研究レポート

経済安全保障推進法の意義と課題

2022-05-13
村山裕三(同志社大学名誉教授)
  • twitter
  • Facebook

「経済・安全保障リンケージ」研究会 FY2022-1号

「研究レポート」は、日本国際問題研究所に設置された研究会参加者により執筆され、研究会での発表内容や時事問題等について、タイムリーに発信するものです。「研究レポート」は、執筆者の見解を表明したものです。

2022年5月11日に、国会で経済安全保障推進法が成立した。本稿では、この法律の背景を整理し、その意義に関する評価を行ったうえで、今後の課題を検討する。

経済安全保障台頭の背景

2020年頃より日本でも経済安全保障への関心が高まりを見せたが、その背景には以下の要因がある。

  1. 米中技術覇権競争-2000年代に入り、中国が経済的に台頭し、その技術力を向上させるとともに、米国では中国に対する危機感が高まりを見せた。中国が製造業の競争力強化策とともに「軍民融合政策」を国家戦略として打ち出したため、AI、量子、ロボティクスなどの軍民両用性の高い新興技術の競争で中国に負けると、米国の安全保障に与える影響が甚大であるという認識が定着した。これにより、経済と安全保障の壁を取り払った米中間の技術覇権争いが先鋭化した。

  2. 新型コロナ・ウイルス問題-2019年末に中国で感染が確認された新型コロナ・ウイルスは、2020年に入ると日本でも感染が拡大し、その対策が進められた。この中で顕在化したのが、マスクなどの医療関連物資の不足であった。また、感染防止の切り札となったワクチンについても、海外製に頼らざるを得なくなり、これらの問題が経済安全保障の問題として認識されるようになった。

  3. 半導体不足問題-2021年に入って、半導体の不足が顕在化した。これは、リモートワークの普及による電子機器の需要増、家庭で過ごす時間が増えたことによるゲーム機器や家電の需要増などの要因に加え、米中間の技術覇権競争も影響を与えた複合的な要因により引き起こされた。この半導体不足により、自動車や家電業界が減産に追い込まれたため、これが経済安全保障の問題として認識されるようになった。

  4. ロシアによるウクライナ侵攻-2022年2月にロシアによるウクライナ侵攻が発生し、日本政府は欧米の経済制裁の輪に加わり、多くの日本企業のロシアでの経済活動が停止に追い込まれた。この問題も、経済安全保障と関連付けて議論されるようになった。

経済安全保障推進法の内容と評価

米中技術覇権競争に端を発した経済安全保障であったが、これと同時期に生じたコロナや半導体不足問題なども、日本での経済安全保障論議に影響を与えた。このような中で、経済安全保障推進法案が国会に提出された。その内容は、①特定重要物資の安定的な供給確保、②基幹インフラ役務の安定的な提供確保、③先端的な重要技術の開発支援、④特許出願の非公開制度、の4本柱から構成されている。このなかで、①はコロナと半導体問題などを反映した内容、②はインフラのサイバー・セキュリティに関連した内容、③は米中技術覇権競争の中での日本の技術力強化に関する内容、④は日本が先進国の中で後れを取ってきた技術流出防止のための内容、という位置づけができる。

このように相互につながりが薄い4つの要素が入れ込まれた経済安全保障推進法案であったが、この4つが日本の経済安全保障政策のすべてであるような論調が、メディアでも、また国会論議でもみられた。このため、法案の4つの構成要素については、詳細な議論がなされたが、日本の経済安全保障政策の全体像が見えない状況が生じ、また経済安全保障のコンセプト自体についても混乱が生じた。

この意味では、本法案を日本の経済安全保障政策の全体像の中で位置づけておくことは重要である。その際にポイントとなるのが、以下の3つの側面であると考えられる。

  1. 政策の制度化-今までにも経済安全保障の分野で政策がすすめられたケースはあったが、これらは既存の枠組みの中で予算を増加させる形での対応であった。例えば、9.11同時多発テロ後に、日本でもテロ対策機器の開発が推進されたが、これは文部科学省の科学技術振興調整費を用いたものであった。今回は、法律化により経済安全保障政策が制度化されたことになり、関係省庁が連携して、中長期的に取り組める体制が整った。

