コラム

ASEAN憲章の制定とその意義

2008-02-25
湯澤 武(研究員)
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昨年11月に開催された第13回東南アジア諸国連合(ASEAN)首脳会議において、「ASEAN憲章」が採択された。ASEAN憲章とは、2015年に創設が予定されている「ASEAN共同体」の基本法となるものであり、ASEANの伝統的な組織原則や規範を成文化したものである。2007年1月の第12回ASEAN首脳会議で、加盟国の閣僚経験者らで構成された「賢人グループ」が憲章草案に関する提言レポートを発表して以来、ASEANの憲章草案作成への取り組みは本格化したわけであるが、その作業は困難を伴った。賢人グループの提言は、憲章規定に対する加盟国のコミットメントを確実にするために、いわゆる「ASEAN Way」とよばれるASEANの伝統的な組織原則からの脱却を訴えた画期的なものであった。しかしながら当該提言は、その大胆さが故に一部のASEAN加盟国から激しい反発を招いていたため、その実現性には多くの識者から疑問符が付けられていた。今回の首脳会議で明らかになった憲章の内容は、大方の予想通り賢人グループの提言を忠実に反映したものにはならなかった。はたして憲章の制定はASEANにとって共同体構築への重要な一歩となったのであろうか。

憲章草案の作成過程で最も調整が難航した点は、賢人グループが提言した「コンセンサスによる意思決定」「内政不干渉」といったASEANの二大原則の見直しをどのように扱うかであった。賢人グループの提言リポートは、安全保障や外交政策以外の分野の問題については多数決(3分の2か4分の3)による意思決定方式の導入を主張した。また内政不干渉に関しては、国境を越える問題など緊密な域内協力が必要とされる分野においては内政不干渉原則の緩和と「制裁制度」の導入を提案することで不干渉原則からの脱皮を図った。具体的には、ASEAN事務局が、憲章規定を加盟国が履行しているかどうかを監視し、もし重大な違反があった場合、違反国の権利や特権の一時停止、最悪の場合には除名処分が科されるというものであった。制裁制度の導入は、憲章規定に違反した場合はたとえそれが国内問題に関わること(例えば人権侵害、民主化運動の弾圧など)であっても制裁が加えられるという点において、事実上内政不干渉原則の見直しにつながるというものであった。

しかしながらこれら賢人グループの重要な提言は、憲章の中に明確に盛り込まれなかった。例えば憲章は、「コンセンサスによる意思決定」をASEANの基本原則として定め、コンセンサスが得られない場合の対応については「首脳会議で対処方法を決める」といった曖昧な表現にとどめた。また、憲章を違反した加盟国への対応についても「首脳会議で決定する」と明記するにとどまった。賢人グループの上記提言は、その発表当初からミャンマー、ラオス、ベトナムといった新加盟国から強い反発を受けていたため、憲章草案の作成を目的として2007年1月に立ち上げられた「ASEAN高級作業部会」は、早い段階においてこれら提言の憲章への導入を諦めたようである。賢人グループの提言の中ではASEANの二大原則の見直し以外に特別に議論の対象になるものはなかったが、実現化した提言の中で目立ったものといえば、首脳会議の年2回開催、ASEAN 常設代表の設置、人権機関の創設くらいであった。特に人権機関の設立は、ASEANが域内の人権問題を本格的に取り扱う意思表示であるとされ、メディアからの注目も集めたが、憲章の中ではその具体的な役割や機能については「ASEAN外相会議で決定する」という以外特に言及がなかった。

ASEAN憲章の制定は、共同体構築への重要な一歩と呼ぶに値するものなのであろうか。ASEANにとって憲章制定の目的とは、単にASEANに法人格を付与するということではなく、不干渉原則や意思決定方式を改め、それらを成文化することによって「共同体」構築へ向けたASEANの実行力と組織としての信頼性を高めることにあった。これまでASEANは、合意はしても実行しない組織として多くの域外国から批判されてきたが、今回、憲章に規定順守を担保する制度を盛り込むことに失敗したことは、このような批判を助長することにつながってしまったようである。なぜならば、法令順守強制措置がないASEAN憲章は単に既存の規範や原則を成文化したに過ぎず、内容的にはこれまでASEANが合意してきた拘束力のない宣言や条約と殆ど変わりがないものといえるからである。例えばASEAN憲章の原則と目的には、「民主主義」「法の支配」「人権と基本的自由の促進と擁護」という言葉が盛り込まれた。しかし、果たしてミャンマーをはじめとする国内に民主化や人権問題を抱える加盟国が、そのような規定を自主的に遵守していくのであろうか。また、ASEANは規定違反国に対して批判以上の何らかの具体的な制裁処置をとることができるのであろうか。このような点については、識者の間で早くも疑問の声が上がっている。事実、ASEAN憲章を採択した首脳会議ではミャンマーのデモ弾圧問題についても議論が行われたが、その席においてミャンマーが東アジアサミットで予定されていたガンバリ国連特使によるミャンマー情勢報告に対して「内政干渉」を理由に強烈な異議を唱えたため、特使の報告が土壇場で中止されるなど、憲章の信頼性は早くも揺らいでいる。

しかしながらこれらのことは、憲章の制定が単なるASEANの外部からの批判に対する政治的パフォーマンスであるということを意味するものではない。憲章を巡るASEAN内の対立は、ASEANの組織改革を真に希求する勢力が確実に拡大していることを示唆している。これまでASEANは、ミャンマーの人権問題、1997年の通貨危機、東ティモール騒乱といった域内の問題に対して効果的な策を講じることができなかった度に国際社会の批判にさらされてきたが、その失敗の主な原因「ASEAN Way」にあるとされてきた。そのような批判に対して長い間ASEAN諸国は、半ば意地になってASEAN Wayを欧米にはないASEAN独自のやり方であるとして正当化してきた。しかしながら、地域協力の「推進力」としてのASEANの存在感が薄れる中で、多くの加盟国がASEAN Wayの欠点を公に認め始めるようになった。ASEAN Wayに対する批判は、90年代後半からASEAN内の知識人達や一部の加盟国政府から徐々に出始めるようになったが、現在に至っては賢人グループの提言レポートが示すように公式レベルでもその是非が問われるようになった。ASEANの二大原則の見直しに対するミャンマー、ラオス、ベトナムといった新加盟国の抵抗は、それら諸国の政治体制が変わらない限り今後も続くであろうことを考えると、ASEANの組織改革が今後数年のうちに成し遂げられることはないであろうし、また2015年に創設予定の「ASEAN共同体」にしても中身のない器に終わる可能性もある。しかし、変化の芽は徐々に育ってきている。憲章を制定することによって組織改革を成し遂げようとする賢人グループの試みは、残念ながら抵抗勢力の反対により期待通りには進まなかった。しかし、これによってASEANの試みが終わったわけではない。憲章の制定は、ASEANの組織改革の試みの始まりという意味において、共同体構築への一歩になったといえる。域外国はASEANの組織改革への動きが潰れないよう側面的に支援し、共同体への道のりを長い目で見守っていく必要がある。