1.ロシア国家院(下院)選挙
12月7日にロシア国家院(下院)選挙が行われた。議席450を比例代表225と小選挙区225で争うものだ。前回選挙は1999年12月に行われ、その選挙で政権支持党派が多数票を獲得したのを確認して(正確に言えば第一党は共産党であったが、政権支持の第二位の「統一」と第三位の「祖国」を合わせて多数党)、エリツィン大統領はプーチン氏(当時は首相)へのバトンタッチを決意し、プーチンは2000年3月選挙で大統領に当選した。
今回は、それから4年経過したところでの国家院選挙である。常識的には3月14日の大統領選挙の前哨戦であるはずであるが、現在の「向かうところ敵なし」のプーチン大統領の高支持率に鑑みればプーチンが第二期大統領として再選されることは疑いはなく、むしろ、今回の下院選挙の最大の見所は、プーチン支持政党がプーチン政権第三期目を可能とするための憲法改正を行うに足る国家院議席の2/3を占めるかどうかと報じられていた。
選挙結果は既に多く報道されているのでここでは繰り返さないが、要約すれば、▲投票率は低かった、▲政権与党「統一ロシア」は大きく票を伸ばした、▲同じくプーチン大統領を支持する「自民党」と3ヶ月前までは無名の「ロージナ(祖国)」は票を伸ばした、▲共産党は大きく敗北した、▲リベラル諸派のヤブロコ、右派勢力同盟も敗北し、比例区での議席の確保ができなかったことである。
2.一般的評価
以上の選挙結果についての評価としては、大きいところでは、プーチン大統領の安定政権が出来、多数与党の確立は大統領に改革政策推進の裁量を広げるとのポジティブな評価と、議会は「翼賛議会」化しプーチン強権政治を追認するのみで民主化と市場経済化を後退させる危険をはらむとのネガティブな評価が拮抗する。現時点では、そのどちらの評価が正しいのかわからない。
政党別の評価としては、種々報道をとりまとめれば、▲ロージナ(祖国)は、元来プーチン政権強行派が支持を打ち出したものと言われているが、政策的には正体不明であり、そのような政党が何故今回このように高得票となったのかは不思議、▲過去2回の選挙でトップの座を守ってきた共産党が敗北したのは、旧態依然の批判ばかりしている同党及びジュガーノフ党首に国民が失望したため、▲自民党はしっかりとした政策があるのか不明だが、クレムリンは、今回は利用価値ありと判断、▲リベラル諸派(ヤブロコ、右派連合)の敗北は、ユーコス・ホドルコフスキーからの資金提供を受けていたことで、新興財閥に不満を抱く国民の支持を急速に失った、というものである。
なお、今回の選挙自体における不正等は大きな所では指摘されていないが、統一ロシアは潤沢な資金を使って傘下のテレビ局に連日、大統領や党・政権幹部のPRなど組織的なキャンペーンを続けた由で、このような状況につき、OSCEは「マスメディア利用頻度などで選挙運動に機会不均衡があった」との懸念を表明し、米もそのようなOSCEの懸念を共有する旨を表明した。
3.「不思議さ」
筆者は、今回の国家院選挙に関連して次の2つの「不思議さ」を感じている。第1の「不思議さ」は、選挙直前に起こったロシア石油会社ユーコス社ホドルコフスキー社長逮捕に関連し、第2の「不思議さ」は、国家院の2/3の議席を政権与党が獲得する云々に関連するものである。両者とも日本の新聞でもかなり大きく報じられたので詳細の説明は無用と思うが、前者は政商ホドルコフスキー社長が政界入りを仄めかしつつ、リベラル諸派と言われるヤブロコに政治資金を出し、プーチン批判を行っていたことに対して「シラヴィキ」(力の省庁関係者:旧KGB、検察、警察等)がホドルコフスキー潰しにかかったのではないかとの憶測を呼び、右をきっかけにして外資引上げ、株式市場の混乱等が起こり、米国は憂慮を表明し、さらには、民主主義の危機とか全体主義の復活等の声も聞かれた。後者は、プーチン大統領の第三回目の任期を実現するための憲法改正を可能とするために国家院の2/3の議席を政権与党(あるいはプーチン支持政党)が獲得できるかどうかが今回の国家院選挙の焦点であった、という点である。
筆者は今回この二つの出来事を目の当たりにして、クレムリンで何か理解できないこと=不思議なことが起きているのではないかと感じはじめている。過去にもプーチン大統領の下でマスコミに対するコントロールが起きているとして民主主義の危機云々が言われたことがあったが、今回は特に理解に苦しむ。何故ならば、ホドルコフスキー案件については、プーチン大統領自身がこの陣頭指揮をとったのではないかとの噂がある。プーチン大統領はこれまで一般的な意味で不正・腐敗をきちんと取り締まるべき云々を色々なところで言っていることは承知しているが、他方、このホドルコフスキー逮捕をプーチン大統領が直接指揮したとの点についてはどうも賛同し得ない。筆者は長らくロシアの経済改革をフォローしているが、プーチン大統領の進める市場経済化は、その規模、スピードからして、リベラルで有能で理知的で合理的な実務家が出来るものと確信するところ、そのようなポジティブな流れと、プーチン大統領が指揮した云々は筆者の頭の中ではどうも結びつかない。また、ホドルコフスキー自身もプーチンを批判するとは言っても合法的な民主主義の枠内での活動でもあるし、別にテロリストに資金援助をしているわけでもあるまいし、プーチン大統領としてもそれ程脅威に感じるような存在ではあるまい。
