研究レポート

インド太平洋の安全保障

2022-03-31
小原凡司(笹川平和財団上席研究員)
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「インド太平洋」研究会 FY2021-6号

「研究レポート」は、日本国際問題研究所に設置された研究会参加者により執筆され、研究会での発表内容や時事問題等について、タイムリーに発信するものです。「研究レポート」は、執筆者の見解を表明したものです。

1 軍事的緊張が高まるインド太平洋地域

2021年のインド太平洋地域は、米中の軍事的緊張がさらに高まったかに見える。軍事的緊張の高まりは、米中双方が相互に軍事力使用の抑止を試みていることに起因している。習近平政権の中国は急速な軍備増強を継続して米国の軍事的介入を抑止しようとし、バイデン政権の米国は同盟国との軍事協力を深化させることによって中国の武力行使を抑止しようとしているのだ。

米中双方ともに抑止を目指しているにもかかわらず軍事的緊張が高まるのは、米中の国家目標が相反するものであるからに他ならない。中国が最終的に求めるのは自らの標準、ルール、規範を国際社会に実装することである。中国は欧米が主導して作り上げた現在の国際社会における標準、ルール、規範を受け入れていない。しかし、米国は中国が実装しようとしている標準、ルール、規範、さらには実装しようとするその手法に懸念を示している。

中でも軍事的に緊張が高まっているのは台湾をめぐる問題である。台湾統一は中国共産党にとって統治の正統性に関わる問題であり、その実現のためには軍事力の行使も厭わない。一方で、米国の目標は中国の台湾武力侵攻を抑止することである。しかし、米国の抑止が効果を発揮すれば中国は武力侵攻による台湾統一という選択肢を失うことになる。中国にとっては、台湾統一の最終手段でもある選択肢を失うことは受け入れられない。

2 中国の軍事行動の活発化

中国は米国の軍事介入を抑止するA2/AD(anti-access/area-denial:接近阻止・領域拒否)能力を誇示するとともに、台湾に対する軍事的圧力を強化している。例えば、中国人民解放軍海軍は台湾周辺海域で演習を実施しi、中国軍機が台湾への接近飛行を繰り返している。特に2021年10月上旬には中国軍機が多数、台湾防空識別圏(ADIZ)に侵入した。同月4日に最多となる中国軍用機56機が侵入したのを含め、1日から4日までの間に149機が台湾南西空域の防空識別圏に侵入したii

しかし、中国人民解放軍の台湾周辺における行動の活発化は単に台湾に対する牽制だけが理由ではない。むしろ、戦略的コミュニケーションの一環として、米国に対して政治的メッセージを発したと捉えるべき事象もある。例えば、中国メディアは、2021年4月15日に開始された台湾海峡付近の海域で実施された中国海軍の演習は、バイデン大統領の要請を受けてクリス・ドッド元上院議員が台湾を訪問したのに合わせて行われたものであるとしているiii。まさにドッド元上院議員が蔡英文総統と会談している時に中国海軍が台湾海峡において実弾射撃を伴う演習を行ったのである。

10月上旬に多数の中国軍機が台湾防空識別圏に侵入した事案にも、米国に対する牽制という側面があると考えられる。そう考える根拠として、第一に、同時期にフィリピン海(日本、台湾、フィリピン、ミクロネシアに囲まれた海域)において米国、英国、オランダ、カナダ、ニュージーランド、日本の6カ国が海軍合同演習を行なっていたことが挙げられる。この合同演習には、米海軍からUSS Ronald Reagan (CVN76)およびUSS Carl Vinson (CVN70)の2隻、英海軍からHMS Queen Elizabeth (R08)という正規空母に加え、海上自衛隊のヘリコプター護衛艦「いせ(DDH182)」が参加し、10月3日には「同盟国間の空母打撃群の合同運用」が実施されたiv。中国国営新華社は、同6カ国17隻の海軍艦艇が10月10日まで、南シナ海および周辺海域において演習を継続したとしているv。6カ国海軍の艦艇はバシー海峡を抜けて南シナ海に入ったということである。

