研究レポート

「グローバル・ブリテン」の対中東政策の行く末とその課題

2021-12-17
赤川尚平(日本国際問題研究所研究員)
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「中東・アフリカ」研究会 FY2021-10号

「研究レポート」は、日本国際問題研究所に設置された研究会参加者により執筆され、研究会での発表内容や時事問題等について、タイムリーに発信するものです。「研究レポート」は、執筆者の見解を表明したものです。

『競合する時代のグローバル・ブリテン』

2021年3月16日、英国政府はブレグジット後の英国が目指す国家像を示すものとして『競合する時代のグローバル・ブリテン――安全保障、防衛、開発および外交政策の統合見直し(Global Britain in a competitive age: The Integrated Review of Security, Defence, Development and Foreign Policy)』(以下、統合レビュー)を、同22日には英国防省が『競合する時代の防衛(Defence in a Competitive Age)』を公表した。意欲的な論点を多数盛り込むことで英国にとって現状考えうるオプションと望ましい結果が体系的に提示されてはいたものの、そのオプションの優先順位や実現への具体的な道筋は明瞭とはいえないものであった。

「インド太平洋への傾斜」

そのような統合レビューのなかで明確にその方針が謳われ、注目を集めたものが「インド太平洋への傾斜(The Indo-Pacific tilt)」という姿勢である。その後、オランダ軍や米軍の参加を得た空母クイーン・エリザベスを中心とする空母打撃群(CSG21)のインド太平洋への派遣、哨戒艦2隻のインド太平洋への長期展開、そして英米豪3カ国の新たな安全保障の枠組みであるAUKUSの創設など、英国はインド太平洋への具体的なコミットメントを続々と示している。

近年、欧州各国では「インド太平洋」への関与が増大し、その筆頭とも言えるフランスをはじめ、オランダやドイツ、そしてEUもその方針を公表している。英国の「インド太平洋への傾斜」もそのような欧州各国の姿勢と軌を一にするものといえるが、自ら「インド太平洋国家」を称するフランスに比すると、現在の英国はインド太平洋地域に権益を多く有するわけではない。「グローバル・ブリテン」として文字通り欧州域外の世界に関与する姿勢を同盟国、とりわけ最も重要な「グローバルなパートナー」である米国に対して発信する上で、「インド太平洋への傾斜」はその戦略の柱となっている。

「グローバル・ブリテン」にとっての中東

ひるがえって、英国の中東政策はどうだろうか。統合レビューにおいてそのビジョンは必ずしも明らかではない。イラクやアフガニスタンについての言及はほぼ無く、トルコについては他の「ヨーロッパのパートナー」の並びの中でその名が挙げられたのみであり、その苦心が窺える。一方で、少なくとも湾岸地域については「インド太平洋への傾斜」との関わりから今後の展望を窺うことができるだろう。

英国の近現代史に鑑みるに、その中東への関与はインド・南アジアへのそれと表裏一体のものであった。大英帝国の要であるインドへのルートに位置した東地中海・湾岸地域の安定に英国は腐心してきた。イランやアフガニスタンをめぐる問題も、なによりも英領インド統治に関わる文脈のなかで英国の前に立ち現れてきた。第一次世界大戦の際に対オスマン帝国戦線の主戦力としてインド軍は最前線に立ち、中東地域をめぐる戦後処理の過程では本国と中東現地の出先機関に加え、インド省・インド政庁が重要な役割を果たした。そもそも、中東(Middle East)という地域概念そのものが英国のインド政策との密接な関わりのなかで形作られてきたものでもある。同様に、英国が中東への関与を行っていく上でインド洋におけるプレゼンスは不可欠なものであり続けている。

英国は1968年の「スエズ以東」撤退以降も限定的ながら中東やインド洋などへの関与を継続してきた。ペルシャ湾岸やインド洋の安定のためのキピオン作戦を展開し続け、2010年代以降は湾岸諸国との協力関係の構築を積極的に推進してきた。それを踏まえると、「グローバル・ブリテン」にとって湾岸地域や東アフリカは「インド太平洋への傾斜」のための拠点として、引き続きその重要性を増していくことが予想される。

