1. 国際社会における司法手続きの拡大
イラクによる大量破壊兵器保有疑惑はイラク戦争へとつながり、イスラエル・パレスチナ間対立を平和裏に解決することを目指したロードマップは、再び激化する武力の応酬によって危機に瀕している。国家間の係争を力によって解決することを目指す行動が目に付く昨今ではあるが、しかし法に基づく解決が軽視されているわけではない。司法手続きにより問題の解決を図る場面は、実は増加しているのである。
国際社会において国家間の法的係争を裁く場として、国際司法裁判所(ICJ)が1945年に国際連合の機関として設立され、領土紛争や国家賠償請求にかかわる事項など、数多くの案件につき判決を下してきた。また、世界貿易機構(WTO)が持つ貿易・国際経済にかかわる対立事項に対して下されるパネル判断は、一貫して重要な紛争解決手段でありつづけている。さらに1996年には国際海洋法裁判所が、また国際刑事裁判所(ICC)の設立条約が2002年に発効するなど、国際社会において司法手続きを活用しうる場の数は徐々に増加している。
2. 人材育成と国際法模擬裁判アジア・カップの開催
司法の場に付託する機会の増加にともない、迅速かつ日本の主張を適切に反映した判決・パネル判断を下されるよう、日本としての環境整備をする必要が高まっているといえる。日本国内ではロースクールの設置が目前だが、国内裁判所で活躍する人材を育てることと同時に、国際社会において活躍しうる人材育成も、日本にとっての課題の一つである。法学研究は、実学としての視点をもつという。日本国内の裁判官を養成にするにあたっては、実際の裁判での弁論を想定した訓練が必要不可欠だが、国家間の係争を国際的な司法の場に訴えた場合にも、同様に一定の技量をもった人材が必要になっているといえよう。
このような情勢下において去る8月23日〜24日にかけ、外務省主催により国際協力事業団国際協力総合研修所を会場に、国際法模擬裁判アジア・カップが9カ国12チームの参加を得て実施された(日本、タイ、ラオス、マレーシア、中国、インドネシア、シンガポール、フィリピン、ベトナム)。国際法模擬裁判とは、架空の国家間の法的紛争を想定し、国際法に基づいた立論と弁論技術を国際司法裁判所での裁判を模して競う競技のことである。書面、弁論の両面から評価され、チームとしての順位を競うと同時に、弁論の技量も評価される。
国際人権規約に規定された人権の侵害を素材に行われた二日間にわたる競技の結果、今大会の総合優勝はフィリピン大学(フィリピン)、準優勝はマラヤ大学(マレーシア)であった。総合原告2位は早稲田大学、総合被告2位に清華大学(中国)となった。弁論技術については個人が受賞対象で、日本からは原告側弁論の1位と3位にそれぞれ早稲田大学と大阪大学からの参加者が選ばれている。模擬裁判の開催に先立って提出される書面に関しては、残念ながら日本から入賞チームは出なかった。
3. 参加者の声
今回はじめてアジア・カップを主催した外務省人権人道課は、人材教育とともに、人権意識の向上や法の支配をアジア諸国に広めることもねらいとしたと言う。参加者にとって、アジア・カップはどのような意味をもったのであろうか。
アジア・カップに参加した日本チームは、日本国際法学生協会(JILSA)が毎年開催してきた国際法模擬裁判ジャパン・カップの上位チームであった。同団体には現在、青山学院大学、慶応義塾大学、上智大学、東京大学、一橋大学、大阪大学、神戸外国語大学、西南学院大学、学習院大学、法政大学、東北大学、早稲田大学、京都大学、同志社大学、岡山大学、新潟大学の16大学から構成され、日本国内の模擬裁判の企画運営を担っている。討論技術を訓練する機会が相対的に少ない日本の教育状況を思い起こすとき、このような活動に日本の若い世代が関心をもって地道に取り組んでいる姿勢は、見るものに強い印象を与える。
日本の参加チームからは、国際法にかかわる知識は事前に十分な準備をしており不安はなかったが、英語力による限界を感じたとの声があり、英語による討論技術の訓練の必要性を強く感じる場になったようだ。確かに、国際法模擬裁判はシナリオがあるわけではなく、競技の場で裁判官から質問がなされた場合、とっさの判断と対応が求められる。そこで、予定しない質問があった際に迅速に対応するための訓練も必要だといえよう。
さらに日本の参加者は、国内大会であるジャパン・カップ参加の際と比較した感想として、日本の参加者と他のアジア諸国からきた参加者の視点の違いを強く認識したという。具体的には、日本チームの論理構築方法は、国際法上の論点を細かく積み上げることで構成するが、対戦したアジア諸国は、より広い視点に機軸を置いて論理を構成していると感じたというのだ。
またアジア諸国からの参加者からも、他国からの参加者の視点を学ぶことができ、大会後に企画された日本の司法制度の視察も有意義であったとの感想を聞くことができた。アジア諸国の参加者にとっても、アジア・カップは人権規範への理解を深め、さらに他国の司法制度を知るよい機会になったようである。
4. 人権意識の向上と法の支配の深化にむけて
1993年の国連世界人権会議での議論を思い起こすまでもなく、人権保障に対する理解には国によって大きな違いがある。アジア地域においても独自性を強調する国は多く存在する。そのようなアジア地域の若者たちにとって、人権にかかわる事例を課題とした模擬裁判の実施は、国際社会における法的解決手続きへの理解を深めるのみならず、国際法に規定される人権基準に関する他国における解釈を学び、自国における議論と対比するきっかけともなろう。
アジア諸国からの参加チームに関しては、数ヵ月の準備期間で臨んだチームもあったと聞く。日本においてアジア・カップを今後も継続して開催することで、アジア諸国内でも国際法模擬裁判に対する理解を定着させることができよう。さらにアジア・カップやそれに先立つ国内大会をも充実させることは、日本やアジア諸国の若者たちの間で、国際法に基づく紛争解決手続きや国際法規範に対する関心を高めるきっかけともなろう。
国際法模擬裁判に参加する動機をたずねると、法律を扱う職業に将来つきたいからという学生もいれば、弁論技術の向上のためという学生もおり、さまざまであった。今大会を目標に国際法の知識と論理的思考、そして弁論技術の習得に努力してきた参加者の姿にふれたとき、小さいことかもしれないが、彼ら彼女らの地道な努力こそが、それぞれの国にとって、そして国際社会にとって重要である点を改めて感じる機会となった。(了)
(2003年10月2日記)
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