コラム

<平成24年度研究プロジェクト「2012年の北朝鮮」分析レポート>

金正恩政権の対米政策― 二年前の指針と「閏日合意」―

2012-07-02
倉田秀也(防衛大学校)
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※本コラムは、当研究所と韓国・外交安保研究所の共催で2012年6月14日に東京にて行われた日韓協議に際し作成したディスカッション・ペーパーである。


1. 小康状態の金正恩体制――「先軍」の継承と未完の「核抑止力」

金正日死去後約半年を経ても、その政治運営に金正恩特有の手法を指摘することは困難である。少なくとも手続的に権力を継承された金正恩政権下の北朝鮮は、金正日存命中との強い連続性によって運営されている。それは金正恩が金正日存命中から権力の中枢に位置していたからではなく、そうでなかったが故に、強い連続性がみられると解釈すべきである。これは金日成存命中の金正日と対比すれば、容易に理解されよう。振り返ってみて、金正日は冷戦終結後間もない1992年に朝鮮人民軍最高司令官に「推戴」され、その「胆力」で1993年3月のNPT脱退宣言も主導したという。存命中の金日成は人民軍における金正日の権力継承を優先し、金正日はNPT脱退宣言を契機に米国との2国間協議を実現させたことになる。金正日は冷戦終結を受けて、当時萌芽期にあった「先軍」の方向性を国内外に示しつつ、それを存命中の金日成の権威に組み込むことに成功したとみてもよい。

これに対して金正恩は、金正日存命中に新たな方向性を打ち出していたわけではない。金正日は2012年に「強盛大国の大門を開く」ことを自らに課して後継体制を築くことを考えたが、その直前に死去した。金正日の手によって開かれなかった「強盛大国の大門」は、金正恩自身の手によって開かれ、「強盛大国」の運営も金正恩に任せられることになった。以来、「先軍」の継承こそ、金正恩の権力の正統性と化している。金正日の葬儀と金正恩の朝鮮人民軍最高司令官への「推戴」を受けて発表された2012年元旦の共同社説は「先軍思想」の継承を謳い、「先軍の旗を高く掲げて国防力を全面で強化しなければならない」と強調した。さらに、6者会談発足以降、2度にわたる核実験を経て盛んに喧伝された「核抑止力」については、金正日の下で北朝鮮は「すでに堂々たる核保有国」になったとした上で、「核抑止力は何ものにも代えがたい革命遺産である」と報じていた(2012年1月5日、祖国平和統一委員会書記局)。「核抑止力」なるものは、「先軍」の対外的発露たる「先軍」外交の産物と位置づけられ、その放棄は「先軍」の放棄に等しい。管見の限り、北朝鮮で「先軍」に代わる統治理念、外交理念は見当たらない。

そもそも、「先軍」とは、冷戦終結に伴い体制危機に直面した北朝鮮が、ルーマニアのように、軍が人民側の体制不満を吸収してチャウセスクを銃殺したことによる危機意識を発端とする。金日成死去後、金正日は「先軍」の名の下に、北朝鮮国内で軍を最も恵まれたセクターとしつつ、政治権力と不離一体の存在に位置づけた。金正恩が「先軍」を標榜する限り、軍人の既得権益を奪うような政治改革を断行することは困難であり続けよう。また、金正日の下でそれまで政治改革を峻拒してきた北朝鮮が、近年のミャンマーのように、その必要性に直面しているとも考えにくい。また、金正日を「永遠の総書記」、「永遠の国防委員長」として「推戴」し、その権威に浴して権力を継承した金正恩が、「北朝鮮のゴルバチョフ」になることも予見しうる将来ありえない。

