コラム

「群体性事件」と中国政治体制の「弾力性」

2012-02-23
角崎信也(日本国際問題研究所研究員)
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はじめに

中東・北アフリカのアラブ世界で広まった大規模な反政府運動、いわゆる「アラブの春」からすでに約一年が経過し、運動が長期独裁政権の崩壊を帰結させたチュニジア、エジプト、リビア、イエメンの各国では体制の再構築が進みつつある。一連の動きを「民主化」と定義づけるためには今後の推移を比較的長いスパンで見守る必要があるが、一般の民衆による突発的な集合行為がもたらす政治的インパクトの大きさを(とりわけ非民主主義国家の権力者たちに)強く印象付けるものであった。

当時、こうした体制崩壊の波が、長期間にわたって共産党一党独裁体制を続けている中国にも波及するのではといった議論がメディアで盛んに行われた。たしかにそのころ、チュニジアの「ジャスミン革命」に触発された運動家や若者たちが、「茉莉花革命」の足掛かりとすべく北京の中心地等において集会を行なうことをツイッター等を通してたびたび呼びかけていた。だがそれから約一年を経た現在に至っても、中国における共産党一党独裁体制は厳然として維持されており、内外の体制転換論ないし体制崩壊論はすでに鳴りを潜めているように見える。

むろんこのことは、先の「烏坎事件」(拙稿:『「群体性事件」の発生メカニズム』を参照)が象徴するように、政府機関を対象とした民衆による集合行為のすべてが未然に防止されているということを意味するのではない。現代中国において違法性の明らかな集合行為(いわゆる「群体性事件」)はむしろ日常的に発生しており、その件数は2005年の段階で年間約8万7000件に達し、現在も引き続き増加傾向にある (1)

だが多くの識者がすでに指摘しているように、中国の場合こうした集合行為事件の頻発は体制崩壊の兆候を示しているとはいえない。というよりは、現代中国において社会的不安定(集合行為の頻発)と体制的安定は「共在(coexist)」 (2)している。このことは、中国政治体制の安定性は、集合行為そのものを防止し抑圧する能力よりも、集合行為の発生にもかかわらずそれを体制そのものの安定性に直結させない構造的な「耐久性」ないし「弾力性(resiliency)」に由来することを示唆している。

もしそうであるとすれば、中国の政治体制構造はいかにしてそうした「弾力性」を発揮し得ているのだろうか?以下ではこの問題について、中国の権威主義体制に顕著にみられる二つの特徴に着目し、これに関連する先行研究の紹介を兼ねつつ議論してみたい。


1.分権的権威主義体制(Decentralized Authoritarianism (3)

権威主義国家とは通常、中央集権的ないし独裁的性格を含意するものである。民衆による突発的な集合行為に対する体制の耐久性という観点から見れば、こうした集権性が持つ意味は両義的である。集権的権威主義国家におけるリーダーは、決定し、執行した政策に起因して発生した「不満を抑圧することはできるがその責任を回避することができない」 (4)。タロー(Sydney Tarrow)が述べるようにこのことは「反体制派に奇妙な利点を提供する。つまり、ひとたびシステムが弱体化すれば、統一された舞台と集中的な攻撃目標が提供されるということになる」 (5)からである。アラブ諸国において大衆運動が体制崩壊へと一気につながったのは、多くの権威主義体制が内包するそうした「集権性」ゆえの「脆弱性」と無関係ではなかろう (6)

だが中国の場合、集合行為を起こす民衆の不満は中央には向けられていない。事実として「群体性事件」は、もっぱら村、郷鎮といった基層レベルや県レベルの政府ないし幹部を標的としたものであり、かつそれは中央や省の上級政府に対する一定の信頼および介入の期待を前提に実施されている (7)。つまり中国は明らかに、この権威主義体制の「脆弱性」の問題を回避し得ている。

このことを説明する上でカギとなるのは、中国の権威主義体制が構造的に有している「分権的」性格である。かつて中兼和津次は、中国の政治体制を「緩い集権制」と定義した。中央の発した指令を末端まで正確にいきわたらせ、同時に末端からの報告を正確に中央まで届かせるための制度が整えられているソ連の「きつい集権制」に対し、中国においてはそうした制度化が不徹底であるというのがその議論の骨子である (8)。こうした制度化の不十分が招く一つの結果は、政治運営の機能性を左右する要件として人的な要素が非常に重要になるということである。言い換えれば、政策の執行とその結果についての責任の多くは、幹部個人の能力や性格に帰着されることになるということである (9)

