10月20日及び21日、アジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議がバンコク(タイ)で開催され、わが国からは小泉総理が出席した他、米国・ブッシュ大統領、中国・胡錦濤国家主席、ロシア・プーチン大統領、韓国・ノ・ムヒョン大統領をはじめ21メンバー・エコノミーから首脳が参加し、ホスト国・タイのタクシン首相の議長のもとで首脳宣言を採択し閉幕した。
首脳宣言の骨子
「未来に向けたパートナーシップ」に関するバンコク宣言をサブ・テーマとする首脳宣言は、ボゴール宣言 1の達成のためには、急速に変化する国際環境の中で人々と社会が自由で開かれた貿易の恩恵を十分に享受できように備える一方で、域内の貿易・投資を自由化し、円滑化するためのみならず、安全に対する脅威から人々と社会を保護するためには、力強いパートナーシップの強化が極めて重要であるとし、このような措置により「人々のための安定、安全及び繁栄を達成する」というAPECの目的を実現することができると総括した。
首脳宣言の骨子は、「貿易・投資の自由化の促進」、「人間の安全保障の強化」、「人々と社会がグローバル化の恩恵を享受するためのAPECの活用」の3つの柱から成っている。「貿易と投資の自由化の促進」では、先般決裂したカンクン(メキシコ)でのWTO交渉について首脳レベルで交渉の早急な再立ち上げの必要性で認識の一致を見た点は評価できよう。「安全保障の強化」では、マレーシアのマハティール首相から反発があったものの、テロリストの撲滅や大量破壊兵器の拡散防止等の安全保障上の課題について必要な措置をとることが首脳レベルで確約された。アジア太平洋地域のすべての主要国が参加するAPECが、テロとの戦いで一致結束した点も今回の首脳会議の特徴として見逃せない。「APECの活用」については、人や社会の能力向上に向けた取り組み、知識基盤型経済構築に向けた努力を中心に議論された。さらに「APEC構造改革イニシアティブ」について各メンバー・エコノミーにおける構造改革の取り組みについて首脳レベルで確約されたことは域内経済成長の実現とAPECの活性化に対する大きな意義を持つと言える。
首脳宣言のほか、昨年のロス・カボスでの首脳会議での議論、本年の重症急性呼吸器症候群(SARS)の影響などを踏まえ、「健康への投資が経済成長に資する」という認識のもと「健康安全保障に関するAPEC首脳声明」が採択されたのは時宜を得たものであった。会議期間中、日本の小泉総理はロシア、中国、韓国の三ケ国の首脳と二国間会談を行い、北朝鮮問題等についての意見交換を行うとともに、メキシコ・フォックス大統領とFTA交渉の早期再開について意見の一致を見た。日米が目指した核開発、拉致問題を含む北朝鮮問題についての特別声明は中ロの反対(「北朝鮮を刺激しない方がいい」という立場)や拉致問題に関する各国の温度差もあって見送られたが、議長総括で一応、触れられており、満点とはいかないが、温度差の解消に一定の効果をもたらすものと言えよう。
変質するAPEC
APECが発足したのは、1989年11月のキャンベラ(オーストラリア)での第1回閣僚会合
であり、93年11月のシアトル(米国)での閣僚会合後に米国・クリントン大統領(当時)の提案により毎年秋に首脳会議が行われることとなった。
APECの活動の柱は▼貿易・投資の自由化(関税、非関税障壁、サービス、投資等の多岐にわたる分野において障壁をなくし、自由化を進め、貿易・投資を促進する取組)▼貿易・投資の円滑化(各メンバー・エコノミーの異なる規格・基準あるいは制度が貿易や投資の障壁となっている分野について、できるだけ統一された基準を採用すること、各国制度の明確化・透明性の向上を図ることなどにより、貿易・投資を促進させる取組)▼経済・技術協力(メンバー・エコノミーの発展段階の多様性を考慮し、域内の発展の格差縮小と成長の障害の除去を目指す取組)の3本であった。
しかし、APECのこの存在意義は、昨今の自由貿易協定(FTA)を含む地域統合の加速化が域内に大きく浸透してきたことにより薄らいでいる印象は否めない。バンコクでの首脳会議においてWTO交渉再開の重要性を訴えたAPECの成果は見逃せないものではある。ところが、世界各国が多種多様な利害の調整を抱えた貿易問題を多角的に促進しようという試みは、過酷でプラグマティックな二国間や限られた狭いエリアの交渉に比べ、実態経済のスピードに立ち遅れてしまう傾向があり、21メンバー・エコノミーを包括するAPECも、そうした観点からすると影響力が問われる現状にあるのではなかろうか。
