コラム

カンボジア地雷処理:住民参加型平和構築の最前線(1)

2009-03-23
下谷内奈緒(研究員)
  • twitter
  • Facebook


非政府組織(NGO)と各国政府の協力により1997年に成立した対人地雷禁止条約(オタワ条約)は、締約国に対して対人地雷の使用、貯蔵、生産、移譲等の全面的禁止と貯蔵地雷の4年以内の廃棄を求めるとともに、領土内に埋蔵されているすべての対人地雷を10年以内に除去することを義務付けている。条約成立後いち早く署名し、2000年1月に締約国となったカンボジアは、来年1月にその期限を迎える。しかし30年にわたる戦争と内戦の間に大量の地雷が敷設されたカンボジアでは、地雷汚染総面積のうち少なくとも半分以上の土地が地雷処理が手付かずのまま残されていると推定されており(2) 、同国政府は現在、埋設地雷除去期限の10年延長を申請すべく、準備を進めている。その際に重視されているのは地雷処理を開発と平和構築に繋げる視点であり、なかでも最小の行政単位である村レベルから地雷処理とその後の土地利用計画を起案していくプロセス作りに力が注がれている。




カンボジア北西部のタイ国境沿いに位置するバッタンバン州カムリエン郡タサエン・コミューン(3)。この地域一帯は、カンボジア内戦が泥沼化した1980年代に政府軍に追い詰められた親中共産勢力クメール・ルージュ(ポル・ポト派)が最後の防衛作戦を展開した場所であり、ポル・ポト派と政府軍の双方によって仕掛けられた大量の地雷が眠っている。村民の多くは元ポル・ポト兵であり、政府軍に敗れて一時はタイに逃れていたが後に帰還してジャングルであったこの地を切り開いて住み着いた。生活は貧しく、一世帯あたりの平均年収は700ドルから800ドル程度だという(4)



埋設されている地雷は、カンボジアが大国間の複雑な覇権争いに組み込まれた歴史を反映して旧ソ連製と中国製が大半だが、ベトナム製も発見されている(政府軍は旧ソ連の、ポル・ポト派は中国の支援を受けていた)。ゲリラ戦の特徴として通常戦争では防衛目的で使われる地雷が攻撃目的としても使用されたため、対人地雷と対戦車地雷が不規則に入り乱れていたり、一箇所に複数の地雷がまとめて埋められている例も多く、ただでさえ手間の掛かる地雷処理をさらに困難にしている。




カンボジアの地雷原は2002年にカナダ政府の支援で完成した全国調査(Level One Survey)と、その後にNGO等の各機関が金属探知機等を用いて行った詳細な調査により、ほぼ特定されている。地雷除去が行われていない危険区域にはどくろマークのついた赤い立て看板が立てられ、立ち入りに注意が促されている。しかし、人口の70%以上が農業に従事する農業国カンボジアの地方では畑仕事のほかに生活を支えるすべがないところが多く、地雷があると知りつつ農民が農作業を行う結果、発生する事故がたえない。タサエンも例外ではなく、1998年から2007年の10年間に計58件の事故が起き、このうち生活のため不用意に地雷原に入った例が60%を占める(5)



この村で2006年より、自衛官OBを主体とする日本のNGO(地雷処理を支援する会: JMAS)がカンボジア政府の地雷除去機関(Cambodian
Mine Action Center: CMAC)と協力して、住民参加型地雷処理を支援している。これは通常、専門家に任されている地雷処理を村民自らが担うことで、雇用を生み出すと同時に、地域開発におけるオーナーシップ意識の向上を図ろうというものである。地雷探知員には地雷被害者の寡婦や最貧の土地未保有者など社会的弱者が優先的に雇用され、採用された村民はCMACのトレーニングセンターで6週間の専門訓練を受ける。現在、3個小隊、計99名の村民が暑い日には40度を越す炎天下の下、地雷探知機を使った手動の地雷処理に携わっている。月給はUS$105だ(6)



処理すべき地雷原の優先順位付けとその後の土地利用は、毎年、州に設けられた専門機関(Mine Action Planning Unit: MAPU)の調整の下、村民のニーズを汲み上げたボトムアップ方式で決定されている。そのプロセスはおおよそ以下の通りである。