第二に、中国軍機が台湾防空識別圏に侵入した飛行経路が挙げられる。台湾国防部Twitterが掲載した中国軍機の飛行経路図によれば、10月4日の中国軍機による飛行は台湾ADIZに侵入したものの台湾に接近するのではなく、バシー海峡に針路をとっている。先述のとおり、同日は、演習を行った6カ国海軍の艦艇がフィリピン海から南シナ海に向かっていた時期に合致する。衛星画像等を分析した結果として、同艦艇が4日にバシー海峡に達したとする情報もある。中国軍機は、バシー海峡を通峡して南シナ海に入ろうとする米国等6カ国海軍の艦艇に対応しようとしたと考えられるのである。

第三に、4日に台湾ADIZに侵入した中国軍機の機種である。侵入した56機のうち最多の34機はJ-16戦闘爆撃機であった。J-16は、ロシア製Su-30戦闘機を改良して多くの爆弾や対地/対艦ミサイル等を搭載できるようにした戦闘爆撃機である。中国の軍人は、J-16が南シナ海の制海権および制空権を完成する作戦の主役になるとしているvi。制海権を獲るための主役であるのは、その対艦攻撃能力の高さゆえである。また、4日には2機のY-8対潜哨戒機が飛行に加わっている。米空母打撃群を護衛していると考えられる米国の攻撃型原潜に対応しようとしたのだと考えられる。

3 中国が危機感を高めるAUKUS

中国が6カ国海軍合同演習に敏感に反応した理由は主として2つある。1つは米国と同盟国の軍事作戦の統合の拡大であり、もう1つは南シナ海の重要性であるが、2つは密接に関連してもいる。米東部時間2021年9月15日、米国、英国、オーストラリア3カ国はAUKUSという新たな安全保障の枠組みを構築すると発表した。オーストラリアは、AUKUSの下、米国の原子力潜水艦(原潜)建造技術の供与を受けて攻撃型原潜を8隻建造するvii。米国の潜水艦建造技術をオーストラリアと共有することは、同様の戦術支援システムや武器システムを共有することであり、運用が統合されることにつながる。

オーストラリアが保有する攻撃型原潜は、米国の攻撃型原潜と共に、南シナ海等において行動することになる。中国が戦略原潜および攻撃型原潜を増強するにつれ、米国は自らが保有する攻撃型原潜で対応することが困難になるという危機感を募らせてきた。しかし、オーストラリアが攻撃型原潜を保有して米国海軍の作戦に統合されれば、インド太平洋地域における中国の原潜に対する劣勢を挽回することも可能になる。

中国は、AUKUS構築の発表に対して激しく反発した。新華社は、「AUKUSは軍拡のパンドラの箱を開けた」と米国、英国、オーストラリアを非難しているviii。中国がAUKUSに強く反発するのは、米国に対する核抑止が破綻する可能性が高くなるからである。中国の対米抑止の根幹は大陸間弾道ミサイル(ICBM)を用いた戦略核兵器によるものであるが、地上に配備されたICBMおよびその発射機は、敵の第一撃によって破壊される可能性がある。万が一、地上発射型のICBMが十分な報復攻撃ができないまでに破壊されたとしても、海中で戦略パトロールを行い、位置を秘匿している戦略原潜は敵の第一撃を生き延びる可能性が高い。しかし、AUKUSの成果として米国とオーストラリアの攻撃型原潜が南シナ海で哨戒行動を実施すれば、海南島の楡林海軍基地に配備されている中国の戦略原潜は出港直後から探知・追尾され、潜水艦発射型弾道ミサイル(SLBM)発射の兆候を見せれば撃沈されてしまう。そうなれば、中国は、米国に対する核報復攻撃の最終的な保証を失うことになる。

