1) 強くなるEU、弱くなる国政
他の国と憲法を共有する、しかもそれを計25カ国で――。日本では比較的地味に報道されるだけだが、欧州連合(EU)が進める憲法制定の計画は途方もない試みである。たとえば、韓国と同じ憲法を持つなどというアイデアを、日本で誰かが言い出したとしたら、と想像してみるだけでわかるだろう。
日本でのEUのイメージは経済圏という色合いが強い。市場を一緒にしたし、全員参加ではないにしても通貨も共通にしてしまった。しかし、今、EUが力を注いでいるのは、政治統合である。
憲法構想はその象徴で、欧州が市場として一体になるだけでなく、共同体としても一体になろうとしていることを表している。市場が「経済」を可能にする空間だとすると、共同体は、「政治」あるいは「民主主義」が可能な空間を意味する。
EUは、それを目指さなければならないところにまで来ている。
たとえば、ユーロの導入。これは通過が統一されて経済活動が便利になったというだけではすまない意味を持つ。加盟各国は通貨主権を放棄しただけではなく、ユーロ安定のために財政面で一定のルールを守らなければならない。各国は自分の都合だけで予算を組めなくなった。
ユーロだけではない。EUは様々な分野で施策を打ち出し、それを加盟国政府や市民が従わなければならない「規則」や、加盟国に立法措置を命じる「指令」の形で出している。
それによって、各国でどういうことが起きているか。たとえばフランスで、EUの「規則」や「指令」に合わせるためにつくられる国内法は、最近の法律の6、7割にのぼるとの指摘もある。つまり、EUはすでに市民生活にかなり深く関与しているのだ。その一方で並行して、加盟各国の国政の影が次第に薄くなっている。EUに権限が移れば移るほど、加盟国の権限は少なくなるのは必然的な現象だ。
となると、欧州レベルでの政治的な意思決定の仕組みは効果的で民主的なものでなければならない。だが、EUには、まだ民主的な意思決定システムが整備されていない。確かに、EU加盟各国は民主的な国々ばかりだが、直接、欧州市民の意思(民意)を反映するチャンネルが十分とは言い難い。その仕組みを作り上げることは、今年からEUが25カ国体制に拡大されるだけに急務だ。全会一致などを基本にしていると何もできない組織になる。
今すでに、欧州議会という制度はある。欧州市民が直接選挙で選ぶ626人の議員でできている。ただ、権限を拡大しつつあるとはいえ、まだ議員立法権もなく、最高の意思決定機関とはいいにくい。では、一番の意思決定機関はどこか。それは、加盟各国の元首・首脳と欧州委員会委員長で構成される「欧州理事会(EUサミット)」であり、加盟各国の閣僚で構成する「閣僚理事会」である。ただ、各国の代表からなる機関とはいえ、そのメンバーは公選を経てそのポストについているわけではない。
つまり、欧州市民が直接選んだ人ではなく、各国政府が送り込んだ代表がより大きな権限を持っている。こんな比喩が可能かもしれない。ふつうの国では、市民一人一人が選挙権を行使して選んだ下院に強い権限があり、地方代表などから成る上院はより権限が弱い。ところが、EUではこうした構図が逆転している。つまり、地域代表が強い権限を持ち、市民一人一人が選んだ議員は権限が弱い。
2) 民主主義の赤字
ここに民意が反映されにくい問題点が潜んでいる。
各国首脳や閣僚の話し合いでは、民意を直接反映するというより、各国の権限をめぐる綱引きに終始しがちだ。また、閣僚や官僚などのエリートの考えが、ふつうの市民の疑問や反論にさらされないまま推し進められるということにもつながる。その結果どうなるか。
例として、アイルランドでの国民投票が興味深い。同国は2001年6月と翌年の10月にまったく同じ内容の国民投票を実施した。EUのニース条約批准の是非を問う内容だったが、なぜやり直したのか。
一回目が「NO」で、政府やEUの期待に反したからだ。この条約について、EU加盟15カ国のうち、ほかの14カ国は議会が承認すればよかったが、アイルランドだけは憲法上国民投票が必要だった。アイルランドでも議会にはかっていれば162対4で承認されていたはずだといわれる。ところが、民意は反対だった。
だが、条約はすべての加盟国が批准しないと有効ではない。アイルランド一国がEUの統合を阻むことになる。あわてた政府が、大々的なキャンペーンをし、翌年もう一度やり直した。その結果、「YES」に転じたのだが、これは非常に奇妙な話だ。筆者が会った反対派の指導者は「国民は去年、ちゃんと答えを示したのに、政府の気に入る答えでないからといってやり直す。これが民主主義か。まるでできの悪い学生に追試を受けさせているみたいだ」と話していた。
確かに、これでは民意を受けた政治ではなくて、すでに決まっている政策に民意を従わせようとしていることになる。国民はラバースタンプにすぎない。
ここに現れているようにEUレベルの政策はしばしば、民意をおきざりにしたまま進められ、気が付くと民意と大きく乖離しているという事態に陥った。こういう状態を、欧州では「民主主義の赤字」と呼ぶ。民意を適切な政策に反映するべきチャンネルが詰まっている状態だ。民意が適切な政策に結実せず、不良債権化している状態とも言える。
では、欧州議会を下院のようにして、権限を強化してはどうか。
話はそれほど簡単ではない。「欧州人」というアイデンティティーが希薄なことが大きな問題として立ちはだかる。なぜか。
それについては、フランスで左派ながら欧州統合に反対する元内相のジャン・ピエール・シュベヌマン氏がインタビューでこう説明した。