確かに、手続き的には金正恩への権力継承がほぼ完了したとはいえ、その政治権力は金正恩に「人格化」されているとはいい難く、朝鮮末期の「勢道政治」のような権力闘争を懸念する声もないわけではない。しかし、それが直ちに金正恩政権の不安定化を意味するものではない。朝鮮末期に遡ったとして、「勢道政治」が経験不足で暗愚な国王であってもその地位を脅かすことはなかった。金正日の葬儀(永訣式)の際、霊柩車を左右から先導した7名の党・軍・政府の幹部を中心となって利害の調整が行われるであろう。朝鮮労働党代表者会で崔竜海が党政治局常務委員に選出されるなど、やや変則的な人事もみられるが、党代表者会を開催して中央委員会政治局と中央軍事委員会を正常化する意図をみることもできる。党の権威を回復しつつ、金正日の実妹の金慶喜とその夫である張成沢が中心となって血縁原理で凝結した集団が利害の調整を行うものと考えられる。


現時点で、党・軍・政府の幹部に「先軍」を否定する者はなく、「先軍」を象徴する指導者としての金正恩を集団的に輔弼しつつ、利害を調整する体制の輪郭が生まれつつある。後述するように、党・政府における金正恩への権力継承を演出するミサイル発射は失敗に終わったが、北朝鮮は金正日死去直後の当面の危機を乗り切った。そうであるからこそ、北朝鮮は現時点で小康を得ようとしているとみてよい。金日成死去直後、金正日がクリントン政権の米国と米朝「枠組み合意」を交わしたように、金正恩政権の北朝鮮も対米関係を安定化させようとしているであろうし、それは可能と考えているであろう。

この文脈から、金正日存命中の北朝鮮が「先軍」を掲げながら、米国に対して平和協定締結を呼びかけていた事実は看過されるべきではない。北朝鮮にとって対米関係が事実上の軍事停戦状態にあり、しかも米国を中心とする国際社会から数々の経済制裁を受けている状態で、「強盛大国」の建設は困難と考えられていたのであろう。したがって、「先軍」が対外的に発露するとき、軍が先頭に立って米国に平和協定を求めることもありえる。振り返ってみても、「強盛大国」建設のスローガンが掲げられる以前から、軍は外交部(当時)が提唱した米朝平和協定を実現するために、軍事停戦機構を意図的に解体し、板門店における米朝間の排他的軍事接触の機関として、朝鮮人民軍板門店代表部を設置していた。

しかし他方、金正日が「先軍」の下で残した「核抑止力」は完成された状態で金正恩に譲り渡されたわけではない。北朝鮮の「核抑止力」なるものが米国に向けてである以上、米本土を核攻撃できる能力を持たない限り完成することはないが、北朝鮮の核兵器能力は2度の核実験を経て信頼性を向上させたものの、09年4月に発射された「テポドン-II」(改良型)の射程でも米本土を直接脅かすことはできない。金正恩は期せずして「核抑止力」を完成に近づける課題を金正日から託された形となっている。金正恩の北朝鮮が「先軍」を対外的に発露させるとき、平和協定を含む対米関係の改善を求めつつ、「核抑止力」の向上を図ることは、矛盾するものとは考えられていない。

2. ウラン型核開発と米朝平和協定― 二年前の指針

北朝鮮がいう「核抑止力」向上の手法は、すでに金正日存命中に示されていたと考えるべきである。2010年4月、オバマが「核態勢の見直し」(NPR)で新たな米国の核兵器政策の指針を公表した時、北朝鮮外務省代弁人は4月9日、「米国の核の脅威が継続する限り、われわれはこれからも抑止力として各種の核兵器を必要なだけ増やし、現代化する」と述べていた。ここで言及された「各種」の核兵器とは、それまでのプルトニウム型に加え、ウラン型も含むと解釈される。その前年の2009年6月、北朝鮮はそれまで6者会談等の公式の場では否定し続けていたウラン濃縮の事実を認め、それが平和利用目的であることを強調していたが、イランの例をみても明らかなように、米国に平和利用としてのウラン濃縮を認めさせた上で、核兵器開発の余地を残そうとしている。そもそも、北朝鮮の天然ウラン埋蔵量は推定約2600万トン(内採掘可能量約400万トン)であり、現在世界一のオーストラリアを凌駕する。今日に至る核危機の発端がウラン濃縮疑惑であり、現在寧辺のプルトニウム関連施設がほぼ無能力化されて再稼働が困難な状態にあることを考えるとき、北朝鮮が当初からウランによる核兵器開発を考え、寧辺のプルトニウム関連施設がほぼその使命を終えた後、ウランによる核兵器計画に具体的に着手するのは、むしろ自然というべきかもしれない。