4 中国のA2/ADと米国のPDI

中国は米国の対中軍事力行使を抑止する効果が低減することを許容できない。中国は、バシー海峡および南シナ海を軍事的にコントロールし、同海域から米国およびその同盟国の海軍力を排除する努力を継続すると考えられる。また中国は、第一列島線以西の東シナ海からも米国およびその同盟国の軍事力を排除しようと試みており、これらは中国のA2/ADの領域拒否に当たる。

元来、中国のA2/ADは、対米核抑止が破綻しても米国の対中軍事力行使を抑止できるよう、DF-26およびDF-21Dといった対艦弾道ミサイルやH-6K爆撃機に搭載される巡航ミサイル等を主力とし、中国本土から4,000キロメートル以上離れた海域から段階的に、中国に接近を試みる米海軍空母打撃群等を打撃する能力を構築するものである。米国は中国のA2/ADに危機感を強めてきた。

中国のA2/ADを一時的にでも無力化し、米国の兵力が中国に接近し打撃を与えることを保証して中国の武力行使を抑止するのがPDI(Pacific Deterrence Initiative:太平洋抑止イニシアティブ)である。米国防総省は、PDIが「特に、拒否的環境下で生存可能な攻撃力とスタンドオフ能力を提供するため」のものであり、「国防総省は、高度で非対称的な能力と、接近阻止・領域拒否の環境下で活動するよう設計された能力の開発が、太平洋地域の抑止にとって中心的に重要であるとみなしている」としているix

PDIには、第一列島線上に精密打撃ネットワークを有する統合された兵力の構築、および必要に応じて戦闘活動を長期間維持する能力を備えた兵力の分散展開を含んでいるx。米国が言う「統合」は広い概念である。2021年12月、オースティン米国防長官は、米国の「国家国防戦略(NDS)」の基礎となる概念として「統合抑止」を掲げ、「米軍が米政府の他の部門や同盟国、パートナーと緊密に協力し、侵略の愚かさと代償を明確にするために、領域や紛争の範囲を超えて努力を統合すること」と定義しているxi

5 米国の「統合抑止」と日本の安全保障

米国の戦略やPDIには日本との統合も含まれている。PDIがいう第一列島線上の精密打撃ネットワークは統合された兵力によって構築されるが、陸軍、海軍、空軍、海兵隊等の統合だけでなく、米軍と自衛隊の統合も視野に入っている。また、日本の南西諸島は第一列島線の重要な一部を占めており、米国は日本の地政学的重要性を理解している。

中国がAUKUSとともに警戒を強めるのが日米同盟の強化なのである。日米安全保障協議委員会(日米2+2)の開催後、『環球時報』は社評において「我々は特に日本に言いたい」として、「日本が台湾海峡介入の前哨基地として米軍に国土を差し出すことは、人民解放軍に標的を送ることに等しい。日本の戦略的縦深性は極めて小さく、どの軍事目標も容易に狙われることになる。日本の自衛隊が直接関与すれば、より深刻な事態になることは必至である。日本政府はアメリカに追随していることがどれだけ危険なことか、本当に分かっているのか」と日本を威嚇しているxii

中国が敏感に反応するのは、日米2+2の内容が中国の危機感を高めたからである。日米2+2後の共同発表は、中国の活動に懸念を示した上で、「とりわけ陸、海、空、ミサイル防衛、宇宙、サイバー、電磁波領域及びその他の領域を統合した領域横断的な能力の強化が死活的に重要であることを強調」し、「即応性、抗たん性及び相互運用性を向上させる必要性を強調し、閣僚は、アセット防護任務、共同の情報収集、警戒監視及び偵察(ISR)活動、実践的な訓練・ 演習、そして、柔軟に選択される抑止措置(FDO)、戦略的メッセージを含む協力の深化」を歓迎した。また、「日本の南西諸島を含めた地域における自衛隊の態勢強化の取組を含め、日米の施設の共同使用を増加させることにコミットした」としているxiii

