コラム

ロシアが国家反テロ委員会を設置―加速するテロ対策強化の動き

2006-03-06
猪股 浩司
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最近、ロシアで、テロ対策の分野で注目すべき動きがあった。一つは「テロ対策の措置に関する大統領令」へのプーチン大統領の署名(2月15日)であり、もう一つは、「テロ対策に関する法律」の議会での可決(3月1日)である。早晩、「テロ対策に関する法律」はプーチン大統領の署名を得て発効し、それを受けて「テロ対策の措置に関する大統領令」も発効する見通しである。これにより、強大な権限を持つ新たなテロ対策機関「国家反テロ委員会」がロシアに設置されることになる。

「テロ対策の措置に関する大統領令」は、防諜機関である連邦保安庁(Federal Security Bureau。以下FSB)の長官を委員長として新たに国家反テロ委員会(National Anti-terror Commission。以下NAC)を設置すること、NACはテロ対策に関わる連邦及び地方の機関に対して命令を発すること、政府はNAC設置に伴って必要な予算その他の措置を講じること、などを規定している。NACの設置は、パトルシェフFSB長官の言葉を借りれば、「プーチン大統領は、テロ対策における具体的な行動を実現するために、整然とした垂直的機構が必要であるとの決定を下した。NAC委員長にFSB長官が任命されるということは、今後、テロ対策の全責任がFSBの肩にかかっていることを意味する」ものである(テロ対策関係機関の働きについてプーチン大統領は、かねてからFSBを評価する一方で、内務省を批判してきた。同大統領は2月17日、「内務省には犯罪隠蔽の慣習が残っている」、「国民からの信頼度に関し内務省は全国家機関の中で最低級である」などと指摘した)。

他方、「テロ対策に関する法律」は、NAC委員長(即ちFSB長官)がテロ対策の責任者として軍や内務省など関係機関の活動を調整すること、ハイジャックされた航空機の撃墜を認めること(ただしハイジャックの事実の確認には数段階が必要)、対テロ作戦遂行中の治安当局による通話盗聴や情報統制を容認すること、などを規定している。この法律は、多数の児童を含む300人以上が犠牲になった2004年8月の「ベスラン学校占拠事件」直後の同年12月に下院第一読会で可決されて以降(法案は下院で三回の読会を終えて上院に送付)、夜間外出時間帯導入規定の削除など多くの修正が加えられるなどして審議が遅れていたものである。それが2006年に入ってから、2月22日に下院第二読会を、同26日に下院第三読会を終え、3月1日に上院で採択されるほど審議が急に加速したのは、2月15日に「テロ対策の措置に関する大統領令」が署名されたことに関係する(冒頭に記した通り、「テロ対策の措置に関する大統領令」は、「テロ対策に関する法律」が発効した日をもって発効する)。

以上、要するに、「テロ対策の措置に関する大統領令」と「テロ対策に関する法律」により、FSBを頂点にテロ対策関係機関を統合したNACが組織され、NAC(事実上FSB)は反テロ作戦において軍の利用を含む強大な権限を行使できることとなるわけである。NAC設置が「権力機構の垂直化」と「テロとの不退転の戦い」というプーチン大統領の従前からの志向に沿うものであること、また、NAC設置の背景にテロ対策でのこれまでの取り組みが十分な成果を上げ得なかったとの認識があったことは、明らかである(プーチン大統領は2月17日、「過激派集団の行動は一層攻撃的になり、過激な手段が採られている。治安機関は、人種や宗教間の憎悪に起因するに犯罪急増の危険性を過小評価し、紛争を予防する効果的・体系的な活動ができなかった」旨指摘した)。また、とりわけこの時期にNAC設置が決定されたのは、今年7月にサンクトペテルブルグ・サミットが控えていることとも関係があるのかもしれない。

もっとも、NSC設置の意義を疑問視する見方も存在する。例えば、「軍は国防相の、内務機関は内務相指揮下の機関であり、いかにNAC委員長とはいえ、FSB長官がこれら機関をうまく指揮できるか疑問である」、「ロシアでは以前からテロ対策強化としていくつもの機構改革が行われてきたが、十分な成果が上がった例はなく、今回の改革もそれらと同じ結果に終わる」、「反テロ作戦の遂行が移動の自由などの制限を可能にしていることは、“非常事態宣言によらない事実上の非常事態の導入”につながりかねない」、「結局はFSBを強化するものであり、今後ロシアを支配するのがFSBであることが示唆されたに過ぎない」など。こうした立場に立てば、NAC設置は「形だけのテロ対策に過ぎず、それどころかテロ対策に名を借りた強権支配体制の強化ではないか」とも解釈され得よう。

しかし、NACが今後どういう肯定的あるいは否定的結果を生むかは、当然ながら今後の推移を見ていかなければ分からない。具体的な問題が発生していない現段階において必要以上に懸念材料ばかりを取り上げるのは建設的ではあるまい。例えば、基本的人権の制限は、テロの態様や国民世論など個々の事情によってその限度が判断されるべきで、西側先進国の一般的な尺度をもってロシアの取り組みを直ちに批判するのは至当ではないだろう。そうした意味から、問題点を念頭に置きつつも、幅広い視点に立って、今後のロシアのテロ対策の行方を見ていく必要があろう。その中には、良い意味でも悪い意味でも、参考になるものが含まれているはずである。