コラム

平成24年度研究プロジェクト「北極のガバナンスと日本の外交戦略」分析ペーパー
北極のガバナンス:多国間制度の現状と課題

2012-09-03
池島大策(早稲田大学 教授)
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1 はじめに
北極におけるガバナンスの現状を理解するには、まず背景として北極の地理的特殊性、関係諸国、これまでの経緯などを把握しておく必要がある。関連する法的枠組みとして、北極評議会(Arctic Council: AC)の枠組みおよび関連法制、国連海洋法条約(UNCLOS)を始めとした海洋法、地域的枠組みや関係諸国の国内法制がある。ガバナンスの視点から、これらの法制に現在つきつけられた優先的な課題としては、環境・生態系の視点と経済的・商業的視点をいかにバランスよく法制に反映させていくかがある。

2 法的枠組み
(1)北極評議会(AC)
1996年のオタワ宣言により設立されたACは、メンバーとして5つの沿岸国(カナダ、デンマーク(グリーンランド)、ノルウェー、ロシアおよび米国)と3つの非沿岸国(フィンランド、アイスランドおよびスウェーデン)に加えて、6つの常任構成員たる先住民族らと、3つの部類のオブザーバーで構成される。ACの目的は「持続可能な開発と環境保護」の問題を扱うことにあり、「軍事安全保障に関する事項を扱うべきではない」との立場が堅持されている。ACは、概ね隔年で開かれる閣僚会合などを通じて、上記8か国のコンセンサスによる意思決定で実務運営が行われる政治的フォーラムという性格が強く、そもそも常設の国際組織を志向してはいない。運営の根拠となるのは宣言、勧告、計画、指針等のソフトローであり、これまでも主に環境保護関連の科学調査に関してモニタリングやアセスメントのルール作りが行われている。オブザーバーの地位はこれまでに常任として欧州の6か国(仏、独、蘭、ポーランド、西、英)に付与されているが、中国、イタリア、日本、韓国、シンガポールおよびECからの申請の扱いが今後どうなるかにより、ACの姿勢として拡大する方向へ行くのか、または現状維持なのかがガバナンスの方向性として見えてくることになる。2008年のイルリサット宣言では、「北極海の統治のための新たな包括的国際法レジームを発展させる必要はない」ことが上記の5つの沿岸国のみにより確認されたことから、UNCLOS関連規定の国内的実施・適用ではたして十分か、また他の北極3か国や常任オブザーバー抜きの宣言がAC全体の意思を反映したものかなどの批判もある。当初より厳格な法的レジームの欠如は関係当事国の意図したところとはいえ、新たな個別的または包括的な法制度が今後いかに形成されていくかが国際社会でも注視されている。その意味で、2011年に締結された捜索救助条約は、AC主導で採択された最初の多数国間合意(条約)であり、こうした条約が今後も増加するか否かがガバナンス上の争点である。

(2)海洋法
北極(海域)の地理的・法的特殊性により、海域をめぐる海洋法制の在り方も国によって異なっている部分が少なくない。氷の存在により沿岸部分への基線の引き方の違いから、通常基線を採用する米国以外の北極4沿岸国は直線基線を採用している。夏と冬の海洋状況が違い、アイスランドやノルウェーのように沿岸が凍らない国もあり、沿岸部分の都市の態様や分布状況が欧州側と北米側ではかなり異なっている。一般に、適用のある海洋法は、UNCLOS並びに1994年の第XI部実施協定および95年の国連公海漁業協定のほかに、慣習法や、IMOガイドラインなどのソフトローである。しかし、沿岸周辺での国家実行(たとえば、ノルウェーの直線基線)や、歴史的水域・権原の問題(カナダとロシアによるセクター原則の主張やそれに基づく海域画定)が存在することから、現行海洋法の適用を支持する米国(UNCLOS非締約国)の立場などと必ずしも相容れない状況にある。安全保障上は、北極海での航行の自由を強く主張する米国に対して、自国の沿岸における管轄権の行使を主張する他の沿岸国との間で意見の相違が根深く存在する。北極の5沿岸国は、いずれも排他的経済水域(EEZ)を設定し、大陸棚の延長を想定して各種行動をとっており、関係当事国間での境界画定合意が済んでいないケースがまだある。依然として大半が氷に覆われている北極海はUNCLOS123条でいう半閉鎖海にあたると考えられ、海洋環境の保護・海洋調査のための国際協力を行うことも沿岸国の努力義務の一つとなっている。他方、北極海がUNCLOS234条に規定された「氷に覆われた水域」に該当するため、沿岸国による一方的行為としての措置が、航行と海洋環境の保護・保全に対する「妥当な考慮」という枠づけとのバランスの上で許容されている。この関連で、たとえば、ロシア沿岸を通航する北極海航路について、ロシアが航行する船舶に対して課している「通航料」なるものは、UNCLOS26条に照らせば「領海の通航のみを理由とする」課徴金とは解し得ず、ロシアの砕氷船の利用や水先案内人の乗船などにともなう「特定の役務の対価」としての課徴金であり、同234条にも規定された氷の存在から航行に障害や特別の危険を予防し、海洋環境の保護のためにとられる沿岸国の措置の一環と解する余地があるといわれている。