アフガニスタン情勢を受けて

2021年8月の米軍撤退とターリバーン政権復権の影響はどうだろうか。米国との「温度差」について一時的に取り沙汰されたものの、上記の統合レビューでの言及を踏まえるに、英国に自律的・主体的に関与しうる余地がどれほどあったのかは疑問ではある。この件を受けてもなお、ブレグジット後の英国にとって「グローバルなパートナー」としての米国の存在は揺るぐことはないだろう。しかし、その米国と必ずしも利害を共有できない時にはどうするのか。英国は中東における利害を共有し、望ましい行動を共にする「リージョナルなパートナー」の必要性について真剣に考えていく必要があるかもしれない。

いずれにせよ、湾岸地域への関与を継続していくなかで、英国自身の信頼性を担保するためにも、より明確にその自律的なコミットメントを示すことが求められることにはなるだろう。

残された課題としてのチャゴス諸島

最後に、改めてインド太平洋という観点から英国の今後の課題を考えたい。

第二次世界大戦後、英国と米国との「覇権交代」が行われていくなかで、インド洋においても重要な決定がなされた。チャゴス諸島をめぐる決定である。インド洋に浮かぶ島々であるチャゴス諸島は1814年から英領モーリシャスの一部として、英国の統治下におかれた。モーリシャスは1968年にコモンウェルスとして独立するも、チャゴス諸島はその3年前の1965年にモーリシャスから分離され、今もなお英領インド洋地域として英国の海外領土の一部となっている。英国のこの決定の背景にはチャゴス諸島最大の島であるディエゴガルシア島を米軍の基地使用のために米国へ貸与するという目的が存在した。ディエゴガルシア島の米軍基地は冷戦期、湾岸戦争、アフガニスタン紛争やイラク戦争など、米軍の中東における軍事作戦遂行のための要衝として機能し続けている。1966年に始まったその租借措置は2016年に30年の自動延長が成立した。

この一連の過程において、チャゴス諸島の住民らはモーリシャスなどへの移住を余儀なくされ、移住先での厳しい生活を強いられることとなった。モーリシャスはチャゴス諸島の返還を求めており、島民らも英国政府を相手取って島への帰還と補償を求めて提訴している。長く続いている係争において、英国政府も強制移住の非を認め、補償の支払いと島民らへの英本土の市民権を付与するなどの対応を行っているものの、統治の終了と島民の帰還については果たされていない。

英国のチャゴス諸島をめぐる問題については国際社会から厳しい目が向けられつつある。2019年2月、国際司法裁判所はチャゴス諸島のモーリシャスからの分離は違法であるとして、英国にその統治を速やかに終了するように勧告を行った。同年5月には国連総会にて英国に対する6カ月以内の統治停止を求める決議案が採択されたが、英国は応じなかった。2021年1月28日には国際海洋法裁判所によってチャゴス諸島に英国の主権を認めることができないという裁定が下されている。また2021年8月に万国郵便連合が、チャゴス諸島より発送される国際郵便に対して英領インド洋地域発行の郵便切手を使用することを認めず、モーリシャス発行の切手のみ認可するという決定を下した。

モーリシャスはチャゴス諸島の返還後、改めてディエゴガルシア島のアメリカへの貸与の意志があることを表明している。英米にとってディエゴガルシア島の基地の存在はその中東政策を遂行していく上で欠かすことのできないものであり、インド太平洋地域の比重が増す昨今ではその重要性は揺るぎないものとなっている。ルールに基づく国際秩序のなかで英国がリーダーシップを発揮していく上で、チャゴス諸島の扱いについては慎重かつ誠実な対応が求められるだろう。

(脱稿:2021年12月13日)




【参考文献】

Yoichi Kibata, "Towards 'a new Okinawa' in the Indian Ocean: Diego Garcia and Anglo-American relations in the 1960s", in: Antony Best, ed., Britain's Retreat from Empire in East Asia, 1905-1980 (Abingdon, Oxon: Routledge, 2017)

鶴岡路人「英空母打撃群のアジア派遣 注目点は「英米合同」」『Foresight』2021年8月9日、https://www.fsight.jp/articles/-/48162

合六強「AUKUSの誕生とフランスのインド太平洋関与の行方」日本国際問題研究所『研究レポート』(欧州研究会 FY2021-5号)2021年11月18日、https://www.jiia.or.jp/research-report/europe-fy2021-05.html