日本国際政治学会研究大会報告


1.研究大会概要

10月17-19日にわたって、日本国際政治学会2003年度研究大会が、つくばの国際会議場で開催された。日本国際政治学会は登録会員数が二千数百人に迫る勢いを有する大所帯の為、近年、研究大会はコンヴェンション方式で開催されている。今大会は実会員の三分の一近くが参加し、大盛況のうちに終了した。日本国際問題研究所からは、片岡貞治、佐渡紀子、益尾知佐子、松本はる香研究員が参加した。特に、アフリカ分科会(「アフリカにおける『民主化』の現状と課題」)においては、片岡研究員が討論者として参加し、アフリカにおける「民主化」の限界と選挙プロセスのみに焦点をあてる分析は誤りである旨述べ、議論の活性化に務めた。また、東アジア分科会においては、益尾研究員が「中国の『独立自主外交』再考―対外認識の静かな革命」と題する報告を行った。

2.日本国際政治学会と日本国際問題研究所

日本国際政治学会は2006年秋に創立50周年を迎える。その記念事業の一環として、今研究大会では、『日本国際政治学会の半世紀』と題した小冊子が参加者全員に対して配布された。同冊子では、1950年代の日本国際政治学会と日本国際問題研究所の設立期のエピソードが紹介されている。

これによると、明治大学教授であった神川彦松氏は日本国際政治学会の初代理事長であると共に日本国際問題研究所の初代所長でもあった。同氏と日本国際政治学会の田中理事が奔走し、吉田茂元首相の賛同を取り付け、外務省を動かし、1959年に日本国際問題研究所を設立へと導いた。神川理事長はそのまま日本国際問題研究所の初代所長に、田中理事は初代専務理事に就任している。当初、事務局は同じであったという。また、日本国際問題研究所の研究員から学会の重鎮になられた方も多くいらっしゃる。

現在、日本国際問題研究所に所属する常勤・客員の研究員のみならず、嘗て日本国際問題研究所に在籍した研究者や大学教員の殆どが、日本国際政治学会の会員であり、会員レベルでの両機関の交流は、活発に行われている。しかし、組織としては若干疎遠になっていると認めざるを得ない。同じ親から生まれた双子の「兄弟」は、兄は、純粋な学会組織として、弟は、トラックII外交や政策提言を行う外務省のシンクタンクとして、それぞれ別々の道を歩んでいる。両機関が、その絆の深さを互いに再確認すると共に、その関係が良い方向に再構築されていくことを願ってやまない。

3.研究報告概観

このたびの研究大会では数多くの部会、分科会が開催された。そのうちのいくつかについて、ここで概観する。

「国際関係理論による日本および北東アジアの諸問題の分析」(17日部会2)においては、国際関係理論を軸とした新進気鋭の若手研究者による研究成果が報告された。日本の政治学研究においては、未だ学説史的な研究傾向が主流となっている現状のなかで、理論研究を軸として、実証分析を組み合わせて、「構成主義と日本の安全保障政策」(宮下明聡氏・東京国際大学)、「理論と実証:理論は日本の金融対応をどう説明するのか」(岡本至氏・大東文化大学)、「同盟の諸理論と北東アジアの国際関係―同盟分断戦略における政策選択の研究」(泉川泰博氏・宮崎国際大学)について論じられた。近年、日本においてもこうした社会科学的な分析による理論研究が次第に行われるようになってきている。冷戦期に東西対立の中で興隆した地域研究は冷戦後においても依然としてその重要度は変わらないものなのか、人間社会の営みである政治を全て理論によって解釈することが可能なのか等、問い直す機会を提供してくれた点で意義深い発表であった。

「東アジアの安全保障と米中関係」(18日分科会セッションC4)では、三船恵美氏(中部大学国際関係学部)がブッシュ政権期の東アジア安全保障における中国の位置付けとその後の米中関係の推移について論じた。さらにそれが日米関係及び日中関係へ及ぼす影響についても分析が行われた。こうしたカレントな問題に焦点を当てる際、未公開政府文書を使用することが物理的に難しいという現状のなかで、同研究は日本語、英語、中国語によるアクセスが可能な限りの文献を駆使し綿密に分析しているという点で高く評価できよう。

日韓国際政治学会合同シンポジウム「Regionalism in East Asia: Between Theories and the Realities」(18日部会7)では、日本と韓国両国で活躍中の研究者(Byungki Kim, Korea University及びMie Oba, Tokyo University of Science)が英語による活発な議論を展開した。地域主義というキーワードのもとで、例えば、ASEAN+3が、アジアにおけるアイデンティティの創出の現れを意味するのか、それとも利益集団に位置付けるべきなのか、といった問題が提起された。

「中国の『独立自主外交』再考―対外認識の静かな革命」(19日分科会D8)では、益尾知佐子氏(日本国際問題研究所)が、�讃儆燭里發箸撚驎彝�放が進められていた1982年9月に中国が「独立自主外交」を打ち出した時期を一つの大きな政策転換時期と捉え、その間、中国の指導部内でどのような対外認識の転換が行われたかを国際関係の趨勢に鑑みつつ、政策決定過程を明らかにした。とりわけ希少な中国の政府内部資料、外交部・中聯部の出版物、文選・年譜、回顧録及び現地インタビューなどによって、未だ決して先行研究が多いとは言えない1980年代中国の外交政策決定過程の解明を一歩進めたといえる。今後、さらに中国において外交資料が公開され、この分野における研究が発展することを期待したい。

「21世紀の国連の意義」(19日部会9)では、大泉敬子氏(東京情報大学)が東ティモールでの国際平和活動を分析し、1975年以降の関与内容を人間の安全保障の視点から再評価した。また則武輝幸氏(帝京大学)は特にDDR(武装解除・動員解除・再統合)の重要性を強調しつつ、シオラレオネでの国家再建過程を追った。両氏の報告は、国連による平和維持・構築活動につき、国家そのものの再構築にまで関与することの必要性と同時に、その抱える課題をも改めて強調するものであった。両氏による分析結果を問題意識とした星野俊也氏(大阪大学・日本国際問題研究所客員研究員)は、平和の回復のための活動を、国家のみならず、国際機関、NGOといった諸主体による総合的な活動と位置付け、同時に復興支援、再発防止までを連続した流れ(シークエンス)で捉え、また、これらの主体の活動が、効果的で断絶の無い(シームレスな)活動を確保することの重要性を提起した。星野氏はこのような視点を「公共政策としての国際平和回復政策」と表現したが、国際社会における政策策定の指針としてというよりもむしろ、同氏も触れたように、これは日本外交政策策定の指針と位置付けた時、現実的な意味を持ちうるのだろう。  (了)



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