国問研戦略コメント

国問研戦略コメント(2021-04)
「戦略的安定に関する共同声明」−戦略的競争下での米露関係の管理

2021-06-29
戸崎洋史(日本国際問題研究所軍縮・科学技術センター主任研究員)
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「国問研戦略コメント」は、日本国際問題研究所の研究員等が執筆し、国際情勢上重要な案件について、コメントや政策と関連付けた分析をわかりやすくタイムリーに発信することを目的としています。

バイデン・プーチン両大統領による初の米露首脳会談が2021年6月16日にジュネーブで開催され、両大統領は「戦略的安定に関する共同声明」を発表した。以下ではこの「共同声明」について、戦略的競争下での米露関係の管理との観点から検討してみたい。

対立下での関係の管理

3パラグラフからなる共同声明ではまず、「米露間の緊張が高まる状況でも、戦略的領域における予見可能性の確保、武力紛争のリスクや核戦争の脅威を低減するという共通の目標に関して前進することができる」と記された。

核戦争が勃発する可能性の低い状態を表す戦略的安定と、これを維持する施策としての軍備管理は、冷戦期に米ソが厳しく対立するなかでも、全面核戦争の回避という共通の利益のために両国が協力可能であった数少ないアジェンダの1つであり、また軍備管理交渉は、敵対し交流の機会に欠ける両国にコミュニケーションの場を提供し、相互の疑念や不信を緩和する一助にもなった。

冷戦終結後も、ロシアが北大西洋条約機構(NATO)の東方拡大や米国の戦域ミサイル防衛(TMD)への不満を強めるなかでの1990年代後半の第三次戦略兵器削減条約(STARTⅢ)交渉、米国による弾道弾迎撃ミサイル制限条約(ABM条約)脱退後に成立した2002年の戦略攻撃能力削減条約(SORT)、ならびに米露関係悪化の「リセット」を目的の一つに策定された2010年の新戦略兵器削減条約(新START)のように、戦略的安定や軍備管理は、敵対とは言えないまでも不安定な米露関係が決定的な対立に至らないよう管理する手段として活用されてきた。

戦略的安定や軍備管理へのそうした期待は、米露関係が冷戦後最悪と言われ、両首脳が会談後の記者会見を別々に行うなかでも健在だった。米露がこの首脳会談で唯一発出できたのが「戦略的安定に関する共同声明」であり、解決や協力が容易ではない課題が二国間に山積するからこそ、ここでも戦略的安定や軍備管理が関係管理の手段として取り上げられたと言える。

「原則」の再確認

共同声明の第2のパラグラフでは、米露両大統領が「核戦争に勝者はなく、決して戦われてはならないとの原則を再確認」した。この「原則」は言うまでもなく、1985年11月の米ソ首脳会談(於ジュネーブ)でレーガン大統領とゴルバチョフ書記長が合意し、共同声明で表明したものである。米ソ両国は当時、戦略核戦力や中距離核戦力(INF)の軍拡競争、さらには米国の戦略防衛構想(SDI)を巡り厳しく対立していたが、この首脳会談を境に核軍備管理交渉は進展へと転換した。1980年代前半に「新冷戦」とも称されるほどに悪化していた米ソ関係は、この会談を契機に緊張緩和へと大きく舵を切り、ひいては冷戦終結へとつながっていった。

当時とは状況は異なるものの、2010年代に入ってロシアのクリミア併合などを巡り米露関係が悪化し、これに中国の経済・軍事力の急速な伸長も加わって、米国と中露の戦略的競争はここ数年急速に激化しつつある。こうした情勢を受けて、これら3カ国をはじめ核保有国は核抑止力の重要性を再認識し、核戦力の近代化を加速化させている。核軍備管理・軍縮の停滞が続き、その再活性化の妙案も見いだせないからこそ、改めて上述の「原則」に国際社会、とりわけ核保有国が立ち返るべきだと、様々なアクターから提起されていた。もちろん、「原則」の再確認だけで核を巡る状況が直ちに好転するわけではなく、厳しく見れば現時点で米露が合意できるのは最低限の「原則」のみであったとも言える。それでも、核超大国による「原則」の再確認は、具体的な措置の合意や実施に向けた最低限の第一歩であった。

戦略的安定対話

最後のパラグラフでは、両国が近く「統合された二国間の戦略的安定対話(integrated bilateral Strategic Stability Dialogue)」を開始し、「この対話を通じて、将来の軍備管理およびリスク低減措置の基盤構築を模索する」ことが記された。「戦略的安定対話」には、「二国間」と「統合」という2つの修飾語が付されている。

まず「二国間」については、実現しなかったものの中国を交えた3カ国による軍備管理協議の開催を目指すというトランプ前政権の方針を、バイデン政権がひとまず転換させたことを意味している。2021年2月に新STARTの5年間延長を米露が合意した際に、ブリンケン国務長官は、「米国は、新STARTの5年間延長によって提供された時間を用いて、ロシアとの間でそのすべての核兵器に対処する軍備管理を追求する。また、中国の近代的で増大する核兵器の危険性を低減すべく軍備管理を追求する」と述べ、米露による核兵器削減を先行して進める意図を示唆していた。