1. コミューン会議で村民が優先して処理すべき地雷原とその後の土地利用を討議
2. 郡の関係各部長、NGO、MAPU、CMACが参加する郡のワークショップで、村民のニーズとドナー側の意向を考慮して、処理すべき地雷原を特定
3. MAPUとCMACが対象となる地雷原を視察
4. 州の地雷処理委員会(Provincial Mine Action Committee: PMAC )が国レベルの計画とすり合わせて最終的な地雷処理計画を決定

こうしてタサエンでは、地雷除去後の土地に井戸(計68基)が掘られ、小学校(2校)と中学校(1校)が建てられた。中学校に続く2㎞の道路も作られた。しかし大切なのはハードだけではなく住民自らが村の復興を担っていく意識を育てることだと、現地に駐在するJMASの地雷処理専門家で元自衛官の高山良二氏は言う。高山氏は1992年から1993年にかけてカンボジアPKOに人事責任者として参加し、以来、カンボジアに特別な思いを抱き続けてきたと言う。かつてはポル・ポト派のPR係をしていたという村の統括責任者であるSok
Vinn氏も「村長や指導者の能力向上」を最大の課題として、住民参加型地雷処理に積極的に協力している。



オタワ条約発効後、国連を中心に地雷政策の体系化が進み、犠牲者削減と被害者支援を中心とした人道的観点に加えて、地雷処理の社会経済的効果が強調されるようになった。背景には、敷設された地雷が土地の有効利用を制限し、引いては国家の経済成長を阻害しているとの考えがある。地雷処理を国家の開発計画に位置付け、貧困対策と結びつけて住民参加を促すカンボジアの試みも、この流れに沿ったものである。共同体ベースの地雷処理企画立案プロセスは、2005年にカンボジア全20州のうち地雷被害が深刻な5州で導入され、その後3州が追加されて現在、計8州で行われている(7)。このうちタサエンのあるバッタンバン州を含む計3州で村民が地雷の処理をも行う住民参加型地雷処理が行われてきた(8)



日本の支援により地雷処理機械の開発と導入も進められているが、対戦車地雷が敷設されている地域では使用できないため、今でもカンボジアの地雷処理の大半は手動によって行われている。「貧しい地域で村民が自己流の地雷処理を行うケースは続くだろう。そうした村民をきちんと訓練すると同時に、機械の研究開発を強化していけば、あと10年で残存地雷を限りなくゼロに近づけることが出来る」。かつて政府軍の軍人として歩兵部隊の訓練をしていたというCMAC計画運用部長のOum
Sang Onn氏は言う。地雷処理は、血で血を洗う戦いを繰り広げたカンボジアの元兵士たちが心を一つにして取り組むことの出来る戦後復興プロジェクトでもある。



1. 本コラムは平和構築と資源管理に関する日米共同プロジェクト"Strengthening Post-Conflict Security
and Diplomacy: Integrating Natural Resource Management and Infrastructure
Redevelopment into US and Japanese Peacebuilding Initiatives"(主催:米国Environmental
Law Institute、日本グローバルインフラストラクチャー財団、東京大学、国際交流基金日米センター)の事例研究として、筆者が2009年2月から3月にかけてカンボジアで行ったフィールドリサーチに基づくものである。

2. カナダ政府の支援により2002年に完成した全国調査(Level One Survey)は、カンボジアの国土の約2.5% にあたる4,466km2が地雷に汚染されていると特定したが、その後地雷処理に携わるNGO等が金属探知機等を用いて詳細な調査を行った結果、安全と判断された土地も多く、正確な地雷汚染面積は不明である。なお、カンボジアの地雷対策監督機関であるCambodian
Mine Action and Victim Assistance Authority (CMAA)は1992年から2008年11月までの間に地雷処理が完了した総面積を計477km2と報告しており、このことからも地雷処理の困難さが伺える。

3. コミューンは複数の村の集合体を表すカンボジアの行政単位で、タサエン・コミューンは6つの村から構成されている。
4. 2009年2月28日、タサエンでの高山良二氏とのインタビュー。
5. 2009年2月27日、タサエンでの高山良二氏とのインタビュー。
6. このうち退職準備金としてUS$30、CMAC互助金としてUS$3が差し引かれ、手取りは月額US$72。
7. 2008年2月24日、プノンペンのMinistry of Land Management, Urban Planning & Construction
内で行ったLMAP CanadaのKan Vibol氏とのインタビュー。
8. CMAC, “Integrated Work Plan 2008,” p25.