尹錫悦大統領の弾劾をめぐり社会の分極化が深刻さを増す韓国で、独立記念日にあたる3月1日、弾劾に反対する保守系の大規模集会がソウルの光化門と汝矣島でそれぞれ開かれた。「中央日報」によれば、集会には約12万人(警察の非公式推定)が集結し弾劾無効を訴えたほか「従北(親北朝鮮)、反国家勢力を清算」と叫ぶ声が飛び交った。同じ日には弾劾賛成派によるデモも開かれたが約1.3万人にとどまり、反対派は人数で圧倒した。与党「国民の力」に所属する国会議員の3分の1に当たる37人が反対集会に参加した。壇上で「選挙管理委員会や憲法裁判所をぶっ壊せ」と過激な発言をする議員もおり、極右的な主張に同調する言説が際立った。政権与党の極右化を危惧する声が上がっている。
韓国は、日本の植民地支配からの解放後、初代大統領の李承晩政権から軍事独裁政権まで保守が政治の主流だった。1987年の民主化後、革新政党への政権交代や保守系の朴槿恵大統領弾劾に対抗し巻き返しを図ろうとした保守は、2010年代後半から極右勢力への接近を繰り返してきた。大規模集会を開ける動員力と発信力、そして資金源を持つ保守勢力が他にいなかったためである。
弾劾反対集会では、北朝鮮や中国が不正選挙に関与したなどと陰謀論を叫び群集を煽る場面が目立ち、支持者の結集と動員を図るため排外主義的なヘイトスピーチが蔓延している。
その中心にいるのは、二人の保守系プロテスタント教会の牧師である。一人は「サラン(愛)第一教会」の全光焄(チョン・グァンフン)牧師である。光化門での集会を先導する福音派原理主義の牧師であり、彼が率いる「大韓民国立て直し国民運動本部」は極右勢力とみなされている。
全牧師は工業高校卒業後、信仰者の急速な増加を伴うリバイバル派の説教者として活動した。夜間の神学校で学び牧師の資格を得たとされる。2003年以降、北朝鮮の核開発に反対する「反核・反金国民大会」や「米韓同盟強化ための祈祷会」といった大規模集会を主催した。米国との同盟強化を訴えるこうした集会には太極旗と星条旗が登場するようになった。全牧師は2018年から「文在寅政権退陣」を要求する運動を大々的に展開し、街頭で「文在寅は北朝鮮のスパイ」と叫んだ。過激な発言で知られ、性的少数者やイスラム教徒に対するヘイトスピーチで物議を醸してきた。公職選挙法違反などさまざまな罪で告発されてもいる。
全牧師は2000年代以降、右派政党を結成し政治活動に本格参入した。2012年の総選挙で「基督自由民主党」 (得票率1.2%)、2016年に「基督自由党」(同2.63%)、2020年に「基督自由統一党」 (同1.82%) をそれぞれ結成し、候補者を擁立してキリスト教右派の政治勢力化を試みた。2024年には「自由統一党」に改称して選挙戦に臨んだものの得票率は2.6%で議席獲得はならず、その後の集会では不正選挙があったためであると主張している。
もう一人は、釜山にある世界路教会の孫賢寶(ソン・ヒョンボ)牧師である。高神大学神学科、高麗神学大学院で神学を修めた牧師で、保守団体「セーブコリア(SAVE KOREA )」を主導している。昨年12月3日の非常戒厳後、全国を巡回して尹大統領の弾劾に反対する集会を開催し、各地で万単位の大衆を動員したことで一気に注目を集めるようになった。セーブコリアの母体となったのは「聖なる防波堤」というキリスト教団体で、LGBTQ+の権利に反対する立場から、2015年以降、同性愛と同性婚反対を掲げて、韓国最大のLGBTイベント「ソウルクィア・フェスティバル」や包括的差別禁止法案を阻止する運動を進めてきた。
全牧師に知名度ではるかに劣っていた孫牧師が率いるセーブコリアは、戒厳令後の短期間に全国で大規模集会を開き、多くの支持者を動員した。その一因として、全牧師が主催する極右集会に対する保守プロテスタント主流派の反感があるとみられる。過激な言動で物議を醸すことの多い全牧師に比べれば、孫牧師は比較的穏健という評価を受けており、弾劾反対派の新たな受け皿となっている。
