研究レポート

EUのパワーをどう見るか―欧州複合危機と混成パワーのポートフォリオ

2021-07-14
市川顕(東洋大学国際学部教授)
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「欧州」研究会 FY2021-1号

「研究レポート」は、日本国際問題研究所に設置された研究会参加者により執筆され、研究会での発表内容や時事問題等について、タイムリーに発信するものです。「研究レポート」は、執筆者の見解を表明したものです。

はじめに

先日、欧州委員会が2021年7月にも国境炭素税(正式にはCBAM: Carbon Border Adjustment Mechanism)を提案するとの報道があった(Bloomberg:2021.6.7)。これにより鉄やセメントといった製品をEU域外から輸入する事業者は、欧州連合(EU: the European Union)の排出量取引価格と同水準(6000円/t-CO2以上)の税をEUに支払わなければならないとされる。日本企業への影響も必至である。このように、日本は良かれ悪しかれEUの影響力に晒されている。建設的な日欧関係を築くためにも、EUが行使する影響力、そしてその背後にあるパワー1について考える必要がある。

EUのパワーとは何か

遠藤はEUの存在理由として3つのP―平和要因(Peace)・経済要因(Prosperity)・権力要因(Power)―を挙げた(遠藤2016:226-227)。では、かねてから「経済的巨人、政治的小人、そして軍事的幼虫」と揶揄されてきたEUはどのようなパワーとして規定されうるのだろうか。

これまでEUのパワーの特徴を把握するために様々な提案がされてきた。例えば、「軍事力を基礎とするアメリカ的価値とは違った、ヨーロッパ的な価値」(児玉2015:30)を体現するものとしてのソフトパワー、大国ではなくとも国際的な認識を操る(Toje2011:46)という意味でのスモールパワー、世界で最も成功した地域統合の事例(Gaens and Vogt2015:168)としてのモデルパワー、「利益の追求および国際問題の解決のために非軍事的手段を利用するアクター」(Wood2009:115)としてのシビリアンパワー、などが挙げられよう。ここで注目したいのは、混成パワーという概念である。これはパワーを因数分解することで、いくつかの要素の混合体としてEUのパワーを把握する。例えば、EUを非軍事的・軍事的能力の混成パワーとする議論(Howorth2010:465)やハードな市場パワーとソフトな認識パワーの混合体とする議論(Wurzel and Connelly2011:14-15)などがこれにあたる。このように混成パワーについて考える際に、それを構成する要素について参考になるのは明田による整理である。明田はパワーの要素として、①構造的パワー(経済力・軍事力)、②手続き的パワー(交渉力)、③制度的パワー(制度から付与される力)、そして④規範的パワー(あるアクターがもつ規範やアイディアの魅力によって他のアクターの行動に影響力を与える力)の4つを提示した(明田2007: 293-298)。次節では、この4要素を踏まえたEUのパワーついて、先行研究を整理したい。

「規範パワー」「規制力」「規範政治」

EUのパワーに関しては、2002年のイアン・マナーズ(Ian Manners)による規範パワー(NPE: Normative Power Europe)の議論(Manners2002)に触れないわけにはいかない。マナーズは規範パワーを「世界政治において何が正常なものとして通用するかを決定する能力」(Manners2002: 236)と定義した。これはまさにEUが「世界にリベラルな規範―基準やルールや行動モデル―を提示し、その規範への多くのフォロワーを獲得する」(臼井2020:10)様態を把握したものであった。マナーズの規範パワー論は、そのインパクトゆえに、その後多くの論者によって参照・継承された。しかしながら、注意しなければならないことは、マナーズは必ずしもEUが規範パワー「である」と主張しているわけではない、ということである。むしろ、東野が指摘するように、マナーズは規範パワーの議論を推し進めることで、「ヨーロッパ人に自らの規範志向性をまずは意識」させ「EUをこれまでよりもいっそう「規範的に行動させ」」ようとしていたのである(東野2015:47-48)。このようにマナーズによる規範パワー論は、明田によるパワーの4要素の中では④の規範的パワー(もしくは規範そのもの)に強い焦点を当てるものとなった。