  2. 「経済安全保障の箱」の設置-法律の目的の部分に、「経済施策を一体的に講ずることによる安全保障の確保の推進」という記述があるように、この法律は日本の安全保障を確保するために、経済的な手段を使えるようにした点に主眼がある。したがって、法律の構成要素の4分野は、この目的を達成するための個別要素であり、今後さらなる経済施策が必要になれば、ここに含めることができる。この一種の「経済安全保障の箱」が作られたところにこの法案の意義を見出せる。

  3. 国家安全保障戦略への道筋-今回の法律に合わせて国家安全保障会議設置法が改正され、従来の外交政策、防衛政策に加えて、経済政策が入れられた。これは2022年中に改定が予定されている国家安全保障戦略に経済政策を入れる、すなわち経済安全保障を組み込むための道筋をつけたものといえる。

このように今回の法律の意義を位置づけることにより、日本が進めようとしている経済安全保障政策の全体像が見えてくる。日本の経済安全保障政策は、①外為法による輸出管理や外資規制のように、従来から政策対応がなされてきた技術流出防止に関わる政策、②今回の法律で新たに設置された「経済安全保障の箱」、すなわち今回の法律に盛り込まれた4分野と、今後必要に応じて盛り込まれる既存の法律ではカバーできない分野の政策、③2022年中に盛り込まれる予定である国家安全保障戦略における経済安全保障政策、の3つのカテゴリーから構成される。日本の経済安全保障政策は、現在、発展の途中にあり、今後は、②のカテゴリーのさらなる充実と、③の国家安全保障戦略への経済安全保障の組み込み、を進めなくてはならない。

経済安全保障推進法の課題

ここでは上記②の課題の内で、筆者の専門分野である重要物資のサプライ・チェーン構築と産官協力の下での重要技術育成策について、経済安全保障上の課題を検討する。

  1. 特定重要物資の安定的な供給確保(サプライ・チェーン問題)-サプライ・チェーンの強靭化の問題は、政府の介入がなくても、企業経営の一環として取り組まねばならない課題である。事実、度重なる地震や今回のコロナ問題を踏まえて、企業はBCP(事業継続計画)を作成し、これに対応している。したがって、政府がサプライ・チェーンの強靭化に乗り出すためには、なぜ、どの分野で政府の介入が必要になるのかを、論理的に整理しておく必要がある。これがなされないと、政府の過剰介入を招き、自由な企業活動を阻害する恐れがある。また、サプライ・チェーンの強靭化は、日本一国でできるものではなく、同盟国や有志国と連携して行わないと、経済の効率性が損なわれる恐れがある。今後は、この種の問題を扱える枠組みを同盟国、有志国との間で構築し、日本の安全保障にとっても経済にとっても、有益となる方向で交渉を行う必要がある。

  2. 先端的な重要技術の開発支援-官民パートナーシップを担う協議会と調査機能を有するシンクタンクを設立して、政府が重要技術の開発支援を行うとされている。その一方で、このような開発枠組みが確立する前に、すでに経済安全保障重要技術育成プログラムが作られ、2022年度から予算措置がなされている。開発支援のあるべき順番は、①シンクタンクによる重要技術の特定、②協議会における政府の技術ニーズと産業界の技術シーズのマッチングと開発計画の作成、③経済安全保障重要技術育成プログラムによる予算措置、④開発された技術の社会実装、となるべきである。ところが、現状では予算措置が先行し、協議会とシンクタンクの設立が遅れている。実効性のあるシンクタンクを設立するには時間を要するが、ここが開発の起点となる役割を果たすため、その設立と機能化は特に急ぐべきである。また、この開発プロセスにおいて、政府向け技術の向上と民生分野での国際競争力の向上を結び付けた制度設計が必要になる。これがなされないと、既存の政府支援による開発プログラムと何ら変わらないものになってしまう恐れがある。経済と安全保障(政府)の両方の技術力を伸ばすことにより初めて、経済安全保障を具現化する開発プログラムとなる。

今後は、経済安全保障推進法に盛り込まれた政策の実効性の向上とともに、経済安全保障の国家安全保障戦略への組み込みというより大きな課題にも取り組まねばならない。これらを総合的に実施することにより、日本の経済安全保障政策のレベルを向上させることができるのである。