コラム

チェチェン独立派武装勢力・バサエフ司令官の殺害とロシアのテロ情勢

2006-07-14
猪股浩司(主任研究員)
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 7月10日、「ロシアのビン・ラディン」こと、チェチェン独立派武装勢力のシャミル・バサエフ司令官が、ロシア特務機関の攻撃により殺害された。バサエフ司令官は、モスクワ劇場占拠事件(2002.10.23。死者約130人)、モスクワ地下鉄爆破事件(2004.2.6。死者約240人)、チェチェン大統領爆殺事件(2004.5.9.死者約40人)、旅客機同時爆破事件(2004.8.24。死者約90人)、ベスラン学校占拠事件(2004.9.1.死者約350人)など、これまで幾多の大規模テロを首謀したとされており、プーチン大統領の地元であるサンクトペテルブルグで7月15日からサミットの議長国を務めるロシアにとって、バサエフ司令官の殺害は、「テロとの戦い」における大きな成果である。チェチェン独立派武装勢力は、特に2004年以降のロシア側の掃討作戦により、幹部の殺害や兵員の投降などが続いていた模様であり、実際には相当程度追い詰められていたと推察される。しかし、それをさておいても、バサエフ司令官の殺害は、チェチェン独立派武装勢力にとって、これまでにないほどの大打撃であるに違いない。バサエフ司令官の殺害によって、ロシアを狙ったテロの最大の脅威は一応除去された。この一件で、ロシアとチェチェン独立派武装勢力の対立は、一つの区切りを迎えたといえる。

 しかし、バサエフ司令官の殺害は、ロシアにとっての成果には違いないが、これがチェチェン情勢そのものの安定化を直ちに保証するものではないことには、注意する必要がある。チェチェン紛争がここまで泥沼化した大きな原因として、住民の貧困や当局の腐敗によるチェチェンの混乱、これに乗じた国外のイスラム過激派のチェチェンへの浸透といった事柄が指摘され得る。その意味から、プーチン政権がチェチェン復興策をどう遂行していくか(注1)、チェチェンの最高実力者であるカディロフ首相をどうコントロールしていくか(注2)、また、カフカスひいては中央アジアにおけるイスラム過激派の動きをどう抑えていけるか(注3)といったようなことが、今後のチェチェン情勢安定化のための重要な鍵であろう。チェチェン紛争は、紛争が長引く過程で、単なる「ロシア対チェチェン独立派武装勢力の戦い」という構図で捉えることができないものになってしまっている。その意味から、問題の本質的な解決には、なお多くの時間と労力が必要であろう。

(注1)チェチェンのアルハノフ大統領は、バサエフ司令官の殺害後、チェチェンの各都市で街の復興が進んでいることを述べているが、チェチェン復興費用が実際には必ずしもチェチェン復興に用いられていないことが度々指摘されている。
(注2)カディロフ首相は、バサエフ司令官に2004年5月に殺害されたカディロフ・チェチェン大統領の息子。凶暴な性格との定評。
(注3)チェチェンのほか、これに隣接するイングーシやダゲスタンには、中央アジアなどロシア国外のイスラム過激派が浸透し、現状に不満を持つ地元住民を巻き込んで、これらカフカス地域で断続的に破壊活動を行っているとされる。

 ところで、チェチェン情勢は一応安定化の方向に向かいつつあるが、ロシアをめぐるテロ情勢という点に目を転ずれば、それはむしろ複雑化しているようにみえることに、注意する必要がある。イングーシやダゲスタンではなお破壊活動の芽が摘まれていないとみられること、6月に在イラクのロシア大使館員4人が「イラク・イスラム戦士評議会」を名乗る現地の武装勢力に拉致・殺害されたこと(注4)、旧ソ連構成国であるモルドヴァとグルジアで武力を伴う民族紛争が今も続いていること(注5)などは、念頭に置かれてよい。

(注4)「イラク・イスラム戦士評議会」は、4人を拉致後、チェチェンからのロシア軍の撤退などを求めていた。4人を殺害したとの同評議会の声明には、「ロシア政府による殺害と拷問に直面する兄弟・姉妹の心をなだめるため、ロシアの外交官4人に神の裁きを下す」旨の言及があった。
(注5)モルドヴァでは、ドニエストル川沿いのロシア系住民が「沿ドニエストル共和国」を名乗り独立運動を展開している。他方、グルジアでは、オセチア人の自治州である南オセチア自治州が「南オセチア共和国」を名乗りロシアへの加入を主張している。いずれの紛争でも、これまでに武力衝突あるいはテロとみられる事件が発生している。

 プーチン大統領が「テロの脅威」を強調し、「テロとの戦い」に積極的に取り組んでいるのは、こうした情勢を念頭に置いてのものであろう。ロシアでは、テロリストに選挙された航空機の撃墜の容認を含む所謂「テロ対策法」が3月に発効しているが、その後も、6月に最高裁判所が「イスラム・ジハード-ジャマート・ムジャヒディン」と「ジュンド・アッシャーム-大シリア軍」の二つのイスラム過激派グループを新たに活動禁止とした(注6)ほか、7月にはテロ対策のため特殊部隊を国外に派遣することを認める法案(注7)が上院で採択されている。こうした動きを「プーチン政権の強権性の発露」と捉える向きもあろう。しかし、程度の問題こそあれ、はたして力に訴えずして「テロと戦う」ことが実際に可能であろうか。

(注6)最高裁判所は、2003年に「アル・カイダ」、「アスバト・アル・アンサール」など15団体を活動禁止としている。
(注7)6月にイラクのロシア大使館員4人が現地の武装勢力に殺害されたことを契機に、「国際テロとの戦いのため特殊部隊の国外での活動に道を開くべき」との議論が高まっていた。