権への移行等について、国連が果たす役割は大きい。
わが国が、イラクの再建について、出来る限りのことをするのは当然であり、中東諸国との関係やエネルギーのことを考えれば、日本の利益にかなっている。同時に、幅広い国際協力体制ができるように努力することが重要である。そして、中東諸国とも連携を取っていくことが望ましい。
更にその先のこと
今度のイラク戦争は、今後の国際政治のあり方に大きなインパクトを持つ歴史的な事件になるかもしれない。考えるべきことは、いくつかある。
第一は、米国の圧倒的な力とどのようにエンゲージしていくかである。安保理の実際の決定を見てみると、米国がその意見を常に「一方的に」通してきたわけではない。米が安保理で、特に拒否権をもつ他の常任理事国との関係で、妥協していることは、私も現場で見てきたことである。しかし、今回の事例を見ると、やはり米国の力に圧倒される。そういう巨大な力と意志をもつ米国とどのように付き合うのか、エンゲージしていくのかという問題である。
第二は、今の米国の政策が今後続くのかどうかである。テロに対しては先制行動をとるとの基本的考えは変わらないであろう。しかし、国連の安保理の決定あるいは同盟国の賛同を得ることに代えて、志を同じくする国々の連合(コアリッション)でどんどん行動していくのかどうか。これはいまだはっきりしないように、私には思える。米国の世論、議会、政党などの考えをよく検討する必要があるし、また、そもそも事例によって対応は違うということかもしれない。
第三は、「同盟」の時代は終焉したのかということである。「コアリッション」の時代に入ったのかどうか。この時代において、同盟とはなにを意味するのか。意味があるとすれば、同盟のマネージメントについて、なにを学ぶべきかということである。
第四は、中東地域の「民主化」を進めるべきだという議論が今後どうなるかということである。「レジーム・チェンジ」が、次の外交政策の目的になるのかどうかということがある。次はどこのレジームをチェンジするのかといった議論があるが、「民主化」は、それぞれの国民が、徐々に進めるべき問題ではないか。イラク問題も、真髄は、大量破壊兵器の問題であり、安保理決議の遵守の問題であった。
第五は、安保理の役割はどうなるのかである。不完全とはいえこれほど高い普遍性を持つ国際機関はないし、また、世界全般にわたって強制力をもつ決定を行いうる国際機関は他にない。他方、これをどのように使用するか、しないかは、加盟国自身の決めることである。事務総長が決め得ることでもないし、国連という「政府」があるわけでもない。とすれば、国連や安保理自体を批判しても始まらない。要は、加盟国自身の問題である。安保理の決議が出来なかったとはいえ、そこで世界の中心的な議論が行われたことは厳然たる事実である。安保理が、世界の議論の場、決定の場であることに変わりはない。その意味で、わが国が常任理事国として恒常的に安保理に入っていることを実現するために、一層の努力をすることが重要ではないかと思う。
(2003年4月11日記)
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