コラム

世界金融危機とロシア経済(1)雇用への影響

2009-08-04
道上真有(研究員)
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最近の日ロ関係は、5月12-13日のプーチン首相の来日、7月9日伊ラクイラ・サミットにおける日露首脳会談と立て続けにトップレベルの動きがあった。北方領土問題には大きな進展は見られなかったものの、メドヴェージェフ大統領とは、アジア太平洋地域における安全保障問題について専門家による議論を開始することで合意した。経済面ではプーチン首相来日時に、2012年ウラジオストクAPEC準備に関するインフラ開発のほか、エネルギー、省エネ、運輸分野等で互恵的な経済協力を推進していくことで一致した。様々なチャンネルを通じた日露関係の今後の一層の発展を期待したい。本稿では、その一助となることを目標に、ロシア経済の現状について金融危機の影響を軸に論じることとする。今回は特に雇用面に現れた影響を捉える。

2008年に6.4%であったロシアの失業率は、危機の影響を受け2009年に入り急激に悪化し、2009年第1四半期で9.4%と上昇し、2009年1-5月期には平均で9.7%に達している。2009年2月には2006年以来で最大の710万人(ILO基準)の失業者数を記録した。2009年5月には失業者数は若干減少し650万人となったものの依然としてその数は多く、雇用面への深刻な危機の影響がうかがえる。更に深刻であるのは、失業率や失業者数といった数字の裏に潜む「賃金未払」の存在である。図1は2007年1月から2009年7月までの賃金未払残高と賃金が支払われない労働者数の推移を示している。賃金未払残高は2008年11月ごろから急増し始め、2009年6月には2007年以来最大の約87.8億ルーブル(約2.8億ドル)の未払残高を記録した。2009年7月1日現在の賃金未払残高は前月よりも18%下がり約72億ルーブル(約2.3億ドル)となったが、それでも2008年の30億ルーブル弱の水準よりは2倍以上の残高である。賃金が支払われない労働者の数は、2008年は年間を通じて20万人前後のレベルにまで減少していたが、同年11月から増加し始め、12月の急増を季節調整として割り引いて考慮しても、2009年代前半に急激に増加に転じ、50万人前後で推移するようになったことが明らかである。現在は、2009年3月の54万0839人をピークに、2009年7月に40万人を切り39万3157人となったが、今後未払残高の動きと賃金未払いに見舞われる労働者の数が再び増加に転じるか、引き続き減少し続けるか、注視する必要がある。



    図1


ロシアにおける賃金未払いとは、企業に雇用され、勤労しているにもかかわらず賃金が労働者に支払われずに雇用され続けることを意味している。ロシア政府は2009年6月に予算案を修正し、総額4兆3654億ルーブル(約1400億ドル)の危機対策プログラムを発表した。危機対策プログラムの中で雇用対策予算として、地方の雇用対策に437億ルーブル(約14億ドル)、2009年の失業保険給付の増額分298億ルーブル(最小で1ヵ月850ルーブル(約27ドル)から最大4900ルーブル(約158ドル)への増額)が連邦予算から配分された。しかし、この雇用対策が2009年4月の前月比マイナス8.4%の失業者数の低下や、2009年7月の賃金未払い残高および未払い労働者数の減少に寄与したのかどうかは判然としない。ロシア統計局(Rosstat)によると、賃金の未払いを累積させている企業の96.4%が、賃金未払いの原因は自己資金の不足が原因であると答えており、ロシアの企業業績の悪化と資金不足の水準が底を打ったとはまだ考えにくい。

