コラム

米国大統領候補者間テレビ討論会の誕生 [2]

2012-10-18
松本明日香(日本国際問題研究所研究員)
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 (米国大統領候補者間テレビ討論会の誕生[1]はこちら)

2 大統領候補者間テレビ討論会の中断
ようやく開催にこぎつけた大統領討論会であったが、継続的に実施されるまでの過程は波乱に満ちていた。1960年テレビ討論会が世論に大きな影響を与えたのち、批評家のリップマン(Walter Lipman)はその人気から「今後どのような大統領候補者でも対立候補と対峙することは(テレビ討論会などで)避けられないだろう」と予測する一方で、アイゼンハワーの大統領報道官ハガティ(James Hagerty)はニクソン副大統領の失敗から「将来、現職大統領はそのような討論会や合同出演にもはやかかわらないだろう」と述べた (1)

就任後のケネディ大統領は1964年大統領選挙でも討論会を行うと宣言し、FCC315項を棚上げする立法自体を提案していたが、1963年に死去することで、テレビ討論会はその後16年間もの中断を余儀なくされた (2)。ケネディの死去を受けてジョンソン副大統領(Lyndon B. Johnson)が大統領に昇格し、1964年ジョンソン大統領vs. 共和党ゴールドウォーター候補(Barry Morris Goldwater)が選挙戦に臨むも、ジョンソン大統領の支持率は対立候補者ゴールドウォーターを大幅にリードしているため、ジョンソン大統領には大統領討論会実施の強い動機もなく、ヴェトナム戦争に関する外交機密を理由にテレビ討論会は実施しないまま史上稀にみる大差で再任した (3)。このとき上院の民主党が特に、テレビ討論会を行うためのFCC315項の棚上げを見送らせた (4)

ついで、1968年に、かつて1960年の初めてのテレビ討論会で「失敗した」と言われるニクソン共和党候補は前副大統領である民主党ハンフリー候補(Hubert Humphrey, Jr.)と戦うも、テレビ討論会を実施せずに当選する。このときは、逆に民主党下院は315項をいったん棚上げするよう訴えたが、上院の共和党が議事妨害を警告したため、議決の場に上らなかった (5)。さらに、1972年のニクソン大統領再選期においても、テレビ討論会は実施されなかった。このとき、ニクソンは315項の棚上げを含む選挙財政改革包括法案(campaign finance reform package)に拒否権を発動している (6)

3 大統領候補者間テレビ討論会の再開、1976年
1960年にテレビを用いた大統領討論会は成立したものの、一度休止されていたが、1976年に再開された。このとき大統領討論会の復活をもたらしたものは、またしても政治への不信であり、さらには新聞メディアに先を越されたテレビメディアの名誉挽回であった。というのは、大統領選挙におけるニクソン陣営による盗聴を新聞記者らが告発したものがきっかけとなってウォーターゲイト事件が1972年から1974年にかけてスキャンダルとして世間を席巻したが、1973年7月には、ニクソンの公聴会は全米でテレビ報道されることとなったのだった。

ウォーターゲイト事件が招いたニクソン批判も、メディアを通した世論形成がひとつの大きな原因となった (7)。ニクソン自身も世論調査を重視し、「人々の支持獲得争い」、「最後のキャンペーン」とみなして批判への対応に取り組んだ。選挙盗聴疑惑に関する批判はニクソンの当選前から始まっていたものの、1972年選挙戦自体にはあまり影響はなかった。またニクソンの選挙での勝利と共に一旦は報道も減っていった。

しかし、事件の調査が進むにつれて、メディアと議会と世論においてニクソンに対する批判的なアジェンダが設定されていった (8)。当初ウォーターゲイト事件は選挙戦における「党派的な問題」とみなされていた。民主党はこの見方を政権の腐敗と位置づけようとしたが、うまくいっていなかった。やがて、「ウォーターゲイト事件」がメディアによって「ウォーターゲイト犯罪」や「ウォーターゲイト盗聴」というような批判的な表現を用いて、詳細に語られる中でフレーミングされていった。ウォーターゲイト事件は、1973年には「知る権利」対「行政特権」という争点に組み込まれていったのだった。スピーチや公聴会だけではなく様々な報道を経て、ニクソン辞任への世論が形成されていったといえよう (9)