中国が危機感を高めるのは、日米同盟の強化が中国の武力行使を抑止する効果を持つと考えるからである。日本および米国にとっては、同盟の強化がインド太平洋地域の平和と安定を保つという意味になる。日本政府は、2022年に「国家安全保障戦略」、「防衛計画の大綱」、「中期防衛力整備計画」という3つの戦略文書を発表する。日本は、日米2+2の共同発表に示された内容を基にこれら戦略文書を策定し、米国との安全保障協力を深化させ、インド太平洋地域において実力を用いた一方的な現状変更を抑止する意図および能力構築の計画を示すことになるだろう。




i 例えば、「大陆军事演训活动有所增多,国台办:民进党当局和"台独"势力谋"独"挑畔加剧造成」『环球网』2021年4月14日、https://taiwan.huanqiu.com/article/42iR50dpXHX(2021年4月15日最終確認)

ii 台湾國防部Twitter, https://twitter.com/mondefense(2022年2月12日最終確認)

iii 「解放军在台湾海峡附近展开两场实弹演习 台媒:时机地点级敏感」『新华网』2021年4月16日、http://www.xinhuanet.com/mil/2021-04/16/c_1211112895.htm(2021年6月7日最終確認)

iv "Multiple Allied Carrier Strike Groups Operate Together in 7the Fleet" America's Navy, October 8, 2021, https://www.navy.mil/Press-Office/News-Stories/Article/2805374/multiple-allied-carrier-strike-groups-operate-together-in-7th-fleet/(2021年10月26日最終確認)

v 「为了围堵中国,美国圈拢六国又到南海搞事情?」『新华社』2021年10月11日、https://world.huanqiu.com/article/457xG3mxgXt(2022年2月12日最終確認)

vi 「大校曝我空军5大杀手锏 歼16将成南海作战核心」『环球网』2013年11月5日、https://mil.huanqiu.com/article/9CaKrnJD0nu(2022年2月12日最終確認)

vii 「豪州、原子力潜水艦8隻建造へ 米英との新安保協力で」『REUTERS』2021年9月16日、https://jp.reuters.com/article/usa-security-australia-asia-idJPKBN2GC0P8(2022年2月12日最終確認)

viii 「环球深壹度 美国又搞"小圈子",美英澳新机制打开"潘多拉盒子"」『新华网』2021年9月18日、http://www.news.cn/world/2021-09/18/c_1211374442.htm(2021年10月2日最終確認)

ix "Pacific Deterrence Initiative" Office of the Under Secretary of Defense (Comptroller), May 25, 2021, https://comptroller.defense.gov/Portals/45/Documents/defbudget/FY2022/fy2022_Pacific_Deterrence_Initiative.pdf(2022年2月20日最終確認)

x "U.S. Indo-Pacific Command Wants $4.68B for New Pacific Deterrence Initiative" USNI, March 2, 2021, https://news.usni.org/2021/03/02/u-s-indo-pacific-command-wants-4-68b-for-new-pacific-deterrence-initiative(2021年3月20日最終確認)

xi "Remarks by Secretary of Defense Lloyd J. Austin Ⅲ at the Reagan National Defense Forum (As Delivered)" Department of Defense, December 4, 2021, https://www.defense.gov/News/Speeches/Speech/Article/2861931/remarks-by-secretary-of-defense-lloyd-j-austin-iii-at-the-reagan-national-defen/(2022年1月10日最終確認)

xii 「社评:任何干预台海的前哨,都是解放军的靶子」『环球网』2022年1月7日,https://opinion.huanqiu.com/article/46JCMGWqo3q(2022年1月29日最終確認)

xiii 「日米安全保障協議委員会(「2+2」)共同発表(仮訳)」『日本国外務省HP』、2021年1月7日、https://www.mofa.go.jp/mofaj/files/100284738.pdf(2022年1月9日最終確認)