JIIAコラム/Op-Ed

  根付きはじめた民主主義―インドネシア大統領選挙の示すもの 

友田  錫(客員研究員)

世界で4番目の人口を抱える東南アジアの巨人、インドネシアに、本格的な民主主義が根付くかもしれないと、世界が注目している。31年間続いた権威主義的なスハルト体制が崩れてから6年。この7月5日に、はじめて直接選挙制によって大統領選挙が行なわれたが、インドネシア社会の特徴とされる縁故、義理、宗教のしがらみにしばられている有権者が、予想外の自主性を発揮して投票にのぞんだと見られたからだ。「この国が権威主義のあと政治的混乱を経て民主主義へとかくも早く移行したことはたいへん称賛すべきこと」(英エコノミスト誌7月10日号)という論評に見られるように、世界の多くの観測者はおどろき、かつ好意的な評価を下している。

インドネシアの政治に新風が最初に吹いたのは去る4月5日に行なわれた総選挙である。メガワティ大統領の与党、闘争民主党は揮わず、旧スハルト体制の支持母体、ゴルカル党は第一党になったものの、得票率は20%強と圧勝とはほど遠かった。これと対照的に清新なイメージのユドヨノ前政治・治安担当調整相の率いる新党、民主党が、一挙に8%近くの票を得て躍進を遂げた。これは有権者の間に、汚職、腐敗、非能率の代名詞のような既成の政治家たちに背を向け、清潔、新鮮なイメージのユドヨノ氏への期待が急速に盛り上がったからだ。この総選挙は3ヵ月後の大統領選挙の前哨戦と目されていたが、案の定、このあとユドヨノ人気はうなぎ上りに高まり、同氏が大統領候補に名乗りをあげると、どの世論調査でも1位をさらった。

7月5日の大統領選挙の最終開票結果は7月26日中央選管から発表された。これによると、ユドヨノ前調整相が予想通り1位で33.6%、2位のメガワティ大統領は26.6%で、この二人が9月20日に決選投票を争うことが決まった。ゴルカル党のウィラント元国軍司令官は22.2%、ライス国民協議会議長は14.7%、ハムザ現副大統領は3.0%と、いずれも決戦レースから脱落した。しかし、ユドヨノ、メガワティ両候補とも30%台、20%台と低い得票率にとどまったこと、両候補の率いる民主党、闘争民主党がいずれも国会での議席が少ないことから、9月の決選投票でどちらに軍配が上がっても単独政権の樹立は不可能。連立政権となることは必至だ。両候補にとって、決戦投票対策からも、その後の連立工作のためにも、国会での最大勢力、大統領選挙での第3位のゴルカル党の取り込みがカギとなる。早くも両候補とも特別チームを編成して、ゴルカル党をはじめ他の政党への工作をはじめたようだ。だが、肝腎のゴルカル党が、党首のアクバル・タンジュン氏と、大統領候補になったウィラント元司令官との間で割れている。アクバル党首はメガワティ支持に傾いているのに対して、ウィラント氏は同じ国軍出身のユドヨノ支持に回る可能性が大きいとの見方が有力だ。ゴルカル党が割れると、ナフダトール・ウラマ(NU)を傘下におさめるワヒド前大統領の国民覚醒党の態度が重要になる。

さて、民主主義定着との印象を与えた7月5日の大統領選第一回投票で、有権者は実際にどのような投票行動をとったのか。インドネシアで信頼度の高い世論調査機関、「研究・教育・経済社会情勢研究所」(LP3ES)が投票当日に行なった調査によると、国会選挙でゴルカル党に投票したもののうち、同党の推すウィラント元国軍司令官に入れたのはわずか55%。31%が対立候補のユドヨノ氏に、8%がメガワティ大統領に票を投じた。他方、メガワティ大統領の闘争民主党支持者は、74%がメガワティ氏に、13%がユドヨノ氏に、7%がウィラント元司令官に入れた。他の政党の支持者の投票も、自党擁立の候補に集中せず、ユドヨノ、メガワティ、ウィラント各氏に分散した(7月15日付けアジアタイムス電子版)。

