今月のキーワード
0
0
0 0   ミャンマー向けODAの凍結

0 0
0 0

政府は本年(2003年)6月25日、ミャンマー軍事政権による民主化運動指導者アウン・サン・スー・チーさんらの拘束に対する制裁として、ミャンマーに対する新規の政府開発援助(ODA)の凍結を決めた。また7月4日に、川口順子外相が、ミャンマー軍事政権の特使として来日したキン・マウン・ウィン外務次官と会談し、同内容を正式に通告した。

事の発端は、本年5月30日夜、ミャンマー第二の都市マンダレー北部のモンユワ市近郊において、同地域を遊説中であったスー・チー女史一行の支持者と、同女史に反対する勢力約5,000人との間で衝突騒動が起き、これにより双方合わせて70名程度の死者が出たことによる(6月16日付BBC報道)。この衝突の際、軍事政権側がスー・チー女史一行を拘束し、今に至っている(7月23日現在で91人が釈放されたが、スー・チー女史はこれに含まれていない)。

1988年以来該国を支配している軍事政権は、ASEAN加盟の1997年頃から民主化勢力への態度を軟化させ、2000年にはスー・チー女史と秘密裏に対話を持つようになった。また2001年にはタイのタクシン首相、中国の江沢民首席の訪ミャンマーが実現し、近隣国との緊張も緩和されつつあった。
その後 2002年5月にはスー・チー女史が20ヶ月ぶりに自宅軟禁を解かれ政治活動・移動の自由が確保されたものの、本年4月に同女史が、政治対話に真剣に取り組んでいないとして軍事政権を強く非難していた。

この拘束事件に対して、米国上下院でミャンマーへの経済制裁法案を可決されるなど国際社会が強硬姿勢を示すなか、これまで軍事政権に対しODAの供与とともに対話姿勢を保ってきた日本にも圧力が強まってきた。このような背景に基づいて、スー・チー女史の早期釈放を求め冒頭の新規ODAの凍結に至っている。(2001年度の対ミャンマーODA額実績は、贈与(無償資金協力、技術協力)6,074万ドル、貸付け912万ドル、合計6,986万ドル。)

だが経済制裁の実効性についてミャンマー内外で疑問が投げかけられており、またミャンマーのASEANからの除名を主張するマレーシアに対しタイが消極姿勢を示すなど、ASEAN内でも姿勢のばらつきが見られる。

(アジア太平洋研究センター研究員 渡邉松男

line