コラム

ホドルコフスキー・ユコス社最高経営責任者の逮捕から一年

2004-12-01
笠井 達彦(主任研究員)
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1. ロシア大手石油会社ユコス社最高経営責任者(CEO)であるミハイル・ホドルコフスキー氏が逮捕されてから一年が経過した。
1. ロシア大手石油会社ユコス社最高経営責任者(CEO)であるミハイル・ホドルコフスキー氏が逮捕されてから一年が経過した。

2.ホドルコフスキー氏はソ連時代末のペレストロイカ中期に、ソ連の若者の登竜門とも言えるコムソモールの書記を務めた後、1987年にコムソモールの組織を土台として、後のメナテプ銀行の前身とも言える青年科学技術創造センターを自ら立ち上げた。同センターは1988年にメナテップ銀行となり、同行はソ連末期のペレストロイカと新生ロシアの市場経済志向あるいは市場経済移行プロセスの中で急速に業績を伸ばし、ロシア通貨危機直前の1988年の商業銀行ランキングで第5位のポジションを占めるまでに至った。

3. メナテップ銀行は、1992年のバウチャー方式民営化及び1995年の株式担保型民営化プロセスで多数の企業を取得し、同銀行周辺に巨大なホールディング会社を形成した。代表的な企業として「アパチト」社や「ユコス」社(石油生産企業)があげられる。前者は、リン鉱石を扱う肥料企業でメナテップ銀行は1994年に入手したが、その民営化プロセスとメナテップ銀行による株式取得手続きに条件欠落があったとのことで、後々のホドルコフスキー逮捕の直接の理由となったものである。

4. 1998年8月にロシア金融危機が起こり、それはメナテップ銀行にボディブローとなり、ホドルコフスキーは、メナテップ銀行の資産をそれまで同行の支店であった「メナテップ・サンクトペテルブルグ」に移動させ、メナテップ銀行自体は国際金融合同(MFO)としてホールディング会社の中心としての機能を果たすのみとなった。

5. ユコス社は、原油生産から精製、販売までを行う垂直統合型石油企業で、世界の原油生産2%のシェアを持ち、埋蔵量規模でロシア第2位を誇り、傘下にユガンスク石油ガス社、サマラ石油ガス社を有する巨大企業である。メナテップ銀行が株式担保型民営化の結果として同社を1997年に入手した後、ホドルコフスキーは徐々に経営の軸足をミナテップ銀行からユコス社に移し、最終的にミナテップ銀行はその後の投資も含めるとユコス社の株式の80%以上を取得することとなった。それに合わせてホドルコフスキーもフォーブス誌等における世界の長者番付けに名を連ねるようになり、一時期は推定7-80億ドルの資産を有するまでになった。

6. ただ、ユーコス社は常に順風満帆というわけではなかった。ユコス・モスクワ社は、メナテップ・グループが保有するエネルギー会社数社の株式を購入した米国人投資家ケネス・ダート氏と紛争を起こし(1999年、ロシアにおける少数株主無視の代表的事例となった)、ユーコスに対してソ連体質とか民営化プロセスが不透明とか少数株主無視等多くの批判がなさるという事件も発生した。それをきっかけとしてユーコス・グループは独自にコーポレート・ガヴァナンスを改善した。また、この事件をきっかけとしてOECDが主体となりロシア・コーポレート・ガバナンス白書をまとめあげ(筆者も参画)、それが、後のロシアのコーポレート・ガバナンス法典の基礎となった。

7. 上述の通り、ホドルコフスキー逮捕のそもそもの発端は公開型株式会社「アパチト」社の民営化である。1998年初頭、ロシア検察当局は、メナテップ銀行による「アパチト」社株式入手の際に幾つかの条件が満たされなかったということを問題とした。この件は、訴訟、反訴が繰り返され、その後も、ずるずると足を引きづることとなった。2003年7月、メナテップ社のプラトン・レベデフ取締役会会長(推定資産10億ドル)が、1994年の「アパチト」社の民営化に際して国家保有株20%(2億8314万ドル)を横領した容疑で逮捕された。また、ホドルコフスキー・ユコス最高経営責任者(CEO)と元同社副会長のレオニード、ネブズリンも取り調べを受けた。この際には両名ともに一旦は解放された。

8. 2003年7月に、レベデフが逮捕され、ホドルコフスキー、ユコス最高経営責任者(CEO)に対する尋問が行われた際には、大統領府は、レベデフの逮捕に介入するつもりはない、大統領府は裁判所や捜査機関の活動に介入する権利をもっていないと言明したと伝えられており、これに対して、ホドルコフスキーも、現在のクレムリンの姿勢を「公正なもの」「国家機関側からユコスに対していかなる侵害も行われていない」と述べたと報じられた。