それから10年後、遠藤と鈴木による共編著として『EUの規制力』が刊行された。このEUの規制力の議論においては、EUは(i)EUの巨大市場を背景としたアジェンダ・セッティング能力(①構造的パワー)、(ii)「静かな影響力2」に基礎を置く交渉能力(②手続き的パワー)、そして(iii)成立させた制度による拘束を伴う集団的行動能力(③制度的パワー)を持つ(鈴木2012:21-27)ものとされた。

続いて2015年、『EUの規制力』にも執筆していた臼井は『EUの規範政治―グローバル・ヨーロッパの理想と現実―』を編んだ。臼井は新たに、「規範を実現しようとする政治と、規範を利用しようとする政治の、表裏一体性を明らかに」する研究方針として、「規範政治」という概念を提起した(臼井2015:11-12)。ここには臼井が「規範パワー」論と「規制力」を統合しようとしたことが垣間見られる。つまり、④の規範的パワーが影響力に昇華しない場合3を視野に入れることによって、①~④のパワーの要素を観察可能なものとしたのである。

2010年代は欧州複合危機(遠藤2016)という言葉に代表されるように、EUおよびその加盟国にとっては受難の時期でもあった。ユーロ危機、難民危機、ウクライナ危機、英国のEU離脱(BREXIT)、ポピュリズム政党の台頭といった状況を目の前にして、④の規範的パワーが影響力に転化しにくい状況が生まれたと考えられた。臼井による2020年の編著『変わりゆくEU-永遠平和のプロジェクトの行方-』では、規範を守ろうとする意思と仕組みを備えた政体としてのEUが、規範パワーを持続可能なものとするための4つの制度特性を提示した。それらは、(i)多次元・多国間参加体制としてのマルチアクターシップ、(ii)欧州基準と国際基準の同期を意味するシンクロナイゼーション、(iii)EU規範のハードロー化を意味するリーガリゼーション、そして(iv)多くの分野を同一の基本規範に連関させるメインストリーミング、である。これら4つの制度特性をEUの異なる政策分野において検討することで、規範パワーのレジリエンス(規範パワーが持続可能かどうか)が検討された。

EUのパワーをどう見るか―欧州複合危機と混成パワーのポートフォリオ―

本稿では1節でCBAMを引き合いに、建設的な日欧関係の構築のためにEUのパワーを検討する必要があることを示した。2節ではEUのパワーを混成パワーとして把握する必要性を提示し、それに基づき、3節では「規範パワー」「規制力」「規範政治」といった先行研究を整理した。

では、今後EUのパワーに関する議論はどのように発展させることが可能なのだろうか。3つの方向性を指摘して稿を閉じたい4。第一の方向性は、EUのパワーに関する議論をEU政治のみならず経済学、国際機構論、社会学などマルチディシプリナリーに開放し、学問間での議論の積み重ねにより、慎重に検討することである。これにより、より立体的なパワー概念の諸相が可視化されるかもしれない。第二の方向性は、やはりEUのパワー特性を鑑み、EUの混成パワーの一要素としての規範への注目を怠らないことだ。アメリカや中国と比較するに、やはりEUのパワーの特徴の一つとして、規範を影響力に転化する側面は無視できない。そして第三の方向性は、EUの個別具体的な政策領域における政治過程の分析を通じて、EUのパワーのポートフォリオを明らかにする、事例研究の蓄積5だ。その際には、混成パワーとしてのEUを的確に因数分解し、その各要素がどのようなポートフォリオとして表現できるかを明らかにする必要があろう。

参考文献

Bloomberg(2021.6.7), "EU Eyes First-of-a-Kind Border Levy in Climate Fight", https://www.bloomberg.com/news/articles/2021-06-02/eu-climate-levy-to-be-linked-to-prices-in-red-hot-carbon-market [Last Access: 2021.6.7]

Gaens, Bart and Henri Vogt(2015), "Sympathy or Self-Interest? The Development Agendas of the European Union and Japan in the 2000s", Bacon, Paul, Hartmut Meyer, and Hidetoshi Nakamura(eds.), The European Union and Japan: A New Chapter in Civilian Power Cooperation?, (Surrey, Ashgate), pp.151-168.