ウォーターゲイト事件により、1974年7月ニクソン大統領が辞任し、フォード副大統領が大統領に昇格した。フォード新大統領に国家の傷を癒す期待が集まり、支持率が一気に高まるも、 1974年8月フォード大統領によるニクソン恩赦によって、支持率は再び急降下した。一方で1976年大統領選挙において民主党大統領候補者のカーター(James Carter Jr.)は低支持率であったフォードをリードしていたが、「ジミーって誰?(Jimmy, who?)」と言われるなど全国的には知名度が低かったので、カーターにとってもテレビでの大統領討論会は知名度を上げるチャンスであった。そしてウォーターゲイトの反動から国民が「知る権利」を掲げる中、フォード大統領がテレビ上で「アメリカ人は我々の立ち位置を知る権利がある。」と「知る権利」への理解と、大統領討論会への前向きな姿勢を示すと、すぐさまカーターも同意を示したのだった (10)

1975年議会がFCCに、営利スポンサーなしの放映に限り通信法315項を免除するよう要求した (11)。それを受けて1976年に非営利団体として独立した女性有権者同盟(The League of Women’s Voters)が大統領討論会スポンサーになることで、通信法315項を免除されることとなった (12)。かくして、1976年にテレビ討論会が再開されたのだった (13)。女性有権者同盟は50州すべてに部局を持つ草の根市民団体であり、大統領討論会への参加を拒否することは現職候補にとっても命取りとなりえたこともあり、選挙のたびに繰り返し討論会は行われ、やがて定着し、スポンサーがCPDに変更後も4年に1度の大統領選挙のたびに毎回実施されてきている。

むすびに: テレビ討論会の役割とその後の展開
苦難の末1960年そして1976年以降継続されることとなった大統領討論会であるが、その意義とは果たしてどのようなものがあるのだろうか。第1に、大統領討論会自体の選挙へのインパクトは僅差の選挙において特に大きくなる。第二次世界大戦後そして特にねじれていた南部民主党の再編以降、米国大統領選挙においては有権者の分極化がすすみ、選挙戦が始まる以前に国民の大多数は二大政党のどちらにつくかを決めている。それゆえ、選挙戦において候補者たちは数少ない浮動票をめぐって争うことになる。もちろん年によっては本選挙前から有力だった候補者がそのまま当選する場合もあるし、特に近年では予備選挙に重点が置かれており、本選挙の討論会だけでなく、予備選挙の討論会が影響力を増してきている。

第2に大統領討論会には、特徴的な教育的効果と公的貢献がみられる。大統領討論会では選挙広告などとは異なり、二大政党の候補者を同時に見て、特に両者の論点についてその場で比較することができる。選挙戦では、「選択接触」と呼ばれるように有権者も自分の支持政党の報道のみ追う傾向が強くなるため、大統領討論は有権者に両政党の候補者を同時に見ることができる貴重な機会を提供しており、選挙報道の中で最大の教育的影響を持つとも指摘されている (14)。たとえば1996年の調査によると、選挙広告、選挙ニュース、党大会報道、討論会報道など各種選挙報道を比較しても、テレビ討論が有権者に最大の教育的影響を与えていると認識されている (15)。また、大統領討論会はアカデミー賞授賞式やスーパーボールと並ぶ視聴率の高さを誇る。2012年第1回討論会では、実施90分間に #debatesタグのつぶやきが1030万件を超えて、政治枠では過去最多となっている。

第3に、大統領討論会の形式は視聴者を審判とみなしたものであり、市民の大規模な間接的な政治参加ともみなせるだろう。しかしながら、高い視聴率を誇るからこその危険性も指摘できる。視聴者が大統領討論で語られることを常にすべて適切に解釈できるとはかぎらず、メディアと候補者の利害が一致する争点では影響を受けうるからである。

もちろん、大統領討論会のフォーマットは各種改善を求められている。たとえばファーラー(George Farah)は、大統領討論会の意義は認めつつも、大きく7つの複合的な問題を挙げている (16)。1) 開催スポンサーの適合性、2)スポンサーの敵対的買収、3)二大政党外の候補の排除、4)決まりきった構成、5) 討論参加者要件の支持率15%の壁、6)争点の除外、 7) テレビ討論運営の回復・改善の失敗である。このように多々改善の余地がありながらも、大統領討論会はBestではないにせよBetterな制度として米国社会に根付いている。