9. この後、ユコス社によるエニセイ石油ガス社株式盗難等の疑惑が発生し、更にユーコス社による盗聴、依頼殺人等の疑惑が浮上した。そして2003年10月25日にホドルコフスキーはノボシビルスクで「出頭要請の無視」を理由に拘束され、身柄をモスクワに移送され、逮捕され、取調べは今尚続いている。

10. 報道されるところをとりまとめれば、ホドルコフスキーに対する容疑はロシア刑法典の7件の罪を問われ起訴されているものである。これらは、詐欺行為、裁判所決定の不履行、個人及び組織的税の不払い、欺瞞または信頼の悪用により他人の財産に損害を与えた行為、公的文書偽造、公金の使い込みで、これらにより同人は国家に対し10億ドルの損害を与えたとされている。また、ホドルコフスキーの母体であるメナテップ銀行幹部10名も逮捕もしくは国際指名手配となっている。(シャフノフスキー・ユコス・モスクワ社社長、レオニード・ネヴズリン、ミハイル・ブルドノ、ウラジーミル・ドゥボフ等)

11. ユコス社に対しても過去の脱税により数十億ドルの追徴金が課せられた上(ロシア税務当局及び検察当局により次々と追徴金が加算されている)、ロシア最高検察庁によるユコス株式40%の差し押さえ、銀行口座の凍結、子会社を含めたユーコス社関連株式の差し押さえも行われている。また、昨2003年11月にはホドルコフスキは、ユコス社CEOの辞任を表明した。この結果、ユーコス社は破産の瀬戸際に陥いっている。このようなユコス社に対して、プーチン大統領は、ユコス社国有化の意図はない旨言明している。同社の最大有力子会社である「ユガンスクネフチェガス」に関する競売は外国企業も対等の参加することにより近く実施される模様。なお、本2004年10月21日、ロシア天然資源省の委員会は、「ユガンスクネフチェガス」に対し、3カ所での採掘を期限満了前に中止させることを通告した旨が報じられている。また、10月31日、中国石油天然ガス集団公司(CNPC)は、ユコス社に対して、石油100万トンが供給されないことによる損害賠償について訴訟を起こした。

12. 本件は本来ならロシアにおける法の整備が不十分であった時期に端を発しており、これを遡及処罰するかどうかはきわめて政権側の恣意的判断によるものである。ホドルコフスキーに対する追及は2003年後半に同人がプーチン大統領への批判を公言し始めた時期に開始されたというのが一般的な見方である。すなわち、ロシアのオリガルキーの中でも、政治に手を出そうとした他のベレゾフスキーやグシンスキーと共に、ロシア政治に口を挟ませないという、プーチン政権側の警告と見られている。ただし、このような政権側の警告が果たしてプーチン大統領自身から出ているのか、あるいは、プーチン大統領周辺部(シラビキを含む)から出ているのかは、不明である。

13. ホドルコフスキー事件及びユコス社事件は、それがおこった2002-3年の短期で考えればロシア投資環境の不安定さを示したようには見えないが、世界の原油生産の2%を占めるユコス社の動向は、イラク・中東情勢の不安定さの中で国際石油市況に大きな影響を与えた。さらに、その後ユコス社がロシア当局の巨額の課徴金等に追われ、存続の危機にあること、すでにこの事件が1年以上も継続しているが、終わりが見えないこと、に鑑みれば、世界のロシア経済を見る目に影響を与える可能性は排除されず、場合によっては大きさのボディーブローとなり得る。幸い、現在は、ロシア経済のパフォーマンスが極めて好調であるので、これが顕在化することはないが、今後、何らかの理由で世界経済が冷え込んだりする場合には、これが表面化する可能性がある。
 特に注目すべき点は、ホドルコフスキー事件及びユコス社事件が象徴する、プーチン政権の強権化の可能性であろう。プーチン政権第一期末期におこったプーチン政権第三期目の可能性への合唱、本2004年9月に発表され、現在審議中の連邦制度の改編(知事の連邦大統領任命制等)、チェチェン武装勢力テロ対策を背景にしたところのシラヴィキ(力の省庁等)の台頭等は、プーチン政権の強権化のイメージを強める要素となっている。そのような中での本ホドルコフスキー事件及びユコス社事件は、ロシア政治・社会及び経済を見る際の重要なメルクマルであり、今後とも、注意深くフォローしていくべき案件である。