研究レポート

台湾からみた中台情勢

2024-09-05
羽田野主(日本経済新聞社台北支局長)
  • twitter
  • Facebook

「中国関連」研究会 FY2024-1号

「研究レポート」は、日本国際問題研究所に設置された研究会参加者により執筆され、研究会での発表内容や時事問題等について、タイムリーに発信するものです。「研究レポート」は、執筆者の見解を表明したものです。

台湾の頼清徳総統による5月20日の就任演説は、中国との関係について「現状維持」を基本としつつも、中国への強い警戒感をうかがわせる内容となった。台湾の有権者には比較的好意的に受け止められ、頼清徳政権の支持率は各種の調査でおおむね5割台を維持1し、順調な滑り出しとなった。頼氏はこの「ハネムーン期間」を利用して、自身への求心力を高めようとしているようにみえる。

野党・国民党は本省人系の政治家が頭角を現しており、権力の中心が外省人系から本省人系にシフトしていくのか焦点になる。2025年秋の国民党の党主席選が節目になる。

台湾では中国の軍事侵攻のリスクが切迫するほど高まっているとみる専門家はほとんど見当たらない。中国は親中派の政治家や中台間を往来するビジネスマン「台商」らを通じて頼政権に揺さぶりをかけ、26年の統一地方選や28年の総統選で中国寄りの政権の発足を働きかけていくとみられる。

中国は核戦力を含めた軍事力を構築し、台湾を圧倒しようとしている。頼政権は米国や日本など民主主義を標榜する主要先進国と連携を深め、「台湾海峡の平和と安定」に関心をひき付けて抑止力とする戦略を迫られている。

就任演説からみえる中国への反発心

5月20日に頼清徳総統が就任し、中台関係について独立も統一も求めない「現状維持」を表明した2。蔡英文総統が掲げた「4つの堅持(①自由と民主主義の憲政体制②中華民国と中華人民共和国は互いに隷属をしないという立場③主権への侵犯と併呑を許さない立場④中華民国台湾の前途は台湾のすべての人民の意志に従わなければならないという考え)」を引き継ぐと述べ、台湾独立にも言及しなかった。

安全保障・外交を担う閣僚に蔡英文政権の幕僚を複数起用したことから現実路線と受け止められた。

子細にみると、演説は現状維持を前提としつつも、中国と一線を越えないぎりぎりの範囲で「独立志向」の本音もうかがわせている。

その代表例は4つの堅持の1つの柱をなしている「中華民国と中華人民共和国は互いに隷属しない」というフレーズをわざわざ切り出して言及した点だ。

台湾側はこれまで蔡英文総統や馬英九総統が言及していると説明する。たしかに蔡英文総統は2021年10月の国慶節の演説で触れている。

ところが2023年の国慶節ではこのフレーズに直接触れずに「4つの堅持」を訴えるにとどめている3。中台関係の急速な悪化を受けて、中国への過度な刺激を避けたとみられる。

馬英九総統の発言も「両岸(中台)はお互いに隷属しない」と発言している。あくまで両岸(中台)といういい方で、「中華民国と中華人民共和国が互いに隷属しない」というストレートないい方はしていない4。頼総統の表現の方が強かった。

台湾の中央社によると、台湾政治大学東亜研究所の王信賢教授は「中国に中華民国の存在を直視するように求めたことは二国論として読み取られる可能性がある」と指摘した。頼総統が「中国の軍事行動とグレーゾーンの脅威は世界の平和と安定に対する最大の戦略的課題とみなされている」と頼総統が述べたことも「北京にとって恥をかかされたことになる」と指摘した5

実は、5月20日の直前に内外メディアが頼総統の演説の骨格を報じた。事前に関係者に配られたペーパーには「4つの堅持」に触れるという説明が書いているだけだった。これをわざわざ切り出してきたのは頼総統の強い意志を感じる。

2016年の蔡英文総統の就任演説では1992年に両岸の窓口機関による会談があった歴史的事実に触れて、中国のことを「両岸」や「対岸」と表現した。

頼総統の演説ではこの「92年コンセンサス」に触れず、中国を7回名指しした。さらに中華民国ではなく「台湾」と呼んだ回数は79回と16年の蔡英文総統の就任演説の41回からほぼ倍増した。これは20年の蔡英文総統の就任演説の49回と比べても多い。