大統領討論会のアイディアはテレビと民主主義の波及と共に他国へも導入されていった。日本では1950年代後半に複数党首間のテレビ討論会が、1960年代前半より米国の大統領候補者討論会に触発された特別番組などが組まれたが 、1999年より英国の首相クエスチョン・タイムを導入して国会内で党首討論(国家基本政策委員会合同審査会)が、さらに米国の大統領候補者テレビ討論会を模した国政選挙に向けた党首討論会も2009年には日本で開催されるようになった (17)。2010年には英国で、本格的に選挙時の討論会も実施、フランスでも1974年より、韓国では1997年より大統領選挙時に討論会を導入している。米国大統領討論会を眺めた後に、我が国の党首討論会をチェックしてみるのはいかがだろうか (18)


(1) Walter Lippmann, “Today and Tomorrow: the TV Debate,” Washington Post, 29 September 1960, A23; Sig Michelson, From Whistle Stop to Sound Bite: Four Decades of Politics and Television (New York: Preager, 1989), 134; Alan Schroeder, Presidential Debate: Forty Years of High Risk TV (New York: Columbia University Press, 2000), 14.

(2) Schroeder, op. cit., 14; George Farah, No debate: How the Republican and Democratic Parties Secretly Control the Presidential Debate (New York: Seven Stories Press, 2004), 5.

(3) Farh, op. cit., 5; 岡部朗一『政治コミュニケーション―アメリカの説得構造を探る』(有斐閣選書、1992)、105-106。

(4) Farh, op. cit., 5

(5) Ibid.

(6) Ibid.

(7) Gladys Engel Lang and Kurt Lang “The Media and Watergate” IN Doris A. Graber ed. Media Power in Politics (Washington DC: CQ Press, 2000), 255-257.

(8) Ibid.

(9) なお、2005年には総合雑誌であるヴァニティ・フェア誌(VANITY FAIR)が、メディアに情報をリークしていたのがFBI元副長官であるフェルト(Mark Felt)であったと報道している。VANITY FAIR “I'm the Guy They Called Deep Throat”
http://www.vanityfair.com/politics/features/2005/07/deepthroat200507 リーク情報を掲載していたポスト誌(The Washington Post)もこれを認める一方で、AP(The Associated Press)はニクソンの妨害によって長官に就任できなかったフェルトとニクソンによる権力闘争であった可能性も指摘するなど、未だに不明な点が多いことは留意したい。The Associated Press, “W. Mark Felt, Watergate's Deep Throat, dies.”
http://www.msnbc.msn.com/id/28306346/ns/politics/t/w-mark-felt-watergates-deep-throat-dies/

(10) Schroeder, op. cit., 15.

(11) The Aspen Institute http://www.aspeninstitute.org/

(12) The League of Women Voters http://library.lwv.org/taxonomy/term/21 1976年、80年、84年、88年主催者。

(13) Farah, op. cit., 34-35.

(14) Sidney Kraus, Televised Presidential Debate and Public Policy (Mahwah: Lawrence Erlbaum Associates Publishers, 2000), 187; William L. Benoit, Communication in Political Campaigns (New York: Peter Lang, 2007), 76.

(15) Sidney Kraus, “First Debate, September 26, 1960,” In Sidney Kraus ed. The Great Debates; Kennedy vs. Nixon, 1960, Second edition, (Bloomington: Indiana University Press, 1977), 173-223; シドニー・クラウス『大いなる論争-ケネディ=ニクソン テレビ大討論』(NHK出版、1963)。メディア研究センター・ローパーセンターによると、1996年9月の電話アンケートで、1002人の選挙登録者に、選挙を学ぶことができるものを複数回答してもらった結果、最大の45%が大統領討論会と答えている。続いて新聞の選挙ニュースを読むこと(32%)、テレビニュースを観ること(30%)、新聞の社説を読むこと(23%)、ニュース雑誌の記事を読むこと(21%)と以下続く。

(16) Farah, op. cit., v, 173-175.

(17) 松本明日香「テレビ政治討論会のアーカイブズ―日・英・米を比較して―」『日本アーカイブズ学会』(於:学習院大学、2011年4月24日) 報告プロシーディングスより。

(18) 衆議院インターネットTV「会議名:国家基本政策委員会合同審査会(党首討論」http://www.shugiintv.go.jp/jp/index.php#library
「国家基本政策委員会合同審査会」を検索。

*当コラムは博士(政治学)学位請求論文(松本明日香『公開討論会と外交機密の相克―1960、76年米国大統領候補者テレビ討論会を事例として―』)の背景説明の一部を加筆修正したものである。