(3)南極条約体制からの示唆
南極との対比でいうと、大陸である南極には、極地であること、気象的・自然環境的に類似した状況であることがよく指摘されてきた。その中で、一定の緊張状態を経験した後、国際地球観測年などの科学協力を望む国際的な気運の中で南極条約が締結され、それが南極条約体制というガバナンスのためのレジームとして有効に機能してきた。7つのクレイマント国と5つのノンクレイマント国との間に、領土権争いの凍結、平和的利用・非核化、科学調査・研究の国際的協力などを基本原則として、南緯60度以南の区域(氷だなを含む)を中心とした法的レジームを構築することに合意がなされた。この条約は、冷戦下に、国際化を模索する米国のイニシアティブの下、現状維持の法的枠組みとして作られながらも、それ以降の資源開発の進展(生物資源から鉱物資源へ)や環境保護の国際的な動きにも機敏に対応し、条約体制として各種の条約や法規範を拡充・発展してきている。こうした展開は、条約体制の内部的な調整と外部的な調整の成果であり、北極のガバナンスのあり方に少なからざる示唆を将来的に与えるものと考えられよう。

3 北極における新たな課題
北極におけるガバナンスにとって現行法規のみで対処できるのか否かが、大きな課題となっている。組織立っていない二国間条約が散在し、調和を欠いた各国国内法制などが蓄積している現状で、北極海の氷の融解、新規エネルギー開発、北極航路の開拓・開発に伴う、他国による航行・漁業への進出が増加すれば、環境保護や航行の安全のためにさらなる一体的海洋管理が必要となるであろう。その意味で、昨年締結された捜索・救助条約は、ACの枠組みの中で採択された初の条約として意義のあるものであり(UNCLOS98条(2)における捜索・救助の際の沿岸国の協力義務参照)、今後はACと捜索・救助条約の定期締約国会合との関係などがガバンナンスの在り方を占う試金石にもなりうる。とはいえ、よりしっかりした包括的な法的枠組みへとACが進むのか、または新たにそうしたレジームが作られるのかを見通すことは、容易ではない。その課題として、主権にかかわる争点の扱い、資源管理・配分の仕方、新レジームの適用や加盟国の範囲、紛争解決手続の明確化、今後付加されていくであろう各種議定書などの内容などがあげられる。ただし、AC内部において組織的な拡充発展に対して温度差があり、資源・航路開発志向か、環境保護志向かについての加盟国間の思惑と各国国内事情なども慎重に見極める必要がある。

4 おわりに
北極におけるより良いガバナンスのためにまず必要となるのは、既存の枠組みの可能性と限界を客観的に様々な角度から検討することである。そのうえで、以下のカギとなる要素をより重点的に各国が確認しておくべきことが肝要である。一つは、正統性の問題である。北極を有効に統治するうえでたとえばACが国際社会において正統なレジームとして機能しており、妥当な法的根拠に基づく統治活動を行っていることを対世的に説明できるか否かが問われている。次に、越境的性格を有する争点に関して、たとえば環境や生態系の保護と経済的利益の増進とをどのようにバランスよく整合性のとれた秩序を構築できるかである。さらには、ACでは扱われない安全保障上の問題への対処をどうするかは軽視されるべきではない。資源大国としてのロシアが存在感を増し、北大西洋条約機構(NATO)や北欧諸国と米加との関係などに加えて、中国の海洋進出が活発化する今日、北極海での安全保障と関係国の防衛上の観点は、さらに検討が迫られているといえよう。

最後に、日本の今後の位置付けは、実績作りと関与の如何によるところが大きいと考えられる。常任オブザーバーの地位を得ることでガバナンスへの影響力を維持し、枠組み作りでも貢献をすればするほど、北極の将来から得られる利益はそれに比例しうるものと考えられる。最近、中国が自国砕氷船を北極海に航行させたり、北欧諸国との外交関係や交流を促進したりしている事情にかんがみ、日本としても一定の存在感ある外交を展開し、民間における進出をより一層後押しするような施策をとることが望まれている。特に、日本の得意な科学調査・研究や環境保護分野における貢献や国際協力においては、一層の関与も期待できよう。経済的・商業的な利益や見返りは、これらの流れの中で、戦略的にも位置づけられるものというべきである。