イスラエルの「入植地settlement」は、国内でユダヤ人の移住を図る目的で建設されたキブツ(集団農場)や、より大規模な開発都市をその起源とする。しかし、現在の中東和平において問題となっているのは、1967年第三次中東戦争でイスラエルが占領したヨルダン川西岸およびガザ地区で建設された入植地である。現在、約150ヵ所の入植地に約20万人が居住している。
西岸およびガザにおける入植地は、それ以前とは異なり、テルアビブやエルサレムなどの大都市のベッドタウンという位置付けがなされるものが多かった。家賃も安く水道や電気も無料で供給されたため、より一般的な住宅地としての入植地が定着した。77年にリクードのベギン政権が成立すると、シャロン農相(現首相)により新たな入植地建設が開始された。それは、パレスチナの諸都市の周辺に敢えて入植地を建設し、ユダヤ人人口の扶植を行なうものであったと言われる。このような入植地の建設は、その後の労働党政権下では極めて少数であったが、90年成立のリクード政権でシャロンが建設住宅相に就任すると、再び積極的に行なわれた。これには、80年代後半から始まったロシア系ユダヤ人のイスラエル移住(約65万人)への対処も含まれていた。
入植地の建設は、93年オスロ合意以降の和平プロセスの中で凍結され、その問題はパレスチナの最終的地位に関する交渉で協議されるものとされた。しかし、周知のように和平プロセスはその後停滞し、2000年9月以降のアクサー・インティファーダによりプロセス自体が危機に瀕した。本年4月30日、ようやくカルテット(米、ロシア、国連、EU)が作成した中東和平のためのロードマップが米より発表された。その第1段階においては、入植地建設の凍結と2001年3月以降に建設された入植地(シャロン政権成立以降、無許可で建設されたもの)の撤去が明記され、第3段階である2005年のパレスチナ国家独立までに、交渉によって解決されるものとされた。6月4日、ヨルダンでの米・イスラエル・パレスチナ首脳会談で、イスラエルのシャロン首相がこのロードマップを公式に受諾し、併せて西岸に存在する無許可の入植地については、直ちに撤去をはじめると表明した。
この新たな和平プロセスの中で、テロやエルサレムの帰属、パレスチナ難民の帰還権と並ぶもっとも深刻な問題のひとつである入植地が、今後どのような展開を見せるかが注目されている。シャロン首相自身が、入植地の建設を強硬に推し進めてきた中心人物であることは事実である。けれども、入植地と言っても、その形態や性格はさまざまである。上述したより一般的な住宅地やパレスチナの諸都市を囲むようなもの以外にも、ゴラン高原などに建設された国土防衛を兼ねる戦略的な入植地もあれば、ヘブロンの入植地に代表されるような、ユダヤ教の歴史に重要な意味を持つ場所に建設され、かつその確保のために米国からその入植地に移住した強硬派のユダヤ人たちが居住するものもある。このような入植地の多様性を考えれば、たとえば住宅地型の入植地には、パレスチナの独立後も残り、その住民がパレスチナ経済に資するという可能性があるし、ゴラン高原の入植地は、イスラエルとシリアの和平交渉の展開次第となる(シナイ半島における入植地は、エジプト返還までにすべて撤去された)。
|