今回のバンコク会合でも二国間首脳会談が頻繁に開催され、FTA交渉開始の合意が多く見られた。中でも米中首脳会談で焦点の「人民元切り上げ」問題で研究チームを立ち上げることで合意し、さらに北朝鮮問題でブッシュ大統領が「北朝鮮の安全を保障する用意がある」とこれまでの姿勢から一歩踏み込んだ柔軟な考えを示し、北朝鮮にメッセージを送ったことは世界を駆け巡る大きなニュースとなった。それは当然、世界の工場として経済的にも、北朝鮮を巡る六カ国国協議のホスト国として急速に存在感を増した中国の姿を各国首脳に強く印象づける結果ともなり、まさに太平洋をはさむ米中がAPECの主役となった感があった。こればかりでなくAPECを舞台に活発に展開される首脳外交がより注目を集め、多国間地域政府協議体としてのAPEC本来の目的は薄らいだように見えたのではないか。
この背景は貿易問題に関する新しい傾向に加え、やはり世界を震撼させた9.11テロ攻撃事件以後の米国を中心とした反テロ包囲網つくりがAPECにも巨大な影を落としているためと言えよう。つまり経済発展の基盤という理由で「地域の平和と安定を最重視する姿勢」が色濃くなってきたことである。
APECのこれまでの流れを概観すると93年11月のシアトル以降、94年11月「ボゴール宣
言」、95年11月「大阪行動指針(OAA)」 2を通じて貿易・投資の自由化に至る長期的プロセスが提示され、96年11月マニラでは、「個別行動計画(IAP)」 3と「共同行動計画(CAP)」 4の策定、97年11月バンクーバーでは「早期自主的自由化分野(EVSL)」 5へと進展してきた。97年からのアジア経済危機を経て、2000年11月ブルネイでは、WTO新ラウンド成功へのメッセージを発信、グローバル化とIT革命への挑戦と一貫して域内経済の発展を柱に謳ってきた。
こうした流れの中に起きた9.11事件の直後の2001年11月上海APECでは、テロの問題に大きな時間が割かれ、結果として新世紀に向けたAPECのヴィジョンとして採択された「上海アコード」 6とともに「テロ対策に関するAPEC首脳声明」が発出された。ここでは国連憲章や国際法に従って将来のテロ行為防止・抑圧に努力することが宣言されただけでなく、APECとしてもテロ防止のために取り組むべき具体的な課題が示された。続く2002年10月ロス・カボスAPECでは政治・安全保障の色彩が一層明確なものとして浮き彫りになった。9.11以降のインドネシア・バリ、フィリピン、モスクワでのテロ事件にAPECが「APECメンバー・エコノミーでの最近のテロリズム行為に関するAPEC首脳声明」、「テロリズムとの闘い及び成長の促進に関するAPEC首脳声明」と安全保障により大きく比重を置くとともに、北朝鮮の核開発放棄を求める「北朝鮮に関するAPEC首脳声明」をも採択している。
また、APEC加盟国は米国、中国、ロシアといった大国に加え、日本、韓国、東南アジア諸国それぞれの思惑・主張がAPEC全体のコンセンサス形成に向けたベクトルではなく、それぞれの国内情勢を反映した形で、いわばばらばらに錯綜した様相が顕在化しているのも問題点の一つとして上げられる。99年11月オークランドでは東ティモールの収拾に多くの時間を割いたこともいい例だ。2001年11月上海での9.11を巡る論議、2002年11月ロス・カボスを通じて“政治化”の流れがより濃厚になってきたのは前にも触れた。今回のバンコクにおける六ケ国協議への対応の模索、北朝鮮問題についての協議もその範疇として捉えられる。また、声明の中に携帯式地対空防衛システム(MANPADS)の生産や取引に関する規制が米国の強い主張で入ったのも、その象徴と言えよう。マハティール発言に見られる米国主導の政治・安全保障政策への東南アジア諸国の警戒感の表明は、APECがその初心だった経済問題より、その基盤としての政治・安全保障を巡る議論へ明らかに傾斜していくことに呼応した域内の“化学反応”の一つと見ることができるのではないか。
壁を乗り越えられるか