シュー(Vivienne Shue)は、中国の政治過程において、トップリーダーによって決定される政策は、その伝達過程において各層の地方幹部により様々に解釈され、実質的な変更が加えられることを指摘している (10)。中央が決定する大略的な方針を具体化し、執行していくに際して地方幹部が相当の裁量権(解釈権)を有しているということが (11)、多くの研究者が指摘する中国政治の基本的な構造である。集権と分権という言葉を用いて言い換えれば、政策(方針)決定過程において中央のトップリーダーは排他的であり、その意味で集権的であるが、政策執行過程においては解釈権と選択権の幅が大きいという意味で分権的であるといえる。

こうした構造が体制の「弾力性」をもたらすのは、「集権的な国家は、集合行為者を政治システムの頂点へと引きつけるのに対して、分権的な国家は、政治システムのふもとに多数の標的を提供する」 (12)という特性による。ツァイ(Yongshun Cai)は、「群体性事件」に対し地方が暴力的抑圧を加えた場合でも、それが体制そのもの正統性を減少させない理由を以下のように説明している。

「地方政府が相当程度の権力と裁量権を持つがゆえに、不平不満を抱く市民たちに対する地方政府の姿勢には多様性が存在しうる。そうした多様性は政治体制に対する市民の不満を減少させるだろう(すなわち、市民たちは問題の原因を地方政府の責任に帰するだろう)」 (13)

このようにして分権的構造は、大衆の不満を多数の基層幹部に分散させることによって中央や体制そのものから逸らし、また問題を地域的なものに狭小化し、集合行為を個別的なものに分断することを可能にしている。中国政治体制が有する「弾力性」は第一にこの点に見出すことができよう。


2.抗争的権威主義体制(Contentious Authoritarianism (14)

一般的に言って、権威主義国家において民衆の抗議活動は法的に禁止されており、それを行おうとする者は当局による厳しい監視と抑圧にさらされることになる。だが「権威主義的な国家が社会運動を抑圧するのに対し、代表制国家は社会運動を促進する」 (15)といったような、権威主義と民主主義の定義上の違いは中国にはあてはまりそうにない。中国の民衆は、直近の政府ないし幹部に対し「抵抗」するための能力を中華人民共和国史を通して(そしておそらく王朝期を含め中国史全体を通して)一貫して持ち続けており、それは毛沢東時期においては「大衆運動」ないし「階級闘争」という形で発揮されていたからである (16)。言い換えれば、中国の政治体制は、こと基層領域に関していえば、政府と民衆との間の「抗争的(contentious)」空間を常に開放してきたということである。そして、少なくとも構造的にみた場合、そうした「抗争的」空間は、権威主義体制の最大の弱点を軽減する上で極めて重要な作用を発揮してきたといえる。

ここでいう権威主義体制の「弱点」とは、民衆の利害表出(インプット)経路を制限しているために、政策の対象となる社会の状況を十分かつ適時に認識することが難しくなるという点である。この結果生み出される社会的状況と乖離した非合理的な政策の連続は、ときに不作や飢饉などの大きな災厄を発生させ (17)、体制や政権の正統性を大幅に減少させる帰結を招いてきた。

だが不合理な政策執行が積み重ねられるという危険性は、基層レベルにおいて民衆が政策執行に対し抵抗するための能力を備えることによって、大幅に軽減される。基層レベルとは国家機構と社会の結節点に位置する、社会に対し実際に政策を執行する行政階層である。換言すれば、権威主義体制下における上意下達式の政策と地域社会の利害が正面から衝突する場である。この基層レベルにおいて民衆と政府の間の「抗争的」空間が開かれている場合それは、トップリーダーたちの脳内で決定された多分に理想的な政策の圧力が社会を破壊してしまわないためのいわば「緩衝材」としての作用を発揮しうる。

中国における権威主義体制の安定は、建国当初よりこうした「抗争的」空間と共在関係にあったといえるが (18)、1950年代後半に入ってこの空間は一度封殺される。「大躍進」期において政治システムは完全に硬直化し、非合理な政策が積み重ねられた結果4500万人とも言われる餓死者を出した (19)。だがこの挫折を受けて、民衆の基層幹部に対する「抵抗力」はむしろ強化された形で再生されることになる。大躍進後に展開された「大衆運動」の多くはとりわけ基層幹部を激しい批判の対象とするものであり、この結果として基層の権力基盤は動揺し、その政策執行能力は大いに弱体化することになる (20)。この当時農村幹部は「サンドイッチ幹部」と揶揄されたが、この言葉は、上級からの命令を執行し幹部としての責務を果たさねばならない一方で、強制的な政策執行を行えば「大衆運動」において批判にさらされることになるという基層幹部の苦境を表していた (21)。これらのことが示唆するのは、基層領域において「抗争的」空間が開けているということは中国政治においてむしろ常態であり、それは一貫して体制崩壊ではなく体制維持のシステムの中に組み込まれてきたということである。