Howorth, Jolyon(2010), "The EU as a Global Actor: Grand Strategy for a Global Grand Bargain?", Journal of Common Market Studies, Vol.48, No.3, pp.455-474.

Manners, Ian(2002), "Normative Power Europe: A Contradiction in Terms?", Journal of Common Market Studies, Vol.40, No.2, pp.235-258.

Toje, Asle(2011), "The European Union as a Small Power", Journal of Common Market Studies, Vol.49, No.1, pp.43-60.

Van Schaik, Louise and Simon Schunz (2012), "Explaining EU Activism and Impact in Global Climate Politics: Is the Union a Norm- or Interest-Driven Actor?", Journal of Common Market Studies, Vol.50, No.1, pp.169-186.

Wood, Steve(2009), "The European Union: A Normative or Normal Power?", European Foreign Affairs Review, Vol.14, pp.113-128.

Wurzel, Rüdiger K.W. and James Connelly(2011), "Introduction: European Union Political Leadership in International Climate Change Politics", Wurzel, Rüdiger K.W. and James Connelly(eds.), The European Union as a Leader in International Climate Change Politics, (London and New York, Routledge), pp.3-20.

明田ゆかり(2007)「縛られた巨人―GATT/WTOレジームにおけるEUのパワーとアイデンティティ―」田中俊郎・小久保康之・鶴岡路人編著『EUの国際政治―域内政治秩序と対外関係の動態―』慶應義塾大学出版会pp.287-322。

市川顕・髙林喜久夫(2021)編著『EUの規範とパワー』中央経済社。

臼井陽一郎(2020)「EUによるリベラル国際秩序?」臼井陽一郎編著『変わりゆくEU-永遠平和のプロジェクトの行方-』明石書店pp.7-27。

臼井陽一郎(2015)「規範のための政治、政治のための規範―政体EUの対外行動をどうみるか―」臼井陽一郎編著『EUの規範政治―グローバル・ヨーロッパの理想と現実―』ナカニシヤ出版pp.9-25。

遠藤乾(2016)『欧州複合危機』中公新書。

遠藤乾(2012)「EUの規制力―危機の向こう岸のグローバル・スタンダード戦略―」遠藤乾・鈴木一人編著『EUの規制力』日本経済評論社pp.1-14。

児玉昌己(2015)『欧州統合の政治史--EU誕生の成功と苦悩--』芦書房。

鈴木一人(2012)「EUの規制力の定義と分析視角」遠藤乾・鈴木一人編著『EUの規制力』日本経済評論社pp.17-36。

東野篤子(2015)「EUは『規範パワー』か?」臼井陽一郎編著『EUの規範政治-グローバルヨーロッパの理想と現実-』ナカニシヤ出版pp.45-60。




1 ここでは(Van Schaik and Schunz2012:172)に従い、影響力を「アクターの態度・信念・選好の修正」とし、パワーを「影響力を行使する能力」とする。
2 これは、欧州統合の過程で、特に20世紀後半からの市場統合深化の過程において、各国ごとに異なる標準や規制を調和化してきた経験を指す(遠藤2012:5-6)。
3 これについて臼井は「規範を実現しようとして失敗するEU、規範を操作利用し戦略的にふるまおうとしてうまくいかないEU」と表現する(臼井2015:11-12)。
4(市川・髙林2021)は、本稿結論にある問題意識に基づいて編集されたものである。
5 (東野2015:55)参照のこと。