はじめに
サミット(先進国首脳会議)が1975年にフランスのランブイエで産声を上げてから今年で50年目となる。その本年、米大統領に就任したトランプ大統領は、2月28日の米・ウクライナ首脳会談で、ウクライナ戦争の停戦条件を巡り、ゼレンスキー・ウクライナ大統領との激しいやり取りをプレスに公開し、世界に強い衝撃を与えた。自由主義陣営の共通認識を最高レベルで発信してきたG7が、ウクライナ戦争という明白な国連憲章違反の侵略行為について力強いメッセージを発出できなくなるという危惧が現実のものとなった格好である。トランプ大統領がロシアの復帰による「G8」回帰論1を唱えていることも不安材料である。国連安全保障理事会に続いて、G7も機能不全に陥ってしまうのか。ユーラシア・グループ代表のイアン・ブレマーはこの首脳会談前から、「今年G7が開催されない確率は日に日に上がっている」とXに投稿している(2月21日)。
本年にサミットが開催されるかどうかはひとまず置くとしよう。そもそも、G7の将来を展望する上で、「サミットに或る国を呼ぶ」ということの意味が、巷間あまり吟味されていないと思われる。この結果、トランプ発言にあるようなG7拡大論が横行し、冷静な議論の前提が構築されていない現状がある。本稿では、こうした点の解説を試みたい。
サミット参加国としてのロシア(1991-2014)
よく知られているとおり、1975年、第四次中東戦争を契機とした第一次オイルショックを受けて、フランスの呼びかけにより、フランス・米国・英国・西ドイツ・日本・イタリアの6か国の首脳がパリ郊外のランブイエ城に集まり、3日間の討議を行ったことからサミットは始まった。翌年の議長国となった米国がカナダの参加を主張し、7か国となってからはG7、のちに冷戦が崩壊してロシアが正式に参加を認められてからはG8、2014年にロシアがクリミア侵攻を引き起こしてメンバーシップを認められないこととなってからは再びG7となっている。
サミットは、先進国の首脳が原則として毎年一回集まるという「会議体(conference)」としての姿と、議長国が事務的な調整を綿密に行って合意文書を作る、あるいは突発的事態が起きたときにG7としての声明を準備するという「組織体(institution)」としての姿がある。1975年時点でのサミットはこの「会議体」としての装いしかなかったが、シェルパと呼ばれるサミットにおける首脳個人代表が各G7各国政府において任命され、そのシェルパを中心とする各国の外交政策チーム・財政金融政策チームが、年初からサミット本番までの約半年間をかけてG7としての合意を形成していく、あるいは形成された合意を様々なワーキンググループを通じて実行していくという「組織体」としての姿が際立つようになった。今日、サミットに、単なる招待を受けるのではなく、国として参加するということは、このサミットの準備プロセスに、シェルパを筆頭とする自国の政府関係者が参加するということを意味する。
1976年にカナダが参加してG7となって以来、唯一この「組織体」に追加的に参加が認められた国はロシアだけである(欧州委員会は1979年以来参加)。とはいえ、ロシアは最初からこの「組織体」としてのサミットにフルメンバーとして参加していたわけではない。経緯は以下のとおりである。
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1991年のロンドン・サミットに、議長国の英国がゴルバチョフ・ソ連大統領をサミット日程外で招待。
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1994年のナポリ・サミットで、ロシアは国際政治課題を議論するセッションにのみ参加 (G7+1)。
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1997年のデンバー・サミットで、ロシアは、「世界経済」「金融」を除くすべてのセッションに参加。そして1998年以降は、同年のバーミンガム・サミットを主催した英国(ブレア首相)のイニシアティブで、「G8サミット」と呼ばれるようになった。
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2003年、フランスが議長国となったエビアン・サミットで、ロシアはすべての議題の会合に参加。