「民主主義が機能するためには、多数決というシステムを導入しただけではだめだ。多数決で物事を決めたときに、負けた側、つまり少数派が多数派の意見を受けいれることができなければならない。ところが、帰属意識を共有しない人たちの間では、これができない」。
たとえば、ある政策の賛否が、各議員の政治的な考え方によって割れるのではなく、国籍によって割れた場合、多数決は効果的だろうか。おそらく、負けた議員の出身国はその決定に従うのをいやがるだろう。しかし、ナショナリズムのような帰属意識を共有する人々の間では、そうした事態は起こりにくい。
民主主義国では、自分が投票しなかった政党が選挙に勝って政権をとっても、それを自国政府とみなす。反対した者も、「私たち」(国民)で決めたことだから仕方がない、と考えるからだ。言い換えれば、民主主義がきちんと機能するためにはナショナリズムのような帰属意識の共有が必要だ、ということになる。
では、「欧州人」はいつか「私たち」になるのか。
シュベヌマン氏は、「欧州人」という帰属意識があるにしても、ドイツ人やフランス人といったアイデンティティーのように強くなるには相当な時間がかかるという。民主主義を可能にする程度のアイデンティティーとしてはまだ、フランス人とかドイツ人という帰属意識しかない。だから、民主主義が機能する空間は、依然として国民国家に限られる。欧州では民主主義はうまくいかない、と主張する。
この人の主張はそれなりに説得的で、左右を問わず、EU統合懐疑派にかなり支持されている。とはいえ、もう市場や通貨をはじめとして、EUは一緒になってしまっている部分が大きい。今更、政治的統合を進めないままでとどまることもできない。
では、近代的な民主主義が前提としていた「国民」がいないところに、どうやって民主主義を成立させるか。
これが欧州の直面しているジレンマだ。前に進まざるを得ない。しかし、国民国家モデルの民主主義が基本にしていた「国民」という帰属意識を共有する社会集団はない。
3) 二つの平等
それでも、何とか民主主義を確立するためには、EUは同時に二種類の平等を実現しなければならない。一つは市民一人一人の平等、もう一つは各国の平等。
もし各国の平等だけを考えるとすると、人口が多くても少なくても一票。市民一人一人の権利という視点から見ると、たとえばドイツの市民が持つ一票は、ルクセンブルク市民に比べて約190分の1の重みしかなくなる。大国にとっては魅力がなくなり、結局、物事は政府間の交渉で決めることになるだろう。だとすれば、各国政府は国益調整に終始し、市民の日々の生活に密着する問題を遅滞なく解決するのは容易ではない。国際舞台で重要な極を形成するのも難しい。
逆に、一人一票を厳格に実現した場合、各市民の国籍にこだわる人から見れば、人口44万人のルクセンブルクは、人口8236万人のドイツの前では無に等しい。
この問題を調整するために、EUで採用されてきたのが「持ち票方式」。閣僚理事会で何かを決定するときに人口の多い国の持ち票を増やすという方式だ。ニース条約では、全体を345票として、独仏英伊各国が29票、スペイン、ポーランドが27票、チェコ12票、エストニアやルクセンブルクが4票などという具合に配分し、可決に必要なのは258票という風に決めた。
しかし、これでも市民の平等という目から見るとかなりアンバランス。人口でドイツはルクセンブルクの約190倍だが、持ち票は7倍強にしかならない。そもそも持ち票の数字に論理的な意味があるわけではない。単に各国政府の駆け引きの結果にすぎない。
そこで、憲法草案にはこんな方式が盛り込まれた。
閣僚理事会での持ち票は1国1票で決を採るが、可決するにはそこで過半数が賛成するだけでなく、賛成国の人口の合計がEU人口の60%を超えなければならない、という方式だ。
これは当初、スペインとポーランドの強い反対にあって、憲法制定が前に進まなくなった。この二つの国は、ニース条約で、人口の割に比較的多い持ち票を得ることができたのでそれを維持した方が自国にとって有利と考えたからだ。しかし、今年4月に成立したスペインの新政権はEU憲法問題で、前政権の方針を覆し積極姿勢に転換した。これによってポーランドも柔軟姿勢に変わっており、憲法制定の動きは再始動しそうだ。
ただ、憲法草案に盛り込まれた方式でも、先ほど述べた二つの平等問題をちゃんと解決しているとは言い難い。
この方式では、各国国民は丸ごと全員が閣僚理事会に出る自国閣僚の意見の賛同者とみなされ、一つの意見に塗りつぶされた固まりとしての意味しかなくなるからだ。個人の平等に配慮しているようでいて、個人の意見の違いという肝心の点が置き去りになり国籍別の人口という量としてしか評価されない。
EU統合の政治的な意味は、「国民」という帰属意識を土台にした民主主義をそなえた近代的国民国家、その枠を超えてなお、民主的な共同体を築こうとすることにある。これまで地球上どこでもまだ実現したことのない前衛的な試みである。
欧州は、すべての市民に共通のアイデンティティーを確立した上で、大規模な国民国家のようなものになっていくのか。それとも国民というアイデンティティーと欧州人としてのアイデンティティーを二つとも抱えながら、一人一人の平等と各国の平等をバランスよく実現する新しいタイプの民主主義を築いていくのか。
その選択の難しさは、憲法草案にもにじんでいる。
(記)
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