現在の「群体性事件」もこうした文脈上に位置づけることが可能である。すなわち、「群体性事件」という形で発揮される民衆の基層幹部に対する抵抗能力は、地域に破壊的な帰結を招く政策執行を難しくすることによって、政治システムの硬直化を防止している。これと同時に、中央にとって「群体性事件」や「上訪」(陳情)は、民衆の最も大きな不満の源泉についての情報提供(インプット)経路としても作用する (22)。ペリー(Elizabeth J. Perry)の言うように、「選挙や大衆の利害を伝達するための他の民主的なチャンネルを欠いている中で、中国における抗議は、上級の政治的権威に対し差し迫った大衆の関心についての価値ある情報を提供している」 (23)

こうした観点から言えば、上述した「分権的」構造下で標的が分散化、極小化されている限りにおいて、「群体性事件」を民衆が起こしえないほど監視と抑圧が行き届いた状況よりも、「抗争的」空間が基層領域で一定程度開放されている状況の方が、体制全体の安定にとっては有利であると言い得る。


おわりに

以上、いくつかの先行研究の成果の紹介を兼ねつつ、中国の権威主義体制が有する「弾力性」をその体制構造的特徴の観点から説明してきた。
「弾力性」を構成する体制構造的特徴の一つは「分権性」である。中国は権威主義国家であるが政策執行過程において分権的であり、それゆえに民衆の不満はまず直近の基層幹部に向けられる。もう一つは「抗争性」である。中国は非自由主義的・抑圧的側面を有しているが基層領域における民衆の抵抗行動には許容的であり、それによって権威主義が陥りがちな政治システムの硬直化を緩和している。「分権的」構造下において「抗争的」空間が一定範囲で開放されているということが、中国政治体制のもつ「弾力性」の根源である。そうした「弾力性」が維持される限りにおいて「群体性事件」等を原因として発生する社会的不安定は体制的安定を脅かすとは考えにくく、むしろ両者の「共在」関係が続くと考えられるのである (24)

ただし共産党中央にとりこの「共在」関係のバランスを保っていくことは容易ではない。毛沢東時期の「大衆運動」と「群体性事件」との間の決定的違いは、後者は党による「動員」によって発動されるものではないということである。こうした自発的な集合行為は性質上、体制側の対応が妥協的であるほどに増加する。タローが言うように、「エリートや当局に挑戦することによって、『先導者』たちは敵の弱点を暴き、もっと弱い人たちにも攻撃できるようにする」 (25)からである。すなわち少なくとも理論的に言えば、中央は「群体性事件」に柔軟な態度を示すほどに、その数量が不断に増加し続けるというジレンマに直面せざるを得ない。事件の数量的増加が体制の許容範囲を超え、中央が事件を通じて表出される民衆の利害表出に応えきれなくなったとき、中央に対する民衆の信頼は失われ、体制は危機に陥ることになる。

インターネット利用者がますます拡大していることへの対処も中央にとって大きな課題となっている。現在民衆の起こす集合行為は分権的構造下において個別的、分散的なものにとどまっているが、それは、散発する運動が互いに連携し合うことのないよう中央が講じてきたメディア・言論統制手段が功を奏してきたからでもある。だがインターネットの普及は、運動を互いに連結させることで反体制的なパワーに昇華させようとする活動家にとり有利な環境を提供している。

したがって共産党が現体制を長期的に安定させようとするならば、「社会管理」を末端まで徹底させることで集合行為化する以前に民衆の不満を緩和し、かつミニブログ(「微博」)における実名登録制等インターネット規制を強化することで集合行為が相互に連携することを効果的に防止していくことが不可欠となる。これらの試みが奏功するかどうかが、体制の長期的安定を占う上での一つの指標となるだろう。


(1) 「不断提高正確処理人民内部矛盾的能力和水平」『人民日報』2011年2月23日。

(2) Yongshun Cai, “Power Structure and Regime Resilience: Contentious Politics in China,” British Journal of Political Science, Vol. 38, No. 3 (2008), p. 412.

(3) このコンセプトは、ランドリー(Pierre F. Landry)がその著書のタイトルに用いたものである。この本の最初の章で、財政的側面から見た場合中国における分権化の水準は連邦国家のそれに匹敵するという分析結果が示されている。Pierre F. Landry, Decentralized Authoritarianism in China: The Communist Party’s Control of Local Elites in the Post-Mao Era (New York: Cambridge University Press, 2008), p. 9.

(4) R. Kent Weaver, “The Politics of Blame Avoidance,” Journal of Public Policy, Vol. 6, No. 4 (1986), p. 390.

