コラム

日本人とPKO

2001-10-01
山田 哲也
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日本は国連の平和維持活動(PKO)に人的貢献を行うべきか否か、また、憲法その他の国内法との整合性をいかに考えるか。この問題は、日本が国連に加盟する際から議論されていた点であり、すでに1958年にはレバノン国連監視団(UNOGIL)への自衛官派遣要請として現実の問題となっていた。しかし、「国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律(国際平和協力法、PKO法)」が制定され、制度上、自衛隊の派遣も含め、PKOへの協力が可能となったのは、湾岸戦争直後の、1992年6月のことであった。

その後、カンボジア、モザンビーク、ザイール、ゴラン高原、東ティモールなどに自衛隊員がこの法律に基づいて派遣されている。また、自衛隊員以外でも、文民警察官や選挙監視・管理要員としての文民が、PKO法に基づいて派遣されている。ただし、文民の派遣にあたっては、他の法律(外務省設置法など)を根拠とする場合もあることもあってか、「PKOへの日本の協力イコール自衛隊の参加問題」として捉えられることが依然として多い。そのこと自身は、日本の国内事情を考えればやむを得ない点もある。しかし、より重要なことは、日本人が国連PKOに対する十分な理解のうえで、日本の協力のあり方(派遣される要員の性質を問わず)が議論されているか、という点である。

ところで、去る9月11日に発生したアメリカ同時多発テロを受けて、日本がいかなる貢献をできるかが議論されている。その議論の過程では、早い段階から「湾岸戦争の際の轍を踏まない」という表現が用いられている。湾岸戦争の際、財政支援のみで人的貢献をしなかったことから、日本の「多額の」支援も国際社会では評価されなかったことを指しているのである。今回のアメリカ同時多発テロに対するアメリカの行動に対して、日本が具体的にどのような貢献をするのか、本稿を執筆している段階では最終的な結論は出ていない。しかし、報道を見る限り、自衛隊による貢献が可能か、可能な場合の範囲はどこまでか、ということが議論の中心になっている。今回のような前例のない事態に対して、日本としていかなる支援・貢献が可能かは、大いに議論されるべきであるし、可能な範囲での積極的な支援・貢献を行う必要はあるだろう。

そのような中で、PKO法成立の過程を紹介するテレビの背景に、偽装した陸上自衛隊員が匍匐前進する姿や、輸送機から降下する空挺団員の姿が映し出されたのを見たとき、日本のメディアがいまだに「PKOイコール戦争、あるいは戦場」というイメージから抜け出ていないのではないか、という気がした。PKOに参加する各国軍の歩兵部隊が匍匐前進したり、展開地へパラシュートで降下したりすることは、あり得ないわけではない。一時期、「平和執行型」と称された活動がソマリアなどに展開され、それはまさに「PKO部隊による戦闘」という、従来のPKOとはまったく異質の活動であった。しかし、ソマリアでの活動は、期待された任務を達成できなかったばかりか、現地の情勢を悪化させ、国連に対する信頼を傷つけることとなり、その後は同種のPKOは派遣されていない。その意味で「PKO部隊による戦闘」は過去のほんの一時期に、例外的に行われたものであり、また、そのようなPKOには、そもそもPKO法上、自衛隊の参加が認められていないのである。

日本の自衛隊のうち、どのような部隊がPKOに派遣されているか。カンボジアには停戦監視要員8名も派遣されたが、中心は300名の施設部隊要員であった。モザンビークの場合は司令部要員と輸送調整部隊、ゴラン高原についても司令部要員と輸送部隊である。擬装も匍匐前進もパラシュートも縁のない任務である。

にもかかわらず、PKOとの関連で「戦闘状態を前提とした訓練風景」の映像を流すことは、何か別の意図があるか、よほどPKOの実状を知らないか、のどちらかではないかという疑問が湧いてくる。もっともそのような映像とは無関係に、一般的な日本人にとっての、PKOとは、戦争と大差ないことなのかも知れない。大学の講義で、PKOについて詳細な説明をし、日本の貢献のあり方について学生の意見を求めたところ、社会人入学の学生から「親は戦場に送るために子供を育てているのではない」という発言があった。講義をした側の責任は脇に置くにせよ、PKOが戦争そのものとはまったく異なるものであることをイメージできない人に、前述のような映像を見せることは、ある種の「情報操作」でさえあり得る。

PKOや人道援助を必要としている国や地域が「安全」であるはずはない。根拠となる法律が何であれ、国際的な選挙監視団を必要としている国も、自分達だけで選挙を行えない事情があるから国際的な協力を求めているのである。その意味で、現地には一定のリスクが存在する。筆者は、3年前、ボスニア・ヘルツェゴヴィナに選挙管理要員として赴く機会を得たが、事前の研修で最初に学んだことは「選挙の方法」ではなく、「地雷から身を守る方法」であった。これらの活動に人的な貢献をするということは、「危険なところ」へ赴くことにほかならない。その危険な場所で業務を行いつつ、安全を確保するかは、派遣される要員の性質(自衛隊員であるか文民であるか)を問わず重要な問題である。

日頃、安全な環境に身を置いていると、PKOや選挙監視団が派遣されるような地域がどの程度安全か、あるいは、どの程度危険かについて、想像力を働かせることは難しい。筆者自身の経験では、事前に聞いていたよりも安全で平穏で、むしろ拍子抜けしたし、また、その逆もあり得る。少なくともPKOや選挙監視団について言えば、完全に安全な環境もなければ、完全に危険な環境ということもあり得ない。現地の情勢について正しい知識をもち、冷静な判断を下したうえで、どのような要員であれば派遣可能か、また、その要員のリスクを減らす方法は何かということを考えるしかないのである。

ところが、先ほど紹介したような映像、すなわち、PKO協力法に基づく自衛隊員の派遣を「擬装・匍匐前進・パラシュート」と組み合わせること、すなわち、PKOへの協力を戦争参加と同一視させるような映像は、PKOの本質から目をそらせ、「戦争反対」の感情(それ自身は正しいことであるが)の中にPKOを位置付けるという、一種の「思考停止」状態を作り出すことになる。そのことにより、憲法第9条に具現化された日本の「平和主義」と純粋な意味でのPKOとの関係、あるいは、そこへの日本の協力のあり方を考えるに際しての、冷静な議論の契機が奪われているような気がするのである。

これは単にマスメディアの責任ではない。これまでPKOに派遣された自衛隊員に対する国際的評価は高い(意外かも知れないが、一部の国の要員は派遣先で現地住民に対する「人権侵害」を起こし、かえってトラブルを巻き起こしていることもある)。彼らが現地でどのような任務を行い、それがどのように評価されているかを広報すること、また、それに基づいて今後の日本の協力のあり方を議論する契機を提供すること、それは派遣する側の責務でもある。アメリカ同時多発テロへの対応は、PKOへの協力のあり方とは別問題であることを十分認識したうえで、改めてPKOの実像と日本の協力のあり方を議論しなければ、可能な協力さえできなくなる日が来るのではないか。そのように思いながら、「偽装・匍匐前進・パラシュート」の映像を眺めていた。

(グローバルイッシューズ担当研究員)