頼総統は演説で「台湾の合法的な政府と対等、尊厳の原則のもとで、対抗ではなく対話を、封じ込めではなく交流を進め、協力し合うことを望みます」と述べた。実際は中国が民進党政権を合法的な政府と認める可能性は限りなく低く、かなり高いハードルを課した。中台間の正式チャネルによる対話は当面は見込めないとみられる。

頼清徳氏が急ぐ集権化

頼政権の支持率は政権発足から3カ月たった8月時点で5割前後を確保している。いわば支持率が高く出やすい「ハネムーン期間」で、頼氏はこの時間を活かして自身への求心力を高めようとしている。

頼氏は6月19日に記者会見を開き、総統直轄のもとで3つの委員会を立ち上げると発表した。民間との対話と国際社会との協力を深化し、発展戦略を策定する3つの委員会を総統府に設置するとした。

そのうちの1つ「国家気候変動対策委員会」では、原子力発電所の稼働期間を延長するかなどについて「議論が可能」とした。

防衛対策として民間人の訓練拡大や医療・避難先の整備などを担当する「全社会防衛レジリエンス委員会」も設置した。健康保険(健保)制度の持続可能性の向上やがん予防基金、スマート医療などを推進する「健康台湾推進委員会」も設けた。

台湾で最も大事なエネルギーや防衛、社会保障の問題を総統直轄のもとで議論する体制を作った。外交、防衛、両岸(中台)関係の3つが専権事項とされる総統が行政院の主管する課題に関与できる体制をつくった。

外交面でも頼氏は影響力を高めようとする動きを見せている。

その一つが駐米公使に相当する駐米副代表の任命だ。8月6日に民進党の楊懿珊・副秘書長を就任させた。オーストラリアと英国への留学経験がある国際派で、頼氏に近い人物だ。

台湾メディアは「何でもこなす器用なタイプで、頼氏と林佳龍外交部長(外相)の信頼が厚い」と指摘する。

楊氏は11月の米大統領選後に駐米代表に昇格するとの見方が有力だ。米日などほとんどの主要国と国交がない台湾にとって、相手国に駐在する代表の役割は大きい。

頼氏の対米外交を巡っては、台湾きっての「知米派」である前駐米代表の蕭美琴副総統に権限を委ねるとの観測があった。ただ頼政権発足後に米議員団が訪台した際は頼氏が直接応対している。頼氏は蕭氏に任せるのではなく、自ら対米外交を差配する意向とみられる。

日本とのパイプ役にも自らと気脈を通じた人材を送り込んでいる。駐日大使に相当する台北駐日経済文化代表処代表に、李逸洋・前考試院(人事院に相当)副院長を任命する人事を8月16日に発表した。李氏はかつて頼氏と同じ派閥の「新潮流」に所属していた。

頼氏は日本の政治家に知り合いが多い「知日派」として知られる。日本政府関係者は「頼氏の手足となって動ける信頼できる人材を選んだのではないか」と話す。

頼氏が外交面で求心力を高めようとするのは、「強い指導者」として有権者の関心をひき付けたいとの思惑があるためだろう。少数与党状態の立法院(国会)では、野党との対立場面が目立ち、政策の実行力には不透明感が漂う。中国の軍事的威嚇に強く反発し、最も重要な米国や日本との関係を深め、外交の成果を積み重ねていく政権運営とみられる。

もっとも頼氏が求心力を高めようとするあまり、その反作用にもみえる動きが起きている点は気になる。8月だけで頼氏と近かった人物が次々と失脚した。元行政院の報道官は起訴され、交通部長(交通相)は醜聞で辞職、立法委員(国会議員)は法律違反を疑われている。台湾紙の聯合報は8月22日付の紙面で「反頼陣営の反撃のにおいがする」との見方を伝えた6

重要な国民党の党主席選挙

一方で、与党・民進党のライバル政党である最大野党・国民党でも変化のきざしがみられる。外省人系が中心の国民党で、本省人系の政治家も力をつけてきている。

少数与党状態のねじれ議会で、6月に野党主導で立法院(国会)の権限を大幅に強める法案が可決された。このときに国民党のいわば「国会対策委員長」として指揮したのが台湾東部の花蓮選出の立法委員(国会議員)である傅崐萁氏だ。この法案は野党内でもいろいろな意見があったが、一糸乱れない統率で可決させた手腕は民進党からも驚きの声が上がった。

日本の政界をよく知る台湾の政治学者は傅崐萁氏を「台湾の金丸信」や「台湾の田中角栄」と例える。国民党関係者によれば、部下や後輩の面倒見がよく、選挙で支援を惜しまない。台湾で「花蓮王」と呼ばれ、地方の派閥を形成している。