(5) シドニー・タロー『社会運動の力―集合行為の比較社会学』(大畑裕嗣監訳)、彩流社、2006年、148頁。

(6) タローは1989年以後中・東欧の社会主義国家が急激に崩壊した理由の一つとして、この「権力の集中」を挙げている。同上書、148頁。

(7) Andrew J. Nathan, “Authoritarian Resilience,” Journal of Democracy Vol. 14, No. 1 (2003). Elizabeth J. Perry, “Permanent Rebellion? Continuities and Discontinuities in Chinese Protest,” in Kevin J. O'Brien ed., Popular Protest in China (Cambridge: Harvard University Press, 2008) など。烏坎村の争議リーダーの一人は、「我々は地方幹部の腐敗と戦っただけで、党の統治に対抗しているつもりは全くない」と強調し、「党中央や省の指導者に直接声を届ける道を築けたことは、我が村の勝利だ」と話した(『朝日新聞』2011年12月22日)。むろんこうした発言には、争議を通して利益を得ようとする村民側の「戦略」的意図が含まれている。

(8) 中兼和津次「中国 社会主義経済制度の構造と展開」岩田昌征編『経済体制論 第Ⅳ巻 現代社会主義』東洋経済新報社、1979年、300頁。

(9) 同上論文、303-304頁。

(10) Vivienne Shue, The Reach of the State: Sketches of the Chinese Body Politic (Stanford: Stanford University Press, 1988).

(11) 天児慧『現代中国 移行期の政治社会』東京大学出版社、1998年、78頁。

(12) シドニー・タロー、前掲書、146頁。

(13) Cai, “Power Structure and Regime Resilience,” p. 430.

(14) これは、広範でかつ日常化した集合行為と強靱な体制が共在する権威主義体制を指す概念であり、チェン(Xi Chen)がその近著において最初に用いたものである。チェンはこの著書の結論部において、中国においては体制によって許容ないし促進されている民衆による抗議が非民主主義体制下における一種のインプット経路として機能し、最も不満の大きいグループの不満を軽減し得ているがゆえに、反体制的反乱や革命が発生しにくいことを論じている。Xi Chen, Social Protest and Contentious Authoritarianism in China (New York: Cambridge University Press, 2012), pp. 5-6, 189-212.

(15) シドニー・タロー、前掲書、145頁。

(16) Chen, Social Protest and Contentious Authoritarianism in China, p. 6を参照。このほか、とくに王朝期を含めた連続性についてはPerry, “Permanent Rebellion?,” を参照。

(17) James C. Scott, Seeing Like a State: How Certain Schemes to Improve the Human Condition Have Failed (New Haven and London: Yale University Press, 1998), p. 5.

(18) 上述の文脈と必ずしも同じではないが、建国初期における基層レベルの「抗争」空間と権威主義体制の「共在」関係について田原史起は以下のように論じている。「農村住民の利害表出経路は完全に抑圧ないしは無視されたのかといえばそうではなく、基層レベルの集落ないしは集落連合を舞台とするミクロ・ポリティクスを通じて大いに発散され、同レベルにおいて昇華されるべく『階級闘争』が展開されたのである。…こうして住民の利害表出の空間的範囲を狭いままに保ち、基層単位内部での問題解決システムが完備されてくればくるほど、県政治は末端社会とのリンクを模索する必要はなくなっていくのである」。田原史起『中国農村の権力構造―建国初期のエリート再編』御茶の水書房、2004年、261頁。

(19) 死者数についてはフランク・ディケーター『毛沢東の大飢饉』(中川治子訳)草思社、2011年を参照。

(20) 大躍進失敗を契機とした都市における大衆動員方式の転換については、金野純『中国社会と大衆動員―毛沢東時代の政治権力と民衆』御茶の水書房、2008年、結論部を参照。なお、こうした傾向は「文化大革命」において最もラディカルに表れることになるが、この文脈で注目すべきは、社会的大混乱と地方・基層政権の破綻にもかかわらずこの時期共産党一党独裁体制そのものは極めて安定的に維持されていたという点である。

(21) 『黒龍江省元人民公社員との面談記録(2)』アジア経済研究所、1979年、4、151頁。

(22) Cai, “Power Structure and Regime Resilience,” p. 430.

(23) Perry, “Permanent Rebellion?,” p. 214.

(24) 本コラムでは基本的に権威主義体制の一類型として中国の政治体制構造を位置づけてきたが、一方でそうした構造が王朝期中国の国家-社会関係の構図と明らかな近似性を有していることにも留意する必要があろう。

(25) シドニー・タロー、前掲書、140頁。