加えて、同年4月21日、北朝鮮外務省が発表した備忘録「朝鮮半島と核」は、不法に核兵器を保有した北朝鮮が「非核国家に対して核兵器を使用したり、核兵器で威嚇したりしない」として、核兵器国の規範である消極的安全保証(NSA)を逆利用しつつ、「核保有」の抑止効果によって「朝鮮半島での戦争勃発の危険は顕著に縮小された」として、それを正当化していた。しかも興味深いことに、この備忘録は「朝鮮半島の非核化」自体を否定していたわけではなかった。ただし、そのためには米朝間には「信頼醸成」が必要とし、「平和協定が早く締結されるほど非核化に必要な信頼が速やかに醸成されるであろう」と述べていた。すでに北朝鮮は同年1月11日の外務省声明(「1・11平和提案」)以来、米朝平和協定の締結のための平和攻勢を展開していたが、同年3月末の韓国海軍哨戒艦「天安」の撃沈にみられるように、同じ目的を追求すべく軍事攻勢にも訴えていた。同年11月の延坪島砲撃も同様の意図をもつ軍事攻勢であったとすれば、北朝鮮は「核保有」の既成事実化を背景に、平和攻勢と軍事攻勢を交互に繰り返していたことになる。

しかもその間、軍事停戦協定記念日(7月27日)を前後して、北朝鮮外務省代弁人は「核抑止力をより多角的に強化」すると宣言し(2010年7月24日)、当時の金英春人民武力相もまた、「米国の加重する脅威に対処するため新たに発展した方法で核抑止力を一層強化する」と述べていた(2010年7月26日、「祖国解放戦争勝利57周年慶祝中央報告大会」)。「核抑止力」につけられた「多角的」、「新たに発展した方法」という修飾語が示唆しているように、北朝鮮はここで、自ら濃縮ウランによる核兵器開発計画の存在を示唆していた。また、これらの発言が軍事停戦協定記念日に合わせて行われたことをみても、北朝鮮はウランによる核開発とともに米朝平和協定を対米関係改善の機動力に位置づけていたとみてよい。


3. 「閏日合意」の再検討 ― ウラン型核実験の可能性

2012年2月29日に発表された「閏日合意(Leap Day Agreement)」は、金正日存命中から継続していた米朝協議の一応の到達点であると同時に、金正日死去後も対米関係改善の手法が金正日存命中と強い連続性をもっていることを示していた。「閏日合意」は署名文書ではなく、米朝双方が合意事項を別々に発表する形式をとっていたが、双方の発表文を突き合わせてみると、そこで米国が24万トンに及ぶ栄養食品を提供し、追加的な食糧支援も約束したのに対して、北朝鮮が長距離ミサイル発射、核実験実施、寧辺でのウラン濃縮活動の「一時停止」について国際原子力機関(IAEA)の監視を受け入れることには概ね合意をみたようである。北朝鮮はここで、それまでの寧辺のプルトニウム関連施設に代わってウラン濃縮活動を対米関係改善の梃子と位置づけたことになる。他方、「天安」号撃沈、延坪島砲撃のような軍事停戦協定違反を繰り返して緊張を意図的に高めてきた北朝鮮であったが、この合意では曖昧に「平和協定」としか言及されていないものの、北朝鮮はそれが締結されるまで「停戦協定が朝鮮半島の平和と安定の基礎」となることを認めており、軍事停戦協定の「遵守」の延長線上に米朝平和協定を位置づけていた。