傅崐萁氏は客家系で、4月に訪中し、中国共産党の最高指導部である政治局常務委員の王滬寧氏と会談した7。中国側も重視しているのがうかがえる。これまでも国民党の馬英九元総統ら外省人系の幹部が訪中するのは珍しくなかった。本省人系の政治家が訪中し、中国の最高指導部のメンバーと会談したのは異例だ。

国民党の朱立倫党主席は2025年10月に任期を迎え、党主席選がある。地方の派閥をもつ傅崐萁氏がだれかを担ぎ、キングメーカーとなるシナリオも考えられる。傅崐萁氏の力が強まると、外省人中心の国民党から本省人系による国民党に権力の軸足が移る可能性がある。

これは本省人系から支持を受けてきた民進党にとってはより戦いにくい相手になる。2026年の統一地方選や2028年の総統選で苦戦する事態も予想される。

立法院でキャスチングボードを握る第3政党の台湾民衆党は、今夏以降、政治資金などを巡る疑惑が噴出し、埋没が著しい。支持基盤であった若者らも離れており、2019年の結党以来、最大の危機を迎えている。一時逮捕された党主席の柯文哲氏が1月の台湾総統選でブームを作ったときのように党勢を盛り返すのは難しいというのが識者のほぼ一致した見方だ。

台湾から見た有事論

2022年のロシアのウクライナ侵攻を境に台湾有事論が叫ばれるようになった。安倍元首相の「台湾有事は日本有事」の言葉は台湾でも広く認識されている。

台湾社会の受けとめは大きく2つに分かれる。ひとつは「中国の侵攻はありえない」というものだ。台湾を攻撃するよりもこのまま貿易していた方が経済的なメリットは大きい、台湾が独立を宣言さえしなければ平和は保たれるという捉え方だ。

一方で、台湾の富裕層や実業家は異なる。将来起きうる有事に備えて、資産を分散したり、子どもに英語以外の言語も身に付けさせたりと生き残るすべを真剣に考えている。米国などの国籍をもつ台湾人も相当数いるとみられている。

中国は軍事侵攻するのかしないのか、あるとすればいつなのか、正確に見通すことは極めて難しい。ただ中国が国内経済の低迷にもかかわらず急速に軍拡を進めている事実は動かしがたい。時間が経つほど軍事バランスは中国に有利に傾いている。

中国軍は2023年に台湾周辺を含む西太平洋地域の軍事演習の国防予算の7%に当たる150億ドル(2兆2000億円程度)を支出したとの指摘がある8。台湾の23年の国防予算が2兆円ほどで、中国は軍事演習だけで台湾の国防予算を上回る予算を使っている。

中国が力による現状変更の試みを続ける結果、偶発的衝突リスクの可能性も高まっている。2024年2月に台湾の離島、金門島付近で中国漁船が台湾当局の船とぶつかって転覆し、中国人2人が亡くなった。一歩間違えば紛争になりかねない事態だった。

中国軍の軍用機が台湾海峡の中間線を飛び越えて飛来した回数は台湾国防部の発表をもとに集計したところ、2021年は2回だったのが22年には550回、23年は726回、24年は1~6月の半期だけで554回に及んだ9。台湾軍はそのたびに主力戦闘機「F16」などでスクランブル発進をしている。台湾軍の機体やパイロットには限りがあり、摩耗や疲弊による事故のリスクもくすぶる。

中国からみれば親中派の国民党が第1党の座についている立法院(国会)を通じて少数与党状態の頼清徳政権に揺さぶりをかける戦略を優先するほうが現実的にもみえる。2026年の統一地方選、28年の総統選を通じて民進党を追い込もうとするのではないか。

頼政権のもとで、中台間の対話が正式に始まる可能性はほぼない。緊張緩和も見込めない。高い緊張をはらみながらも現状維持が続く。

頼政権を取り巻く政治状況は少数与党のねじれ議会ということもあって、相当厳しいものにならざるを得ない。

頼政権にとって大事なのは日本や米国、欧州といった民主主義国との交流の拡大だ。最近は韓国やフィリピンも重要性を増している。台湾に武力を行使すれば国際社会の制裁が待っていると中国側に認識させることが抑止になりうる。

(2024年9月4日脱稿)




1 美麗島電子報   http://m.my-formosa.com/DOC_209323.htm

6 聯合報      https://udn.com/news/story/124189/8177452

9 2020年秋に始まった台湾国防部の日々の発表を独自に集計