もちろんバイデン政権も、2021年3月に公表した「国家安全保障戦略の暫定的指針」で「国際秩序に対する唯一の競争相手」と位置づけ、また最も積極的に核戦力近代化を推進してきた中国を、実質的な核軍備管理の枠組みに取り込みたいと考えている。ただ、それぞれ5000発以上の核兵器を保有する米露に対して、中国の保有数は350発程度と見積もられ、依然として数的に大きな格差がある。世界最大の核兵器国である米露がまず核兵器を大幅に削減すべきだと一貫して主張する中国を、少なくとも現時点で米露とともに核戦力の制限・削減に参加させるのは容易ではない。米露首脳会談前のブリーフィングで米政権高官は、「最終的には、軍備管理関連問題について中国と持続的な対話を行う必要がある。しかしながら、大統領は、最初の段階では世界最大の核保有国である二国間で協議を行うことがスタートの方法であることを明確にしている」と、バイデン政権の方針を述べている。

他方、「統合」が何を意味しているかは明示されていないが、米露間の戦略的安定に関係する様々な兵器体系を対話の対象に含めるということだとすれば、米国は、戦略核戦力だけでなくロシアが優位にある非戦略核戦力、ならびにロシアが積極的に開発を進める「エキゾチック」な核運搬手段(極超音速滑空飛翔体、極超音速ミサイル、無人長距離核魚雷、原子力推進巡航ミサイル)を取り上げたいと考えていよう。これに対してロシアは、長年主張してきたように、米国が推進する弾道ミサイル防衛(BMD)も軍備管理の対象に含めるよう求めるであろう。また、米露ともに注視し、それぞれの核態勢でも言及する戦略的含意を持つ非核攻撃、とりわけ核指揮・統制・通信(NC3)や重要インフラへの重大なサイバー攻撃も議論の対象となり得る

米国は、新STARTが2026年2月に失効する前に、ロシアと新たな軍備管理条約を締結したいと考えている。しかしながら、戦略的安定に影響を及ぼす兵器体系の拡大とそれらの関係性の複雑さ、なかんずく戦略・非戦略、攻撃・防御および核・非核の取り扱いに関する米露間の意見の少なからぬ相違を考えると、条約の対象となる兵器体系、管理・削減の方法、検証措置のあり方などについて米露間で意見が収斂するのは容易ではないように思われる。

核リスクの低減

より短期的に実現可能なのは、リスク低減措置に関する合意を目指すことであろう。米露は核リスク低減に関する具体的な案を示していないが、非核兵器国や専門家などは様々な措置を提案している。このうち、スウェーデンが主導し、日本など西側非核兵器国が参加するストックホルム・イニシアティブは、「『行動可能な』実施措置」のなかに、核リスク低減に資する以下のような措置を挙げた

    • 核ドクトリンや宣言政策に関する議論

    • 核兵器ストックパイルや近代化計画についての報告

    • 核リスクの評価・最小化・対処のための対話(危機の予防、危機時の意思決定時間の延長、破壊的な技術やサイバー脅威から生じる潜在的な脆弱性を最小限に抑えるための手段など)

    • 危機時のコミュニケーション(ホットライン、リスク低減センター)の確立

    • NPTの履行に関する報告の提出

そうしたリスク低減措置が、核超大国である米露によって議論され、実施されることはもちろん望ましい。他方で、現在の主要な核の脅威は、戦略的的競争の焦点となる地域の様々なフラッシュポイントにおいて、グレーゾーン事態や武力衝突が限定的な核兵器の使用にエスカレートすること、あるいは誤解、誤認、事故などによる意図せざる核兵器の使用が生起することである。透明性や予見可能性の向上を含め、そうした核兵器使用のリスク低減に関する措置は、米露だけでなく他の核保有国、とりわけ戦略的競争の当事国の一つである中国も参加した実施が求められよう。そうした取り組みは、米露を基軸とした核軍備管理から、多国間の核軍備管理への移行の先鞭となることも期待し得る。さらに言えば、米露や他の核保有国による核リスク低減に向けた真剣な議論と可能な措置からの取り組みの開始は、核を巡る厳しい状況が続くなかで開催される(2020年4月から延期中の)次回核兵器不拡散条約(NPT)運用検討会議に向けて、わずかでも好ましい雰囲気を醸成するのに資するであろう。




Antony J. Blinken, "On the Extension of the New START Treaty with the Russian Federation," Press Statement, February 3, 2021, https://www.state.gov/on-the-extension-of-the-new-start-treaty-with-the-russian-federation/.

"Background Press Gaggle by Senior Administration Officials En Route Geneva, Switzerland," White House, June 15, 2021, https://www.whitehouse.gov/briefing-room/press-briefings/2021/06/15/background-press-gaggle-by-senior-administration-officials-en-route-geneva-switzerland/.

米露間の戦略的安定や軍備管理の対象に含まれ得る兵器体系に関しては、以下を参照。Rose Gottemoeller, "A Former Nuclear Negotiator's Advice for Biden and Putin," Politico, June 14, 2021, https://www.politico.com/news/magazine/2021/06/14/biden-putin-summit-nuclear-treaty-start-494313; James M. Acton, "How Will U.S.-Russia Arms Control Affect the Geneva Summit?" Carnegie Moscow Center, June 14, 2021, https://carnegie.ru/commentary/84754. また、2020年後半に開催された米露「戦略安全保障対話」では、核弾頭・ドクトリン、検証、宇宙という3つの作業部会が設置されていた。

"Ministerial Meeting of the Stockholm Initiative for Nuclear Disarmament," February 25, 2020, https:// www.swedenabroad.se/en/embassies/un-geneva/current/news/stockholm-initiative-for-nuclear-disarmament/.