アジア諸国の経済悪化が2009年2月ごろにはだいたい底を打ったとする観測(太平洋経済協力会議(PECC)第18回ワシントン総会、2009年5月12-13日)がある一方で、ロシアの実物経済の低迷はまだ続いている。2009年の第1四半期のロシアのGDPは、前年同期比より9.8%減少し、2009年1-5月期のGDP成長率はさらに悪化しマイナス10.1%と予測されている(世界銀行2009年6月)。2009年第1四半期の工業生産は、前年同期比14.3%減少し、第2四半期にはさらに悪化し15.4%減少している。製造業部門はさらに悪く今年第1四半期で前年同期比20.8%の減少、第2四半期で同21.6%の減少となり、危機の国内産業へのマイナスの影響が深まっている。このような深刻な危機の影響が、最近の企業の賃金未払い残高の増大に影響していると考えられる。

他方でGDPや工業生産の低下に比べて、失業率の上昇がそれほど大きくないのがロシアの特徴である。ロシアの労働市場研究の専門家カペリュシニコフとギンペルソン(Kapelyushnikov and Gimpelson, 2009)による企業800社に対する調査によると、60%の企業が雇用を危機以前の水準で維持し続けている。その理由は、危機の際には政府の支援にかかわらず、自発的に労使双方が労働時間の短縮、賃金引下げ、時には賃金未払いといったオプションを同時に多様に組み合わせて対応しているからであるとの結論を発表した。雇用削減のオプションのほかに、雇用を維持するために時短、賃下げ、未払いという複数のオプションを組み合わせることで雇用調整を行う企業が60%も存在するのである。このようなロシアの雇用調整は、日本の「隠れ失業」の存在としてクローズアップされる日本政府の雇用調整助成金を原資とした一時帰休等の雇用調整とは異なる。あくまでも時短、賃下げ、未払いの負担は労使双方が負担する自発的な雇用調整であるところにロシアの特徴があり、1990年代にも実施され、企業にとっては久しく慣れ親しんだ雇用調整手段である。このような雇用調整方法が、大量失業の発生を防ぎ、失業と雇用の長期的な並存状況を生み出しているのである。さらにはこのような雇用調整の存在が、ロシア政府の雇用対策の効果を推し量ることを難しくさせているのである。


多くのロシア企業が今後も労働市場が悪化するとの予測の下で、4つのオプションの組み合わせを選択し続けているという。このことは他方で、カペリュシニコフとギンペルソンの言葉を借りると「人々はひっそりと職を失い、総じて皆が以前より貧しくなっている」状況を作りだしている。この状況は、ロシア全体の個人消費をさらに冷え込ませ、内需の回復をより難しくさせるであろう。内需の回復には、雇用の側面のみならず、最近のロシア産Urals原油価格の上昇(2009年1月2日、1バレル=34.20ドルから2009年7月3日、1バレル=67.83ドル)による輸出収入の増大や、為替レートの水準如何で輸入代替効果が生じる可能性や、国内資金循環が整備された場合の効果など、勘案しなければならない要素がいくつかあるが、いずれの経路をとるにせよ、内需の落ち込みがひそかに深刻になればなるほど、回復にかかる時間も長くなることには変わりないと考えられる。




<参考文献>


外務省HP各国地域情勢ロシア(http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/russia/index.html)



田畑伸一郎「ロシア経済:油価高騰による高成長の終焉」『国際問題』No.580(2009年4月)26~35ページ。



The World Bank in Russia, Russian Economic Report, June 2009, No.19



Rosstat(Federal’naya sluzhba gosdal’stvennoi statistiki ロシア国家統計局, http://www.gks.ru/



Rostislav Kapelyushnikov and Vladimir Gimpelson, “Reaktsiya na krizis: Bezrabotitsa na budushee”, Vedomosti, 15 July 2009, No.129 (2399) (http://www.vedomosti.ru)



Russian Government, “Programma antikrizisnykh mer Pravitel’stva Rossiyskoi Federatsii na 2009 god.” 19 June 2009
(http://www.government.ru/content/governmentactivity/antikrizismeriprf/)




Energy Information Administration, Official Energy Statistics from the U.S. Government (http://www.eia.doe.gov/)



太平洋経済協力会議(PECC)( http://www.jiia.or.jp/pecc/)