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2014年、ロシアによるクリミア併合を受けて、同年ソチで開催予定であったサミットへの参加を他の参加国が拒否。以後、G7に戻る。
サミットの構成国は、文書や国際約束で定まっているわけではなく、サミットに参加するために経なければならない法的なプロセスはない。議長国のイニシアティブにより、或る国を会議体としてのサミットにゲストとして招待することは可能である。しかし、或る国を組織体としてのサミットに「組み込む」に当たっては、冷戦崩壊後のロシアの例がそうであるように、少なくとも参加するすべての国がその招待につき了解し、数年程度の経過観察を経て、当該国を恒常的に議論に参加させることが適当であるという「相場観」が形成された後、初めて認められるということであろう。なぜなら、或るG7メンバー国が、議長国として特定の国を正式メンバーとして遇そうとしても、他のメンバー国の了解がなければ、次の議長国年でその国が繰り返し正式メンバーとして遇される保証はないからである。
ハイリゲンダム・プロセス(2007年~2009年)の例
他方で、「この国は重要であるので、会議体としてのサミットに連続して招待し続けるべきだ」と或る年の議長国が主張して翌年以降の議長国に縛りをかけた例は存在する。2007年の議長国であったドイツが立ち上げた「ハイリゲンダム対話プロセス(HDP)」がそれである2。ドイツのメルケル首相(当時)は、2007年に開催したハイリゲンダム・サミットにおいて、新興国として成長が期待されたブラジル、インド、中国、メキシコ、南アフリカの5か国首脳を招き、この5か国(アウトリーチ5、略してO5)とG8で投資や開発協力などの4分野についての政策対話を立ち上げると発表した。
このHDPがサミットのメンバーシップに及ぼした効果は以下の点に集約できる。第一に、2008年の北海道洞爺湖サミット及び2009年のラクイラ・サミットに向けては、日伊の両議長国ともこのHDPの参加国首脳を呼ぶことが「既定路線」となった点である。現に日伊両国ともO5の首脳を自国開催サミットに招待し、いくつかのセッションに参加させている3。第二に、HDPは、「会議体としてのサミット」にO5首脳を招待するのみならず、「組織体としてのサミット」にO5の事務方を関与させ、一部のコミュニケを13か国で作成することを通じて目下の国際経済の課題解決にO5の力を利用しようとしたことである。こうした事務方を含めた新興国政府のサミットの議論への実質的な関与が続いた結果、G8はロシア以来のメンバー拡大が迫っているかのような外観を呈した。特にサルコジ仏大統領(当時)は、ハイリゲンダム・サミット後の2007年8月に各国駐在大使を前に演説し、G8は「緩やかな変革」を経る必要があり、O5を加えて「G8がG13になることを望む」と明言した4。
G20サミットの誕生という「止揚」(2008年)
その後、G8はG13にメンバーシップを拡大することなく、むしろロシアを除きより西側先進国寄りに「純化」されたG7という形で今日、命脈を保っている。その大きな理由はG20サミットという枠組みの誕生(2008年)である。世界金融危機が発生したのは2008年秋、まさに北海道洞爺湖サミットが終わった後であって、上述のG13拡大論が燻っていたころであった。そこへ緊急首脳会議を開いて世界経済に関する力強いメッセージを発出すべきとの機運が高まった。このサミットの議長国は米国であったが、サミットにどの国を呼ぶべきかについてはG8内で様々な意見が飛び交った。最終的に議長国・米国が選択したのは、G13といった新たな枠組みを構築しG8を時代遅れの遺物として捨て去るのではなく、アジア通貨危機を契機に誕生した既存の20か国財務相・中央銀行総裁会議(G20)に首脳会議を重ねてG20サミットとし、G8の枠組みもそのまま温存することであった。