もとより、「閏日合意」は署名文書でなかったが故に、合意についての齟齬があることは当初から指摘されていた。そして、北朝鮮が「光明星3号」とする「人工衛星」運搬ロケット「銀河3」の打ち上げは「一時停止」された長距離ミサイル発射にあたらないと主張したのに対して、それを事実上の弾道ミサイル発射実験とした米国との間で齟齬が決定的になったのは周知の通りである。北朝鮮は「人工衛星」運搬ロケット「銀河3」打ち上げと称して、米本土への最短の飛翔ルートとなる極軌道に沿った弾道ミサイルの発射を試みたのであろう。それは「先軍」外交を継承する意志を象徴しつつ、党と政府における金正恩への権力継承を演出するものと考えられたが、金正恩の朝鮮労働党第1書記、国防委員会第1委員長の就任に合わせた「銀河3」の打ち上げは失敗に終わった。弾道ミサイル開発が「先軍」を対外的に誇示する支柱の一つであり、「先軍」が金正日の掲げたスローガンであったことを想起すると、その発射実験が失敗したことは皮肉という他ない。

ところがその間、北朝鮮が「銀河3」を発射するとした宇宙空間技術委員会代弁人の談話文発表と同じ日付で、IAEA事務局長宛てにIAEA要員の招請状が送られていたことには応分の注意が払われてよい。北朝鮮は「人工衛星」運搬ロケット打ち上げは「閏日合意」に違反しないとしつつ、自らも米国との合意を遵守する意志を示していたことになる。報じられている通り、外務省が金正日存命中から、「人工衛星」の打ち上げの意志を米国側に伝えた上でこの合意を纏めたとすれば、外務省もまた、この合意にある「長距離ミサイル」に「銀河3」は該当しないと強弁できると考えたことになる。また、外務省と軍の間で「閏日合意」について大きな内部対立であったとも考えにくい。実際、「閏日合意」を遡る2月2日、国防委員会政策局が李明博政権に向けて明らかにした公開質問状には、以下のような件があった――「朝鮮半島の緊張を緩和し、平和体制樹立を目標にわれわれがすでに始めている朝米最高位級軍部接触を各方面から妨害しているのは他ならぬ李明博逆徒である」――。ここでいう「最高位級軍部接触」が何を指すか、そう呼ばれるべき接触が実際にあるかも不明であるが、この文書から軍もまた米朝平和協定を望んでいたことは明らかであり、平和協定に言及された「閏日合意」に否定的だったとは考えにくい。上述の通り、軍が先頭に立って米国に平和協定を求めることは、「先軍」とは矛盾しない。もとより、北朝鮮も米国が「銀河3」の打ち上げに反発することは予期していたであろうが、北朝鮮は――外務省であれ軍であれ――「人工衛星」打ち上げと称して弾道ミサイル発射を行う一方、栄養支援も受けつつ平和協定締結に向けて米朝関係が進展することは不可能ではないと考えていたであろう。とりわけ、北朝鮮は「閏日合意」が長距離ミサイル発射だけでなく、核実験の実施も「一時停止」の対象にしている以上、米国はこの合意を容易に破棄できないと考えたに違いない。

現在、米朝双方が「閏日合意」の破棄を明確にしていない状態にあるが、米国がその姿勢を明確にすれば、北朝鮮はウラン濃縮を公然と行うであろうし、すでに2010年の時点で示唆されたウラン型核兵器の開発のために、濃縮ウランを用いた初めての核実験を準備するかもしれない。また、「閏日合意」にみられるように、北朝鮮の認識において米朝平和協定と「核抑止力」が相互に排他的ではないとすれば、核実験でさらに向上した「核抑止力」を背景に再び米朝平和協定を求めて平和攻勢を仕掛けてくるかもしれない。あるいは、先に指摘した通り、北朝鮮にとって平和攻勢と軍事攻勢が共通の目的をもち、2010年の「天安」撃沈と延坪島砲撃が北朝鮮の「核保有」の既成事実化を背景としていたのであれば、北朝鮮がNLLの「虚構性」を訴え、米国を平和協定に誘導すべく軍事攻勢を仕掛けることもありえるとみなければならない。