全牧師と孫牧師の両勢力は対立関係にあり、互いに非難を応酬し主導権争いをしている。その結果、韓国の極右勢力は、攻撃の矛先がどちらかというと内側に向いており、いわば内戦のような状態にある。「自分たちの集会に来ない者は、親北・従北・親中勢力だ」(全牧師)とレッテル貼りする言説がその典型である。
もっとも、両者に共通する主張は多い。反共、従北左派の一掃、反同性愛、包括的差別禁止法の反対、地方自治体や学生に関する人権条例廃止などである。イスラム教徒の難民受け入れやモスク建設に反対するなど、イスラモフォビアも強くみられる。さらに目下、中国排除論を訴える「嫌中」が保守層に広がりはじめており、尹大統領自ら法廷で中国の脅威を訴えている。こうした排外主義の発露が保守の結集や動員につながっているといえる。
2021年の韓国ギャラップによる「韓国人の宗教調査」によれば、キリスト教徒の比率は国民の23%と高い。17%に相当するプロテスタントは宗派もさまざまで、歴史的な経緯から反共思想の強い保守が主流となってきた。信徒数が2千人以上のメガチャーチ(巨大教会)はいまも保守色が強く、反共に同調する教会や牧師は多い。その一方、民主化運動や人権運動に身を投じたリベラルなプロテスタント教会や牧師もおり、社会の民主化を牽引してきた。
弾劾反対を唱える大規模デモは日本でも報道されることが増えている。だが、実際には集会の参加者は限られており、保守全体を代表しているわけではない。2月第4週の韓国ギャラップ世論調査では、弾劾について59%が賛成しており、反対は35%にとどまった。賛成とする回答を年代別でみると、60代は48%、70代は33%といずれも半数以下なのに対し、20~50代では62~73%に達している。
弾劾反対派にしても、二人の牧師がそれぞれ主導する大規模集会以外には選択肢が少ないという事情がある。反対派には尹大統領支持というよりは、最大野党民主党の党首で次期大統領選の最有力候補である李存明氏に強い反感を抱き、政治的意思を表明するために集会に参加する者もいる。李氏が大統領候補として擁立されることは既定路線となっており、現時点で当選の可能性は高い。しかし、李氏は党内の異論を許さない強権で知られ、複数の裁判を抱えている問題人物であるだけに、反感を持つ有権者は少なくない。そのため、当選したとしても激しい反発を招き、抗議集会が続くと思われる。
尹大統領の逮捕、起訴をきっかけに極右勢力が勢いづき、2月以降は若い世代の弾劾反対集会への参加が目立つようになった。特に、男性にその傾向がみられる。背景には当たり前だと思っていた地位を奪われることへの恐怖や怒りがあるという見方がある。極右が標的にするのは「自分たちの権利を奪う者」である。若い男性の間で広がる反フェミニズムや、「NO CHINA」「華僑一掃」といった嫌中感情は看過できないレベルまで強まっている。
尹大統領は「大韓民国を守ろうと立ち上がっている青年たち、私の本意を理解してくれている青年たちに心より感謝する」とのメッセージを発表し、事態の沈静化を図ろうとするどころか社会的亀裂を深めている。保守政治家の間で、このままでは中道や無党派層の支持を失いかねず、極右に呑み込まれてしまうと懸念する声も上がっている。
露骨な排外主義が危険なレベルにまで達しており、極右勢力を孤立させ主流勢力となるのを妨げる手立てを講じる必要があるとの声もあがる。革新勢力によるカウンターアクションが注目される所以である。尹大統領の弾劾が成立すれば、韓国社会の分極化をいかに修復していくかという重い課題と次期政権は向き合うことになる。解決への道のりは険しいと言わざるを得ない。
(2025年3月10日校了)