この点はG7が今日まで存続するに至る道程を理解する上では極めて重要である。即ち、G20サミットの創設により、G13拡大論は、「G20サミットから豪州、インドネシア、トルコ、サウジアラビア、アルゼンチン、韓国を排除して新たな枠組みを作る」ということを意味することとなった。このような地域大国を敵に回しかねない主張を首脳としては主張しづらくなり、大きく失速していったのである。また、G20サミットを開催していく中で、20人以上が円卓を囲んで議論する方式では議論が拡散する傾向があり、またこのメンバーでは共通の価値観も見出しづらいため、発出するメッセージも煮え切らないものとならざるを得ないことが次第に判明していった。中国などの一部の国が、G20サミットでは政治問題を議論しないと明言している5ことも、この首脳会合の枠組みの有用性に疑義を投げかけた。
G20サミット発足後も、G8拡大論は完全に終息したわけではなかった。サルコジ大統領は、2009年のG8ラクイラ・サミット後の記者会見でもG8がG14(G8にO5及びエジプトを加えた14か国)に拡大する必要がある旨を力説する6など、G8拡大に意欲を隠さなかった。しかし、2014年にロシアが武力を行使してウクライナの領土であるクリミアを併合した結果、同年にソチで開催するとしていたサミットへのボイコットを各国首脳が表明し、サミットはG7というロシア参加前の形式に戻り、今日に至っている。ポスト冷戦期のロシアを自由主義陣営に引き寄せるための「仕掛け」としてサミットのメンバーシップを用いる試みはここに失敗したのである7。
組織体としてのG7の保全こそ重要
2022年のロシアのウクライナ侵攻以降、「自由主義世界の運営委員会」(ジェイク・サリバン前米大統領補佐官)としてのG7サミットの評価は高まりつつあった。ロシアが一角を占め、インド、ブラジル、南アフリカといったウクライナ戦争において中立的な立場をとる国が参加するG20サミットで、侵略者としてのロシアを非難する力強いメッセージを発出することができなかったこともその理由の一つである。欧米メディアでは、ロシアがいなくなったG7を、「大国間競争時代を生き抜く上において有用な、かつ焦点の合ったまともな議論ができる場」であるとみなす評価も表れていた8。しかし、そのG7を待ち受けていたのは、2025年1月に就任したトランプ大統領の「ロシアをメンバー国に復帰させてG8にする」との発言であった。今年の議長国カナダがロシアを招待することはあり得ないし、プーチン大統領は国際刑事裁判所(ICC)から逮捕状が発行されており、ICC締約国・カナダに渡航することもない。当のロシア側もこのトランプ発言を受けてG8への復帰する意思がないことを述べている9。となると、当面は組織体としてのG7サミットは保たれることになろう。
上述のとおり、一部の首脳の発意で、サミットはG13への拡大という形で発展的に解消される可能性もあったが、G20と並存させる形でG7として残された。米国が自由主義陣営のリーダーシップから降りようとしている今、日本をはじめとするG7の有志がとるべき選択は、まずはこの国際公共財であるG7という組織体の保全であろう。ついては、ロシアはもちろん、他国をメンバーに加えるような拡大の議論は、トランプ大統領の在任中はとりあえず凍結し、現メンバーのまま、G7の求心力を維持することに意を用いるべきである。この点、日本は、伝統的にG7拡大にネガティブであるイタリアと手を携え、G7を通じた政策調整の重要性と、G7の枠組みが保全されるべきことを、折に触れてトランプ大統領に進言することも必要だろう。メローニ伊首相及び石破総理大臣がともにトランプ大統領との関係が比較的良好というのも天の配剤である。
そうはいっても、就任以来のトランプ政権の政策を見るに、G7の中での意見の不一致や軋轢が発生することは必定である。本年に入って、G20閣僚会合にはトランプ政権閣僚の欠席が相次いでいる10ことも懸念材料だ。米国の隣国にして本年の議長国・カナダに高関税を賦課する政策を打ち出したトランプ大統領が、カナダ主催のサミットに出席するかは疑わしい。
しかし、米国が後年、復元力を発揮して軌道を修正し、西側諸国との連携を模索する路線に復した時に備え、かみ合った議論が行え、自由主義陣営としての一致したステートメントが出せるフォーラムをそのまま残しておく意義は極めて大きい。サミットの枠組みは、国際約束で各国を拘束する根拠があるわけではない。ゆえに、G7自身の一体性に疑いの目が向けられる状況が現出している今こそ、現メンバーが、先を見据え、G7が本来有している志を同じくする自由主義陣営の首脳たちによる政策調整フォーラムという場を保全する倍旧の努力を行うことを切に望みたい。