日本経済の発展のためには、APEC地域の各メンバー・エコノミー協力関係を深めていくことが重要であることは言うまでもないが、欧州においてはEUの深化と拡大が目覚しく進展している中、アジア太平洋地域の経済協力もあらゆる分野で進めていくことが必要である。各メンバー・エコノミーが一同に会して協力について議論をすることは、散発する会合の開催や作業の重複の点からも効率的である。今回のバンコク首脳会議がそうであったように重要な政治・外交課題(北朝鮮問題をはじめとする六ケ国協議の行方、各国首脳がAPEC首脳会議に焦点を合わせて外交協議を行っていること)に極めて大きな影響力を持つ米国、中国をはじめ東南アジア諸国、大洋州諸国が一つの会議場に集まれることの意義を噛みしめることが大切である。APECは言うまでもなく経済の面での協力を議論、実現していく「場」であるが、参加メンバーとして香港、チャイニーズ・タイペイを取り込んでいること、また三つの国際組織−PECC(太平洋経済協力会議)、ASEAN(東南アジア諸国連合)、PIF(太平洋島嶼国フォーラム)−をオブザーバーとしていること、また各分野別にゲスト参加を認めていることの意味は、先進エコノミーと途上国エコノミー、様々な宗教と民族、様々な歴史背景と地政学的問題を抱えたエコノミー等々、アジア太平洋地域の多様性を反映した地域協力機構として際立って大きい意義がある。この根底にあるものは、「開かれた地域主義」である。エキスパートによる活動にまで機構化・細分化した活動は政府内部局、事務局への負担も大きいが、諸活動に参加する意欲と能力を十分に引き出すことが可能な枠組みなのである。WTOでの議論をはじめとする貿易・投資の自由化と円滑化、経済技術協力の推進のコアが見えにくくなり、大国にとっての外交の場となり、9.11以降テロ対策と大量破壊兵器の拡散防止策という政治安全保障の枠組みに変質したかのように見えるAPECではあるが、基本となる3本柱(貿易・投資の自由化、円滑化、経済・技術協力)をコアとしながら、開かれた地域主義を標榜することで、国家間の信頼醸成、または時と場合によっては緊張の緩和に繋がるポテンシャルをなお持ちうるものとして今後の行方に期待をしたい。また、日本については、今回のバンコクでは、ロシアとは東シベリア石油パイプラインに関する専門家協議を促進することを確認できたこと、デリケートな歴史認識問題がある中国との会談の場を持てたこと、韓国とはFTA締結に向けての交渉開始について合意ができたことなど各国との対話において成果を挙げているが、こうした点に加えてAPEC設立当初からのコミットメントを継続できるかどうか、APECの意義にも大きな影響を持っているものと言えるであろう。(了)
1 | : | 「先進エコノミーは遅くとも2010年までに、また、途上エコノミーは遅くとも2020年までに自由で開かれた貿易及び投資という目標を達成する」というもので、94年11月のインドネシア(ボゴール宮殿)での首脳会議において採択された「APEC経済首脳の共通の宣言」において掲げられた。 |
2 | : | ボゴール目標に至る道筋を示すものとして、95年の大阪閣僚会議において採択された。第1部の自由化・円滑化と第2部の経済・技術協力から構成されている。 |
3 | : | 「大阪行動指針(OAA)」に基づき、APECメンバーが自主的かつ個別に取る行動を96年より毎年とりまとめてきたもので、構成分野は次の通り。(1)関税措置(2)非関税措置(3)サービス(4)投資(5)基準認証(6)税関手続(7)知的所有権(8)競争政策(9)政府調達(10)規制緩和(11)WWTOの実施(12)紛争処理(13)ビジネス関係者の移動(14)情報の収集と分析 |
4 | : | 「自由で開かれた貿易と投資」というボゴール目標の実現に向けて、APECメンバーが共同で取り組むべき行動をまとめたもの。対象分野は個別行動計画と同じ14分野。 |
5 | : | 「大阪行動指針(OAA)」では、関税の引き下げがアジア太平洋地域の貿易や経済に好影響を与える産業や、域内の産業界が一致して早期の自由化を支持する産業を特定することが、APECとして推進すべき共同行動の一つであるとされており、EVSLはこれを受けてただちに自由化を開始できる分野(優先9分野)と自由化を開始するまで更に準備が必要な分野が特定された。 |
6 | : | 2001年上海APEC首脳会議では、APECの将来、APEC協力の活性化、グローバル化やニューエコノミーへの対応につき議論された。その首脳間の議論の成果としてとりまとめられたものであり、APECが目指す協力内容(「ヴィジョン」と呼ばれている)の拡大、ボゴール目標への道筋の明確化、協力の実施体制の強化を内容としている。 |
(2003年11月7日記)
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