イスラム主義の高まりが注目されている中で、イスラム系組織の影響力が小さかったことも意外だった。上記LP3ESの調査によると、インドネシア最大のイスラム組織、構成員4,000万人といわれるナフダトール・ウラマ(NU)はウィラント元司令官を推薦したが、実際に従ったのは33%。ほぼ同率の32%がユドヨノ氏に、22%がメガワティ氏に投票した。一方、構成員3,000万人、インドネシア第二のイスラム団体、ムハマディヤは、元指導者で現国民協議会議長のライス氏を推薦したが、同調者は54%にとどまり、21%がユドヨノ、13%がウィラント、11%がメガワティ各氏に入れた。

以上の調査に表われているように、こんどの大統領選挙におけるインドネシアの有権者の投票行動は、かなり自主的な判断に基づくものが多く、支持政党の垣根を越え、宗教指導者の呼びかけにもあまり動かされなかったようだ。なぜか。第一に、スハルト権威主義体制は家父長主義的な庇護・被庇護関係を社会の末端まで行き渡らせ、それがかなり国民の生活の安定に役立っていたが、スハルト体制崩壊後の6年間の政治的不安定によってこの安定が完全に消滅した。インフレ、失業、貧富の格差の増大への不満、それに既成政治家の汚職体質と非能率さへの不満が限界点に達しかけていた。第二に、無為無策の印象の強いメガワティ政権への失望、そして第三に、ユドヨノ氏の清新なイメージが大きな期待を生んでいること、である。

ユドヨノ氏は1949年東ジャワ州の生まれ。士官学校出の生粋の軍人で、スハルト政権下の国軍にあってかなり上級に進みながら最高指導部の外にとどまっていた。このため、ウィラント元国軍司令官とはちがって、東チモールの独立運動の弾圧にも関わっていなかった。大将の位はワヒド政権に治安担当相として入閣するため軍籍を離れたときに贈られたものだ。しかも、ワヒド政権でも、次のメガワティ政権で同じく治安担当調整相をつとめたときも、結局大統領と衝突して辞任した。そのことが、一般有権者に「節を曲げない政治家」という印象を与えたようだ。また、ユドヨノ氏は選挙戦で「政党の大統領ではなく人民の大統領をめざす」をスローガンに掲げ、失業と貧困の削減、インフラ整備を経済政策として打ち出した。メガワティ政権で治安の責任者だったときには、バリ島でのホテル爆破事件など、イスラム過激派のテロに対して、あいまいな態度に終始する政府部内の他の有力者らとちがって厳しい取り締まりを行なった。このことも、過激派のテロに眉をひそめる穏健なイスラム教徒の多くから信頼を得ることにつながった。

さて、9月20日の決選投票までには多くの曲折が予想され、その行方はまったく不透明だ。有権者の政党離れの傾向が強まっているとはいえ、ユドヨノ、メガワティ両候補の他政党に対する多数派工作の成否はかなりモノをいうだろう。だが、この点でユドヨノ陣営が注目すべき姿勢を打ち出している。ワヒド、メガワティ両政権の場合とちがって「挙国一致政権」はつくらない、と明言していることだ。多くの政党と連立して結局あらゆる政策が妥協の産物に堕してしまう、そういう失敗は繰り返さないという。こうした姿勢に有権者や他の政党がどう反応するか。

いずれにしても、9月の決選投票でどのような政権が生まれるかは、インドネシアの民主主義定着の兆しが本物になるのか、6年間の政治的不安定に終止符が打たれるのか、という問いに答を与えてくれるだろう。もうひとつ、世界最多のイスラム教徒を抱える国が、第一回投票に示されたように政教一致を排する民主的な世俗主義を貫き、「イスラム教は民主主義と両立する」ことを立証することになるのかどうか。もしこれらの問いに肯定的な答が出れば、それはまた、インドネシアの枠を超えて、東南アジア―同時にインドネシアを大黒柱とするASEAN(東南アジア諸国連合)という地域機構―の前途に、さらには広く世界にも、はかり知れない大きな影響を与えるはずである。

(2004年7月19日記)



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