後者についての「不思議さ」は、選挙前は国家院議席の2/3がとれるかどうかが最大の争点ということがまことしやかにマスコミの紙面を飾っていたのが、選挙後はプーチン大統領は何度と無く「自分として憲法改正は考えていない(=自分の第三期目は考えていない)」と述べていることで、筆者はこれを聞いた時、「それじゃ、誰が、プーチン大統領が意図していないことを国家院選挙の争点として流していたのか」という疑問が頭の中を渦巻くこととなった。ご承知の通り、プーチンは1999年夏に首相となり2000年春に大統領になって以来、長年のロシアの懸案事項を優等生が答案用紙を書く如くスラスラと解きほぐし、整理し、解決していった。それらは、連邦制度改革、税制や規制緩和といった経済構造改革、年金・労働法制といった社会改革であり、ソ連時代からのトラウマとなっていた土地改革を断行し、司法改革も行い、現在は、軍改革、行政改革等を進めている。また、状況が完全に落ち着いているとは言い難いが、チェチェン問題も一応の解決の方向性が示されている。そのようなプーチン大統領に対する国民の支持は極めて高く、概ね70%台を維持している。そのようなプーチン大統領の「御代が永代に」続くことは、無論、プーチンを取り巻く層にとっては自分の利益となるわけで、このために画策することは十分に考えられる。しかしながら、プーチン大統領自身の立場に立ってみれば、ロシアのような歴史を有し、ロシアのように大統領権限が大きい国で長期間政権のトップにいることはどうしても独裁・強権型となる可能性が高く、その場合、たとえ本人が意図していようといまいと周辺部を含めて不正・腐敗に巻き込まれてしまう可能性も高く、一旦トップの座を降りるとその後がどうなるかは分からない。それ故にこそ、ロシアのような国の指導者たる者、きれいな引き際を常に考えておくことは重要である。筆者が見るところプーチン大統領は権力に固執しているという感じはなく、また上述のように合理的な人間であればある程、第三期の大統領職をやりたいと思っているのか疑問である。ここまで言うと、「お前は甘い。人間、一度権力にのぼり詰めると、やっぱり権力に固執するものだ」という意見も出てくるかもしれないが、筆者としては、どうもその意見には組みすることは難しい。
4.以上の二つの「不思議さ」に関連しての仮説
以上の二つの「不思議さ」は筆者の頭の中で合流し、そこから一つの仮説を生み出す。
それは、今回の事件は、シラヴィキが中心となってプーチン政権第三期を望みつつ、政治的脅威となり得る要素を除外しているのではないか、第三期を可能とする憲法改正云々についても、シラヴィキがそのような噂を故意に流しつつ既成事実を積み上げようとしているのではないか、というものである。ご承知の通り、これらシラヴィキはソ連時代は内外政治を左右する最大の力を有していた。ソ連崩壊後弱体化したが、プーチン大統領登場により再度強力になりつつあり、今やプーチン大統領自身のコントロールも及ばないような強力な存在になりつつあるのではないか、ホドルコフスキー案件もそのようなシラヴィキが勝手に動き、プーチン大統領はそれを追認させられているのではないか、大統領第三期に関連しての憲法改正については、プーチン大統領は口では「あり得ない」としつつも、将来的には拒否しきれない状況となるかもしれない(その意味ではプーチン大統領はロシア政治において思った程は強いキャラクターではないのかもしれない)。他方、この点に関する動きは外部に出ることはあまりなく、真相は不明である。ただし、現在一時的に下火になっているこの問題は、将来また本格的に燻る時が来ると筆者は思う。
5.今後の動き
ロシアでは2006年にモスクワ・サミットがある。プーチン大統領は、このサミットまではしっかりとロシアを切り盛りするであろう。懸案となっている京都議定書の批准も、その時にはプーチン大統領が決断する可能性すらあると思う。しかし、そのサミット終了あたりから、現在既に始まっているポストプーチンを巡っての政争が本格化する可能性がある。
しかしながら、もし、プーチン大統領の政治的弱さが露呈されると、シラヴィキを中心とするプーチン大統領周辺部が大統領の利益を阻害する者の更なる排除を行い、その追認を大統領に求める、あるいは、「国民が望んでいること」として、第三期実現のための憲法改正を迫ってくることもあり得るのではないか、と思える。筆者としては、その時に、プーチン大統領が自分の大統領たる権限をしっかりと見極め、良識ある結論を出し、決して「長い物には捲かれろ」的な対応をとらないことを、切に希望する。
(2003年12月26日記)
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